著者
内村 和至
出版者
明治大学文学部文芸研究会
雑誌
文芸研究 : 明治大学文学部紀要 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.123, pp.17-28, 2014

ロードスのアポロニオスによれば、英雄イアソンはアルゴー船を仕立て、金羊の毛皮を求めて旅をし、艱難の末、目的の地コルキスに辿り着いた。コルキス王アイエテスは面従腹背、難題を持ちかけてイアソンを殺そうとしたが、イアソンに恋をした王女メディアの手助けによって、イアソンは金羊の毛皮を手にし、メディアを伴って、コルキスを逃れ去ったのである(『アルゴナウティカ』)。というだけでは、何のことはないような神話だが、私がこの話に心引かれるのは、実はメディアは恋する乙女というだけではなく、魔女でもあるということだ。メディアは地母神ヘカテを呼び出して魔術を行う。ヘカテが魔術を施すのは夜道の十字路や三叉路で、そのため、ヘカテは月の女神に因んで「三叉路のアルテミス」とも呼ばれる(大修館『ギリシア・ローマ神話辞典』)。
著者
内村 和至
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
巻号頁・発行日
vol.49, pp.1-26, 2001-03

私はここしばらく秋成にかかずらわっているが、秋成の紀貫之批判を理解するうえで、秋成が編纂に深く関わった荷田春満の遺稿集『春葉集』(寛政十年刊)付録の春満版仮名序に注目すべきではないかと考えるようになった。それで、春満の仮名序研究の大体をまとめてみようと思ったのだが、この問題設定からは参考とすべき資料がなきに等しい。実のところ、仮名序研究にかぎらず、門人の聞書や筆記を中心とする春満の資料はほとんど整備されていないのである。確かに、春満の著作について三宅清の浩瀚かつ細密な研究、『荷田春満』(以下①)・『荷田春満の古典学』第2巻(以下②)が備わってはいる。しかし、三宅の所説は春満の著作と合わせ読まないかぎり十分に理解できない部分が多く、端的に言えば、それは『春満全集』の解説にこそふさわしいものである。
著者
内村 和至
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.1-23, 2005-03

私はここしばらく国学の問題圏を巡っているが、国学史においてはどうにも契沖の座り心地がよくないような気がしてならない。と言っても、現在、国文学研究の枠内では春満などよりも契沖を重んじるのが普通である。つまりは、芳賀矢一の所謂「日本文献学」の始祖として契沖を位置付ける見方である。それに異論はないが、契沖が国学思想史とどう関連するのかは、実はそれほど明瞭に論じられてはいないように思う。言うまでもないが、思想史的連関とは、師弟関係や交友関係に還元されるようなものではない。つまり、契沖と国学の関わりは、契沖が下河辺長流を継いで『万葉代匠記』をものしたとか、水戸学派とつながりを持っていたといった水準で済まされる問題ではないということである。
著者
内村 和至
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 : 明治大学文学部紀要 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.119, pp.27-53, 2013

「万国旗本」とは、私が仮に名付けたもので、学術用語ではない。言う心は、「幕末、外国船来航に沸き立つ時期に編纂された、世界の国旗・都市旗・軍艦旗・商船旗などを記載した本」の意である。と言っても、私は、文化史的観点から「万国旗本」そのものを研究対象としているわけではない。本稿の目的は、幕末戯作研究のかたわら管見に入った数冊の「万国旗本」に触れつつ、その背景をなす時勢や人間関係を瞥見することである。わずか数冊の「万国旗本」を通しても、幕末の時代風景は垣間見えてくるからである。しかし、それでもなお、「万国旗本」なる定義は、研究の立場としては傍系的に過ぎるであろう。本来、これらは幕末維新史研究もしくは近世地理学史研究の文脈に置かれるべきものである。
著者
内村 和至
出版者
明治大学人文科学研究所
雑誌
明治大学人文科学研究所紀要 (ISSN:05433894)
巻号頁・発行日
no.43, pp.181-197, 1997-12

松亭金水(中村経年・積翠道人、寛政七~文久二・一七九五~一八六二)は、人情本以外にあまり問題にされることのない作者と言ってよいだろうが、私はたまたま、その随筆『太平楽皇国気質』を手にすることがあって以来、いささか金水に興味を抱いている。といっても、それが優れているからというのではない。むしろ、その安易な文章に呆れるのだが、と同時に、こうした作者がかなり広範囲に仕事をしていたことを不思議にも思うからである。そして、ここには無思慮と無邪気が同居しており、それを「思考」と名付けることはためらわれるが、しかし、やはりそれを「日本的思考」とでも名付けるよりほかないような、そんなものが感じられるのである。