著者
山口 二郎 杉田 敦 遠藤 乾 空井 護 吉田 徹 渡辺 将人 木宮 正史 川島 真 遠藤 誠治 高安 健将 村上 信一郎 宮本 太郎 小川 有美 中北 浩爾 水野 和夫
出版者
法政大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-04-01

20世紀後半に民主主義国で確立された二大政党制、二極的政党システムにおける政権交代というモデルは、1980年代の新保守主義的政治、1990年代後半の中道左派の復活までは、順調に作動し、民意の吸収と政策転換という効果をもたらした。しかし、2000年代に入って、経済のグローバル化の一層の進展と、雇用の不安定化や格差の拡大は政治的安定の基盤をなした経済的安定を侵食した。その結果、政権交代に対する国民の期待が低下し、ポピュリズムが現れた。こうした危機を打開するためには、従来の左右を超えた政党再編が必要とされている。
著者
川島 真
巻号頁・発行日
2004-11

若從戰後中日關係的角度來思考,日本觀察台灣應有二個不同的面向。一個是以宗主國的身份來觀察台灣。另一個是觀察蔣介石,也就是中華民國。前者是台灣在去殖民化的同時,日本卻要如何擺脫宗主國角色的問題。後者卻是身為戰敗國的日本,如何面對戰勝國中華民國以及經歷「戰前」、「戰後」兩個不同空間所衍生的種種問題。迄今為止的研究成果,大多是仰仗英美兩國的外交文書,雖然充分反映出國際政治史的觀點,但卻疏於探討以東亞社會為主體的外交思維。再者,以蔣介石與日本為題的傳統研究中,也以戰前居多。為了打破此一現象,本論文特別參照日前公開的日本外務省所珍藏之戰後日華關係檔案,冀望在參閱此一批檔案的基礎上,勾勒出蔣介石、中華民國、台灣在戰後日本人心目中的形象。(戦後の日華関係を考える上で、日本が台湾を見る視線には二つの面があったと言って良いだろう。ひとつは、かつての宗主国として「台湾」を見る目線。今ひとつは、蒋介石、そして中華民国を見る視線であろう。前者は台湾の脱植民地化とともに、日本がいかに脱宗主国化するかという問題でもあり、後者は本来ならば敗戦国であるはずの日本が戦勝国であるはずの中華民国をいかに捉えるのかという、「戦争」「戦後」それじたいに関わる問題でもあったろう。他方、昨今の研究では、英米の外交文書に依拠した研究が数多く見られるが、そこでは国際政治史的な観点が強く反映し、こうした東アジアの内的な外交思想には踏み込めていない。また従来の蒋介石と日本に関する研究が戦前にかたよっていた。こうした点を克服すべく、本報告は昨今公開された戦後の日華関係に関する日本外務省記録に依拠して、そこに見られる蒋介石像・中華民国像をおい、あわせて台湾像について初歩的な検討を加えてみたい。)
著者
三澤 真美恵 貴志 俊彦 佐藤 卓己 孫 安石 川島 真 小林 聡明
出版者
日本大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本研究では東アジアの複数の地域(日本、中国、香港、台湾、シンポール、韓国、北朝鮮)および複数の視聴覚メディア(テレビ、映画、レコード、ラジオ)を対象に、地域間・メディア間の相互連関性を検討した。各年度に行われた国際ワークショップや国際シンポジウムを通じ、国内外の研究者が多様なディシプリンを持ち寄ったことで、東アジアに固有の相互連関の具体的様態についても明らかにすることができた。本研究の成果は論文集として公刊される予定である。
著者
川島 真
巻号頁・発行日
2006-04-22

本報告では、中国・台湾での档案史料(図書資料などにも言及する)の状況について、その所蔵・公開状況、档案行政について、利用者の目線で紹介した上で、またそれらの意義付け、アクセスにまつわるさまざまな課題についても触れていきたい。 周知のとおり、中国・台湾の档案の状況については、数多くの史料紹介文が公刊されている(坂野正高、金丸裕一、貴志俊彦、富澤芳亜、中村元哉、川島真。媒体としては『近きに在りて』、『中国研究月報』など)。特に中国東北部については、層の厚い史料紹介がなされてきた(中見立夫、井村哲郎ら。媒体としては『近現代東北アジア地域史研究会NEWS LETTER』など)。また、図書資料についても多くの紹介文が記され、日本語史料、あるいは日本関連史料については、九州大学の松原孝俊、国際日本文化センター(笠谷和比古、ブックロード)、また東京大学史料編纂所(保谷徹、東アジアの日本関連史料調査)などにより調査が進められてきた。 また、こうした档案や図書を、日本と中国、日本と台湾などで協力して整理、目録化、デジタル化するような事例も多く見られるようになっている。台湾では、中京大学の檜山幸夫のグループが国史館台湾文献館の台湾総督府文書の目録化、また整理(所在確定、復元作業)に携わり、国立台湾大学図書館では国文学研究資料館史料館との協力関係が見られる。中国でも、吉林省档案館とNHKの間のラジオ放送録音盤のデジタル化、第一歴史档案館と東京大学史料編纂所の間の档案のデジタル化計画などが挙げられる。 こうした変容過程の中で、多くの档案や档案館、図書や図書館に関する情報が数多く日本に流入し、人的交流も活発になっている。また、中国、台湾などでの政治改革、経済発展、ひいては社会変容の中で、当地の档案などが置かれている状況も急速に変化してきている。こうした中で、新しい問題、課題などもうまれてきているように感じる。ここでは、そうした論点もふまえながら議論を進めていきたい。
著者
川島 真 茂木 敏夫 岡本 隆司
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2008

本科研は、所期の計画に従って、主に以下のような事例研究を提示した。第一に、冊封や朝貢に代表される中国の諸王朝と周辺諸国との関係は19世紀末に終焉するが、その過程で、清と周縁諸国との冊封・朝貢関係が言わば近代的国家関係を利用しつつ再編されたことに関する事例研究を示すことができた。第二に、20世紀に入り、中国が19世紀以前の周辺諸国との関係を、ナショナリズムの動向や日本との戦争、その時々の外交政策などとも関連させながら、伝統的な周辺との関係として記憶化してきたことが事例研究で示された。
著者
川島 真
出版者
日本アーカイブズ学会
雑誌
アーカイブズ学研究 (ISSN:1349578X)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.51-61, 2018-12-31 (Released:2020-02-01)

本稿は、公文書とアカウンタビリティについて、三つの論点を取り上げ、時間軸から考察した。第一に、公文書の作成・保存・公開というサイクルにおいて、特に作成段階での議論が十分でなく、作成者、つまり官僚の目線で議論しなければ、今後、合法的に公文書が多く残されないのではないかとの懸念を示した。第二に、外交文書には将来へのアカウンタビリティだけでなく、国家の構成員以外へのパブリック・ディプロマシーとしての要素があると指摘した。だからこそ、外交史料館には公文書館とは異なる機能があると言える。第三に、昨今東アジアでも採用されている移行期正義では公文書が事実認定上の重要な根拠とされるが、そこではかつての私文書が公文書とされるなど、文書の公私が時間軸で変化する可能性があることを示した。
著者
川島 真
出版者
講談社
雑誌
巻号頁・発行日
vol.30, no.9, pp.10-14, 2005-09-01
著者
加茂 具樹 小島 朋之 小島 朋之 北岡 伸一 家近 亮子 加藤 陽子 川島 真 服部 龍二 一谷 和郎 王 雪萍
出版者
慶應義塾大学
雑誌
特別研究促進費
巻号頁・発行日
2007

近年の日中関係は、日中間の歴史認識問題をめぐって対話可能な環境が整いつつあるきわめて稀な「凪」の状況にあるとの認識のもとで、(日本に利用可能な)日中戦争に関連する歴史資料の調査及び収集をすすめ、また同時に日中戦争や日中歴史研究に関する対話のプラットフォームの構築をおこなった。
著者
川島 真
出版者
一般財団法人 アジア政経学会
雑誌
アジア研究 (ISSN:00449237)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.98-103, 2017-01-31 (Released:2017-03-24)
参考文献数
12

For China, H.K., Macau and Taiwan, discussed here, are not part of provincials/autonomous administrative divisions, but are special administrative regions. Articles in this feature, discuss new political trends in this specific region. In these three regions, we can find some similar phenomena and different situations. The first point is about national security and freedom/democracy. Chinese government strengthens the thread of cyber attack, and importance of national secret intelligences and social security. Such discourses lead the new regulations and acts to manage and sustain democracy, freedom, and constitutionalism, especially in Hong Kong. Facing with these new policy, Hong Kong people have so much negative behavior that they insist on deciding matters on Hong Kong by people there. However, such a situation is not found in Macau society where some matured social network is developed. And Taiwan’s case is also different from Hong Kong’s case, if the national government manages and sustains the democracy or constitutionalism, people would be against it by some activities like Sun Flowers movement, and express their opinions toward the administration by the vote at the elections. The second point is about social diversities and splits. As economic growth and democratization in these regions, both social diversities and splits are created so seriously among generations, genders, and between urban and rural areas. Such social diversities and splits influences the political activities, like Sun Flower movement in Taiwan and umbrella movement in H.K.. These movements had proposed strong objections to the government, but the activist couldn’t unify these movements and institutionalize them into a political power. On Taiwanese presidential and member of parliament election in 2016, most of Sun Flower activists vote for the DPP candidate on presidential election, but those were partly scattered on the member of parliament election. So it’s so difficult to find the great common divisor among small segments of the society, and the definition of “democracy” and “constitutionalism” in these societies. The final point is about Chinese stance to such phenomena in this region. As Hong Kong’s case, Chinese governments kept its authority to make interpretation on the situation and to decide the Yes or No on the problems, especially in Hong Kong and Macau. People in Hong Kong cannot decide their situation at present and in the future, in the contrast to people in Taiwan, where they can decide their future by themselves.
著者
太田 出 神長 英輔 赤松 紀彦 河原 典史 土屋 由香 川島 真 奈良岡 聰智 下平 拓哉 石原 俊 浅野 亮 太田 淳 楊 名豪
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究では、従来の歴史学ではほとんど検討されることのなかった「海洋」問題を正面から取り上げ、新たな学問領域を構築することを目的とする。これまでも「海域アジア史」「海の帝国史」など「海(海洋)」を標榜した研究は少なくなく、興味深い歴史像が提出されてきたが、「海」それ自体、すなわち国家権力が「海洋」を囲い込む「領海主権」、そこで確保・利用される「海洋権益」、そこに形成される「海洋社会」を意識的に中心に据えたものはほとんどなかった。従って本研究では、歴史学・国際政治・海洋法・軍事・社会学・文化史などの諸方面から学問横断的に分析し、近代から現代までをも視野に入れた総合的な「海洋の歴史」研究を切り開く。
著者
川島 真
出版者
一般財団法人 日本国際政治学会
雑誌
国際政治 (ISSN:04542215)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.175, pp.175_100-175_114, 2014-03-30 (Released:2015-09-05)
参考文献数
49

This article traces the historical contexts of international politics study from the 19th century to the present in China, and explores the background and possibilities of ‘China model.’ The China model has been argued in the academic circle in China after the latter half of the 1990s, in order to interpret Chinese foreign policy more clearly and efficiently under its own historical and cultural contexts. It was the 19th century when China started to make contact with the international law and diplomacy. At first, Chinese officials recognized them as tools and device to negotiate with western countries. In the beginning of the 20th century, the Chinese government utilized concepts of modern international relations,such as sovereignty, independent and mutual principle of equality and mutual benefit, to protect and maintain its existence as a nation. Such behavior was succeeded by the PRC, such as the five principles for peace. However, the PRC kept a distance with western concepts of international politics, and began to import a series of Marxist theories and concepts it from the Soviet Union. After the Cultural Revolution, the PRC gradually resumed to receive western theories and concepts of international politics. Thus, the PRC basically kept the basso continuo of Chinese diplomacy, such as importance of sovereignty,independent and mutual principle of equality and mutual benefit, but its main theories and concepts were from Marxist studies. After new western studies were gradually imported to China, the basic situation did not change very much. After the 1990s, the so-called rising of China, it needed to interpret and explain its policy to the world more efficiently. At that time, Chinese scholars realized that it was difficult to do so by utilizing Marxism and new western studies. Therefore, many started to explore new ways, and promoted the China model with historical and cultural contexts in China to interpret its own foreign policy. However, the arguments regarding this new model were losing its objective and their bearings.
著者
金 恵英 川島 真 中川 秀己 石橋 康正 吉川 裕之 松倉 俊彦
出版者
公益社団法人 日本皮膚科学会
雑誌
日本皮膚科学会雑誌 (ISSN:0021499X)
巻号頁・発行日
vol.98, no.5, 1988

尖圭コンジロームの邦人男子18例について,臨床,組織,免疫組織化学ならびに電顕学的検討を行い,さらに,分子生物学的にヒト乳頭腫ウイルスDNA(HPV DNA)の検出,同定を試みた.発症年齢は平均34歳で性的活動の活発な年齢層にみられ,ソープランドであるいは売春婦より感染したと思われる例が14例を数えた.感染機会から発症までの期間は平均6.3ヵ月であった.発生部位は,尿道口,亀頭,冠状溝,包皮,陰茎,肛囲と外陰部のみにみられ,他部位の疣贅を合併した例はみられなかった.臨床型では,角化傾向の乏しい小丘疹型が13例,強い角化を示す角化型が1例で,肛囲の4例はいずれも花野菜状を呈していた.診察し得た10名のsexual partnerのうち5名に尖圭コンジロームを認め,sexual partnerの診察および治療の重要性を痛感した.組織学的には表皮肥厚,乳頭腫症,空胞化細胞の出現を特徴としていたが,空胞化細胞をほとんど認めない例も4例みられた.免疫組織化学的にパピローマウイルス特異抗原の存在を検索したところ,12例(67%)で主として空胞化細胞の核に一致して陽性所見が認められた.電顕学的検討を行った10例全例で36~46nmの電子密度の高いウイルス粒子と考えられる粒子が観察され,その他,径200nm前後の辺縁が星芒状の粒子も認められた.生検材料より全細胞DNAを抽出し,blot hybridization法を用いて,HPV DNAの検出を行ったところ,全例で遊離型のHPV DNAの存在が証明され,そのタイプはHPV6a型7例,HPV6c型1例,HPV11a型7例,HPV6型およびHPV11型のいずれとも異なる型3例と同定され,欧米および邦人女子例とほぼ同様のタイプが検出されるものの,本邦の尖圭コンジロームの一部では,欧米とは異なるHPV型が関与していることが明らかになった.
著者
川島 真
出版者
一般財団法人 アジア政経学会
雑誌
アジア研究 (ISSN:00449237)
巻号頁・発行日
vol.66, no.4, pp.60-67, 2020-10-31 (Released:2020-11-19)
参考文献数
14

The main topic of discussion at the 2019 meeting of the Japan Association for Asian Studies (JAAS) was the issue of the movement of “wartime laborers” from the Korean peninsula to Japan proper. Professor Kiyoshi Aoki and Professor Hideki Okuzono gave presentations on this topic, with Professor Tetsuya Yamada, Professor Mie Oba, and the author posing questions and offering comments to the presenters. This paper summarizes the author’s comments and questions at that JAAS meeting, which focused on the importance of considering the connections, commonalities, and differences that exist in how history problems are handled across East Asia.First, China, Korea, and Vietnam were divided during the Cold War, and each one came to rely on the use of history in order to provide it with some form of legitimacy. History problems in this region were often related to how competing factions in these divided polities sought to justify their rule based on the past. On the Korean Peninsula and across the Taiwan Strait, this historical legitimacy was often connected to resistance activities carried out against Japanese aggression and colonial occupation. However, though both Koreas have continued to assert their relative “historical legitimacy” on this basis through the present day, the Republic of China government on Taiwan began shifting its source of “historical legitimacy” from being based on the creation of a unified China to the creation of an autonomous/independent Taiwan in the 1990s.Second, the cases of South Korea-Japan and Taiwan-Japan relations share the fact that the dissolution of the Japanese Empire and the manner in which Korea and Taiwan were subsequently decolonized had a significant impact on the construction of their history problems. In both cases, authoritarian governments negotiated with Japan to conclude peace treaties. Their broader populaces, however, were not allowed to play a significant role in such negotiations. This led to the emergence of critiques of these treaties after their democratization, with the appearance of subsequent calls to revisit the postwar settlements that their authoritarian regimes had reached.Third, democratization in South Korea and the expansion of freedoms in China led to the emergence of new developments in how history problems were handled, with a shift toward a greater focus on individual claims for reparations against Japanese entities. The governments of neighboring countries had abandoned their ability to seek state reparations from Japan as part of the peace treaties they signed in the decades following the end of the war. However, individuals were able to seek private compensation through the Japanese judicial system from the 1980s through the 2000s, which played an important role in the resolution of a number of history problems. In Taiwan, democratization led to “Taiwanization,” creating a historical identity that included aspects of history problems that were different from South Korea’s case. Beginning around 2005, however, the Japanese Supreme Court changed its interpretation of the segment of the 1972 Sino-Japanese Joint Declaration that dealt with reparations, ultimately ruling that private citizens did not have the right to seek compensation from Japanese companies on an individual basis. This marked a significant shift in the role that Japan’s legal system played in resolving history problems.View PDF for the rest of the abstract