著者
東郷 正美 長谷川 均 後藤 智哉 松本 健 今泉 俊文
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2010, pp.111, 2010

ヨルダン高原の北西端部に位置するウム・カイスは、古代都市ガダラに起源もつ遺跡の町である。ガダラは63 BCのポンペイウスよる東方遠征後、デカポリスの中心的都市となって大いに栄えた。しかし、749年に起こったパレスティナ大地震によって壊滅し、以後再興されることはなかったとされる。749年の大地震は、死海トランスフォーム断層に沿う活断層帯の活動で生じたM 7クラスの地震とみられている(Marco et.al, 2003など)。<BR> ウム・カイス遺跡を調査する機会に恵まれた演者らは、749年大地震のガダラ壊滅への関与を示す明確な証拠を求めて、発掘調査で露出した多数のローマ円柱に注目し、その出土特性を調べた結果、以下のような知見を得た。<BR><BR> 1)底面の縁が欠けている円柱が多数見いだされる。<BR> 2)このような底面縁に欠損部が認められる円柱を、64例見つけたが、その 多く(53例)は、円柱表面に特徴的な溶食帯(ひとつの接線に沿い一定の幅 をもって柱の両端に達するように生じている)を伴っていた。<BR> 3)このような溶食帯が上記の底面縁欠損部と対置するように発達するもの が、36例もある。<BR> 4)倒れた方向が判定できる円柱が36例あった。それらの方向性に注目する と、12例がほぼ東西方向、13例が南北方向を示し、この2方向への集中度 が高い。残りの11例はいろいろな方向に分散している。<BR> 5)倒壊した円柱とローマ時代の生活面との間に、10~数10cm、ところによ ってはそれ以上の厚さを持つ堆積物が存在することが多い。<BR> 6)倒壊円柱包含層の年代を把握するため、その上・下位層準中より年代 測 定試料を採取して14C年代測定を試みたところ、1870±40yBP、1740 ±40yBP(以上、下位層準)、1760±40yBP、1730±40yBP(以上、同または 上位層準)とほぼ同時代を示す結果が得られた。<BR><BR> 上記1)の底面縁の欠損部は、円柱が倒れる際に支点となった部分にあたり、この時柱の全過重がここに集中することで破壊が生じて形成されたと推定される。上記2)3)の溶食帯は、円柱が倒れた後、風雨にさらされてその頂部(嶺線付近)から溶食が進行したこと、しかし、溶食は円柱全面に及ぶことなく、また、浸食量も大きいところでも深さにして1cm程度であることから、円柱はまもなく埋没したものと思われる。多くの事例が以上のように同じような痕跡をとどめていることは、建物の倒壊が同じ原因で一斉に生じたことを示唆する。<BR> 上記4)は、倒壊した円柱群に、大地震の地震動による倒壊を思わせる全体的に系統だった方向性が明確に認められないことを示している。上記5)は、建物の一斉倒壊事件に先立ち、ガダラは市街地への大量の土砂に侵入を許していたことを意味しており、この時にはすでに都市維持機能は失われていたことを表している。その時代は、上記6)から4C初頭を前後する頃と推定されるので、ガダラの終焉に749年パレスティナ大地震は無関係と考えられる。