著者
三浦 鉄郎
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.43, no.11, pp.674-685, 1970-11-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
7

八郎潟東岸平野の開発進展とその地域性を明かにするため,その方法として,(1)当地域に立地する集落の成立年代を検討し,開発の時期的大要を把握し,(2)開発に関する古文書・古絵図などを参考にし,(3)実地調査を行なった.その結果は,(1)古代1こおいては,三角州の低湿地と氾濫原の低湿地をさけて自然発生の街道沿いに成立した集落付近が切添的に土地開発が進められた.(2)中世は,東方の山麓・台地の前面低地と自然堤防上が豪族の経済と戦略体制の二重性のもとに開発された.(3)近世は,広大な氾濫原が封建体制下の一円支配の財的確立を目して,藩営の用水路開さくによって,全面的開発が行なわれた.(4)現代は,当平野の大部分を占める氾濫原が開発の限界点に達したことと,人口増加におされて湖岸水面下を対象地に「地先干拓」が進められ,特に昭和期に入っては,国営による「八郎潟干拓事業」によって湖岸干拓が完成した.