著者
久保 純子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.25-48, 1988-01-01 (Released:2008-12-25)
参考文献数
51
被引用文献数
1 6

南関東の相模野台地・武蔵野台地に分布する谷の地形・地質を比較検討し,これらの谷の形成過程について考察した. 相模野・武蔵野をはじめとする関東平野の台地には,台地上に厚い風成テフラをのせるものが多い.これらの台地では現在までの数万年の間,テフラの問けつ的な降下と,台地に流域をもつような小さい川の侵食・運搬作用が同時に進行していたと考えられる.このような堆積(テフラの降下)と侵食・運搬作用(谷の成長)の積分の結果が現在の相模野・武蔵野台地の谷地形であること,すなわち,礫層を堆積させた過去の大河川の名残川が降下テフラを流し去ることによって谷を形成したことを,相模野および武蔵野台地の各時代の面を「刻む」谷の地形・地質を比較することにより導き,谷の形成過程を説明した.
著者
久保 純子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
pp.62.2112, (Released:2022-12-27)
参考文献数
88

利根川と荒川は江戸時代初期には関東平野中央部で合流し,東京湾へ流入していた.現在の利根川は加須低地から鬼怒川下流低地へ本流を移し,また現在の荒川は荒川低地から東京低地に流下している.著者は東京低地の歴史時代・先史時代の地形変遷を皮切りに,利根川・荒川の近世以前の流路や年代を,低地の微地形を手がかりとして考察した.加須低地や中川低地では,かつての利根川河道は自然堤防や河畔砂丘などの発達が手がかりとなるが,渡良瀬川との合流や断片的に残る旧河道などについての解明が望まれる.荒川低地から東京低地にかけては大規模な蛇行流路跡が認められるが,歴史時代にそこに幹川があった記録は認められない.これは堆積物の組成や考古学的データから,利根川の幹川と考えることができ,その年代と河道変遷,流域の火山活動との関係などの解明が必要である.
著者
久保 純子
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
Geographical review of Japan, Series B (ISSN:02896001)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.73-87, 1990-06-30 (Released:2008-12-25)
参考文献数
33
被引用文献数
6 5

東京首部の地形は更新世の台地と完新世の低地とからなっている。台地は最終間氷期の海底面と最終氷期の河成面に由来し,その表面は後期更新世を通じて富士火山・箱根火山などにより供給された風成テフラに覆われている。台地には台地上に水源をもつ開析谷が分布する。これらの谷のなかには,台地表面の離水時に現われた名残川に由来し,その起源が最終氷期まで遡るものがある。 低地は最終氷期末に形成された谷が後氷期海進を受け,日本有数の大河である利根川水系により形成されたもので,厚い軟弱地盤を形成する。完新世後期の東京低地の形成過程は,従来ほとんど行なわれなかった考古歴史資料と微地形分布との関係の検討により明らかにされるであろう。17世紀以降になると,河道の改修,海岸部の埋め立て等の人工改変が大規模に行なわるようになった。 東京の台地と低地の地形には,変動帯の特色としての関東造盆地運動や火山活動に加え,ユースタティックな海水準変動の影響があらわれている。そして近年は人類による改変が最も大きなファクターとなっている。
著者
久保 純子
出版者
日本第四紀学会
雑誌
第四紀研究 (ISSN:04182642)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.47-60, 2023-05-01 (Released:2023-05-16)
参考文献数
88

利根川と荒川は江戸時代初期には関東平野中央部で合流し,東京湾へ流入していた.現在の利根川は加須低地から鬼怒川下流低地へ本流を移し,また現在の荒川は荒川低地から東京低地に流下している.著者は東京低地の歴史時代・先史時代の地形変遷を皮切りに,利根川・荒川の近世以前の流路や年代を,低地の微地形を手がかりとして考察した.加須低地や中川低地では,かつての利根川河道は自然堤防や河畔砂丘などの発達が手がかりとなるが,渡良瀬川との合流や断片的に残る旧河道などについての解明が望まれる.荒川低地から東京低地にかけては大規模な蛇行流路跡が認められるが,歴史時代にそこに幹川があった記録は認められない.これは堆積物の組成や考古学的データから,利根川の幹川と考えることができ,その年代と河道変遷,流域の火山活動との関係などの解明が必要である.
著者
南雲 直子 久保 純子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.141-152, 2013 (Released:2013-09-13)
参考文献数
14
被引用文献数
2 8

2011年8月~10月に大規模洪水が発生したカンボジアのメコン川下流平野を対象とし,首都プノンペンを中心とした地域で洪水と微地形に関する調査を行った.衛星画像を用いて浸水範囲を把握し,水文データ等を入手するとともに,2012年3月の現地調査では洪水痕跡より浸水深を測定した.その結果,微地形と浸水範囲・浸水深の対応が良好に見られた.洪水はメコン川の氾濫原を利用して流下するとともに,トンレサップ川沿いでは深く湛水し,通常の雨季には浸水することのない高位沖積面にまで洪水が達した.これは近年最大規模といわれた2000年洪水に匹敵する規模であった.また,浸水域に比較すると相対的な被害は大きくなかった.カンボジアのメコン川はほとんど築堤が行われておらず,伝統的な地域に住む人々は毎年の洪水を経験しながらも,その環境に適応し,洪水リスクを最小限にするような土地利用や生活様式を続けている.
著者
久保 純子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
地理学評論 Series A (ISSN:18834388)
巻号頁・発行日
vol.94, no.4, pp.269-270, 2021-07-01 (Released:2023-02-19)
参考文献数
3
著者
松本 誠子 久保 純子 貞方 昇
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2021年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.128, 2021 (Released:2021-03-29)

1.研究目的 本発表は、典型的なデルタとして取り上げられてきた太田川デルタの形成・成立には、上流域における往時の砂鉄採取による廃土が大きく関与した、とみなす調査結果の第一報である。近年における発表者らによる太田川上流の調査(貞方ほか2020、印刷中)を通して、これまで看過されてきた太田川の上流域でも、中世に遡る広範かつ大規模な「たたら製鉄」に伴う砂鉄採取跡地が確認された。発表者らは、さらに、そこから排出された大量の廃土が同川の下流平野・デルタ形成に何らかの影響を与えたものとみて、とりわけ同地における完新世堆積物中の「最上部陸成層」に着目し、その堆積物の諸特性や平野微地形の特徴を調査した。その結果、以下に記すような上流域の砂鉄採取と整合する幾つかの明瞭な証拠を得た。 平地に乏しい我が国にあって、デルタは主要な生活の舞台である一方、洪水や高潮などの災害も多く発生するため、防災の観点を含めてこれまで数多くの研究業績が蓄積されてきた。従来「最上部陸成層」は、後氷期海面高頂期以降の海面微変動や堆積物供給の多寡に呼応して形成されてきたとされるが、最新期における人間活動の影響も少なからず関与したものと思われる。本発表は、デルタ形成・成立における人為関与地形形成の役割を評価することに的を絞り、その調査成果の一部を紹介するものである。2.研究方法・データ 本研究では、米軍大縮尺空中写真判読を中心とした一連の微地形調査や、既存ボーリング資料の検討、表層堆積物の各種分析に加え、歴史時代を含めた短い時間スケールの地形形成の経緯をより明らかにするため、洪水史等の歴史資料の検討も行った。分析対象とした試料は、広島城西の広島市中央公園(「デルタ」:人為関与前)、広島大学霞キャンパス(干拓地)の試掘露頭ほか、「デルタ」内の数地点(深度0.5m、1m)で採取した表層堆積物および現河床の堆積物から得た。堆積物は粒度分析、砕屑粒子組成分析とともに鉄滓粒の存否を確認し、12点の炭化物についてAMS14C年代測定を行った。3.結果と考察 太田川下流域は、広島市安佐南区八木の高瀬堰以南にまとまった沖積平野を形成し、大きくは広島市西区の大芝水門付近までの幅2km前後の「下流平野」とそれ以南に広がる「デルタ」(いわゆる広島デルタ)に二分される。微地形判読によれば、太田川は「下流平野」で扇状地をほとんどつくらず、氾濫原上の旧蛇行河道に沿ういわゆる「自然堤防」の発達は弱い。また、「デルタ」のうち自然堆積域として分類できるのは大芝から白神社付近までの狭い範囲(径4km)に限られ、他の多くは近世以降の干拓地および埋立地である。さらに、干拓地内に延びる河道沿いには連続的に微高地が形成されている等の特徴をもつ。既存ボーリング資料および掘削現場の露頭観察によって「最上部陸成層」とみなされた各採取堆積物試料中における花崗岩類起源の砂粒の割合は80%以上と非常に高く、それより下位の試料(上部砂層以下)の組成では、平野の直上流側に分布する付加体起源の砂粒の割合が高いことが示された。現段階の採取試料で見る限り、「最上部陸成層」中の炭化物の年代は13世紀から18世紀という極めて新しい年代値(中世から近世)を示した。また、「下流平野」に属する安佐南区緑井の自然堤防状微高地からは、砂鉄製錬滓由来の鉄滓粒が見出され、「デルタ」の各試料からは鉄錆片(鍛造鉄器片)を含む幾つかの鍛冶関連物質粒が認められた。 これらの年代や人工物質の存在は、太田川上流部でのたたら製鉄やそれに伴う砂鉄採取が行われていた時期とも重なることから、花崗岩類起源の割合が高い堆積物は、当時の砂鉄採取によって廃出された土砂の影響をかなり受けたものと見ることができよう。歴史資料によれば、広島藩により1628年に太田川流域の砂鉄採取は禁止されたが、同川下流では引き続き過大な土砂流出・堆積が継続するとともに洪水被害が頻発し、「デルタ」では河道の固定(堤防強化)や「川浚え」と呼ばれた河道からの砂排除が行われるようになったという。こうした人為的営為も「デルタ」の微地形特徴に寄与したとみられる。4.まとめ 太田川下流の「デルタ」(広島デルタ)は教科書などで典型的なデルタとして扱われてきたが、自然堆積範囲は狭く、干拓地を含めて「最上部陸成層」の形成には、たたら製鉄に伴う砂鉄採取による廃土が大きく関与したものとみられる。また「デルタ」上の各河道に沿う微高地は、主に近世に二次的な地形改変を受けつつ形成されたものである。 本発表では微高地そのものと対応する堆積物の分析は行えなかったことや、「デルタ」の堆積物からは直接に砂鉄製錬に由来する鉄滓粒の確認はできなかったが、今後分析試料数を増やして「最上部陸成層」の意義づけや人為関与地形形成の実態把握を進めたい。
著者
久保 純子 須貝 俊彦
出版者
公益財団法人 日本学術協力財団
雑誌
学術の動向 (ISSN:13423363)
巻号頁・発行日
vol.24, no.11, pp.11_24-11_27, 2019-11-01 (Released:2020-03-27)
参考文献数
8
著者
久保 純子
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2007年度日本地理学会秋季学術大会
巻号頁・発行日
pp.94, 2007 (Released:2007-11-16)

■研究目的・方法 メコン川下流部(カンボジア平野)の微地形区分を行うとともに、洪水水位、土地利用、水利用特性などの地域性をとらえ、微地形区分を基本とした土地の統合的理解をめざした。 対象地域はプノンペン付近を中心に、空中写真判読とフィールド調査をもとに、ききとり等も一部で行った。 ■水位変化と稲作システム メコン川下流(カンボジア)平野ではモンスーン気候下にあり、メコン川の水位は雨季と乾季で10 m近く変動する。 カンボジアにおける伝統的な稲作システムは、1)天水陸稲、2)天水水田稲作、3)減水期(乾季)稲作、4)浮稲の4つに区分されるが、メコン川平野では2)3)4)がみられる。灌漑施設は少なく天水田が卓越し、収穫は通常年1回である。メコン川氾濫原やトンレサップ湖周辺ではしばしば稲刈りと田植えが隣接して見られるが、二期作はほとんど行われておらず、水位の微小な変化に従って減水期稲作が行われている。 ■対象地域の微地形 プノンペン付近ではメコン川、トンレサップ川、バサック川が交差して「チャトムック(四面)」と呼ばれている。 氾濫原部分は支川の緩勾配扇状地と台地に囲まれる。北西からトンレサップ川がメコン川に流入し(雨季はメコン川から逆流する)、平野北東からメコン川が流下し、チャトムックジャンクションを形成する。下流側はメコンの派川バサック川が南へ、メコン川は南東へ流下する。メコン川本流沿いには小規模な自然堤防がみられる。 氾濫原は河川沿いの低湿な部分と、やや高燥な「高位沖積面」に区分される。 ■緩扇状地、台地上の土地利用・水利用 雨季に天水水田稲作が行われる。小規模なため池が数多く作られる。水が得にくいため、「ポルポト水路」が現在も各地で利用されている。 ■メコン川などに沿う自然堤防地帯 自然堤防上は道路や集落が立地する。メコン川派川のバサック川沿いには「コルマタージュ」と呼ばれる流水客土のための水路が放射状につくられ、水路の周囲はシルトが堆積して人工の微高地が拡大し、畑作が行われている。 ■高位沖積面とメコン川沿い氾濫原 川沿いの氾濫原では雨季は湛水のため一部の浮稲のほかは耕作が行われない。高位沖積面との境界部では、微高地を縁取るように「トンノップ」と呼ばれる小規模な堤防を作り水をため、減水期稲作に利用される。 高位沖積面は大規模洪水時には浸水する。 ■微地形、洪水、土地利用 メコン川下流平野では、雨季と乾季の水位変動が大きく、川沿いの氾濫原では雨季のあいだ広い範囲が湛水する。このため、氾濫原の微地形条件に対応して湛水の状況が異なり、それぞれに対応した稲作システムが採用されている。 台地や扇状地上では夏季の天水に依存した稲作が行われる。バサック川沿いは流水客土(コルマタージュ)による耕地造成が明瞭である。氾濫原低地をとりまくように減水期稲作が行われ、これは雨季終了時の水位低下に従って移動する。氾濫原低地はもっとも長く湛水し、多くが湿地である。この部分は雨季の洪水流路でもある。これらは微地形ごとの水位変化に対応した持続的システムといえる。
著者
久保 純子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
no.81, pp.101-113, 1999-03

東京低地における歴史時代の地形や水域の変遷を,平野の微地形を手がかりとした面的アプローチにより復元するとともに,これらの環境変化と人類の活動とのかかわりを考察した。本研究では東京低地の微地形分布図を作成し,これをべースに,旧版地形図,歴史資料などから近世の人工改変(海岸部の干拓・埋立,河川の改変,湿地帯の開発など)がすすむ前の中世頃の地形を復元した。中世の東京低地は,東部に利根川デルタが広がる一方,中部には奥東京湾の名残が残り,おそらく広大な干潟をともなっていたのであろう。さらに,歴史・考古資料を利用して古代の海岸線の位置を推定した結果,古代の海岸線については,東部では「万葉集」に詠われた「真間の浦」ラグーンや市川砂州,西部は浅草砂州付近に推定されるが,中央部では微地形や遺跡の分布が貧弱なため,中世よりさらに内陸まで海が入っていたものと思われた。以上にもとづき,1)古墳~奈良時代,2)中世,3)江戸時代後期,4)明治時代以降各時期の水域・地形変化の復元をおこなった。
著者
久保 純子 高橋 虎之介
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2020年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.181, 2020 (Released:2020-03-30)

1. はじめに 東京低地に位置し、隅田川と荒川に囲まれる足立区千住地区は洪水に対し脆弱な地域と考えられる。高橋は卒業研究で千住地区を対象として、避難所である小中学校の災害発生時の対応準備状況を調査していたところ、2019年10月の台風19号の接近で実際に避難所が開設され、多くの住民が避難した。このため、避難所の運営等についても事後に聞き取り調査を行った。これらをもとに千住地区の避難所に関する課題を検討した。2. 足立区千住地区の特色 足立区の人口は2019年1月時点で688,512人で、このうち千住地区の人口は76,690人である(足立区による)。国道4号線(日光街道)やJR常磐線、東武、京成、東京メトロなどが通り、中心部には北千住駅がある。 千住地区の標高は堤防を除き全域が2m以下で、東半分はゼロメートル地帯である。足立区ハザードマップによれば、千住地区は荒川が氾濫した場合(想定最大規模)、ほとんどが深さ3m以上浸水し、浸水継続期間はほぼ全域で2週間以上とされる。3. 千住地区の避難所 足立区地域防災計画(2017年)によれば、千住地区の避難所(一次避難所)は小学校6校、中学校3校の計9箇所であるが、このうち1校は現在改築中で使用できない。 ハザードマップによれば、「家屋倒壊等氾濫危険区域」に含まれる場合は避難所を開設しないことになっている。このため、避難所として使用可能なのは9校中4校で、それらも浸水のため3階以上または4階以上のみ使用可能、とされている。 区域内の9校のうち小学校3校と中学校2校を訪問し、責任者の副校長先生にインタビューを行った。その結果、5校のうち避難所開設の経験があったのは1校、収容人数はいずれも把握しておらず、備蓄倉庫は1階または2階にあり、また荒川氾濫時に避難所として使えないことを知らないという回答も2校あった。鍵の受け渡しについての取り決めが不明、という回答も1校あった。4. 2019年10月台風19号における対応 10月12日に荒川の水位上昇で区内全域に避難勧告が出された結果、区内全域で33,154人、千住地区で4,997人が避難所へ避難した。計画では避難所は4校のみであったが実際は改築中を含む9校すべて開設され、さらに高校や大学等も避難者を受け入れた(足立区による)。 2019年11月に地区内の小学校で避難所訓練があり、参加者へ当時の状況についてインタビューを行った。その結果、区の職員、町会、学校の間の連携がうまくいかなかったこと、スペースや毛布等の物資が足りなかったこと、避難者の集中のため受け入れを締め切ったこと等の問題点があげられた。5. 課題 地域防災計画における受け入れ可能人数は9校で計8,922人であるが、これは地震時を想定したもので洪水時は4校3,755人で、実際は1・2階が浸水するためさらに少なくなる。2018年の区のアンケート調査では洪水時に「近くの学校や公共施設に避難する」が21%、区外(広域)避難を答えたのは6%にすぎなかった。住民の2割としても約15,000人が避難所へ向かう計算となり、収容人数の4倍以上である。廊下や教室すべてを使用して1人あたり1m2としても全く足りず、既存の高層建物への受け入れルールを作成する必要がある。
著者
久保 純子
出版者
日本治山治水協会
雑誌
水利科学 (ISSN:00394858)
巻号頁・発行日
vol.60, no.1, pp.143-146, 2016
著者
久保 純子
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2012-04-01

本研究はインド東海岸ゴダバリ・クリシュナデルタの完新世(過去1万年)における形成過程の解明を目的として、インドのアンドラ大学の研究者の協力を得ながら、1)アンドラ大学で保管しているボーリングコア(試料)の分析、2)対象地域における平野地形の分布、3)対象地域に分布する遺跡と地形の関係、について調査をすすめた。その結果、ゴダバリ・クリシュナデルタについて初めて詳細な形成過程を示すことができ、また平野の地形分布図と遺跡の年代測定データなどを得ることができた。これらの成果をアンドラ大関係者らと2015年に国際第四紀研究連合(INQUA)大会で発表し、また国際誌Paleo-3で公表した。
著者
久保 純子
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.25-48, 1988
被引用文献数
4

南関東の相模野台地・武蔵野台地に分布する谷の地形・地質を比較検討し,これらの谷の形成過程について考察した.<br> 相模野・武蔵野をはじめとする関東平野の台地には,台地上に厚い風成テフラをのせるものが多い.これらの台地では現在までの数万年の間,テフラの問けつ的な降下と,台地に流域をもつような小さい川の侵食・運搬作用が同時に進行していたと考えられる.このような堆積(テフラの降下)と侵食・運搬作用(谷の成長)の積分の結果が現在の相模野・武蔵野台地の谷地形であること,すなわち,礫層を堆積させた過去の大河川の名残川が降下テフラを流し去ることによって谷を形成したことを,相模野および武蔵野台地の各時代の面を「刻む」谷の地形・地質を比較することにより導き,谷の形成過程を説明した.
著者
久保 純子
出版者
学術雑誌目次速報データベース由来
雑誌
地理学評論. Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.25-48, 1988
被引用文献数
4

南関東の相模野台地・武蔵野台地に分布する谷の地形・地質を比較検討し,これらの谷の形成過程について考察した.<br> 相模野・武蔵野をはじめとする関東平野の台地には,台地上に厚い風成テフラをのせるものが多い.これらの台地では現在までの数万年の間,テフラの問けつ的な降下と,台地に流域をもつような小さい川の侵食・運搬作用が同時に進行していたと考えられる.このような堆積(テフラの降下)と侵食・運搬作用(谷の成長)の積分の結果が現在の相模野・武蔵野台地の谷地形であること,すなわち,礫層を堆積させた過去の大河川の名残川が降下テフラを流し去ることによって谷を形成したことを,相模野および武蔵野台地の各時代の面を「刻む」谷の地形・地質を比較することにより導き,谷の形成過程を説明した.