著者
杉本 良男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.242-261, 2003-09-30

人類学において「比較」の方法は時代おくれのものとみなされ、また現地調査そのものも批判の対象になっている。そのような批判に過剰反応して、人類学の一部は、調査、民族誌記述比較など、従来の学問の中心的な営みとされてきた部分をそぎおとし、自己・主体に閉塞する私小説的な相貌を帯びてきている。ラドクリフ=ブラウンやマードックらによる科学主義的な比較研究は、みずからか神の視点に立つ普遍主義的前提にもとづいていたが、レヴィ=ストロース、デュモンらによる遠隔の比較には、西欧中心主義を相対化する視点が含まれていた。デュモンのいう宿命としての比較に対して、非西欧世界の人類学者にはさらに、比較の前提となる単一性、普遍性が外から与えられてきたという点で、大きく異なっている。人類の普遍性、人間の単一性とはキリスト教世界が浸透させてきた神話の意味があるが、このような普遍神話、単一神話は、非西欧世界のエリートによって受容され、定着させられてきた歴史もある。このような限界を意識した、いわば物象化された普遍性を前提とした比較の試みは、西欧中心主義を批判するとともに、人類学のあたらしい可能性をも示唆している。
著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.267-309, 2015-11-27

小稿は,神智協会の創設者にして,のちの隠秘主義(オカルティズム)や西欧世界における仏教なかんずくチベット仏教の受容,普及に決定的な役割を果たしたマダム・ブラヴァツキーが,具体的にどのようにチベット(仏教)に関わり,どのような成果を収め,さらにその結果後世にどのような影響を及ぼしたのかについて,とくに南アジア・ナショナリズムとの関連に議論を収斂させながら,神話論的,系譜学的な観点から人類学的に考察しようとするものである。ここでは,マダム・ブラヴァツキー自身のアストラハン地方における幼児体験をもとに,当時未踏の地,不可視の秘境などととらえられていたオリエンタリスト的チベット表象を触媒にして,チベット・イデオロギーへと転換していったのかが跡づけられる。その際,マダム・ブラヴァツキーのみならず,隠秘主義そのものが,概念の境界を明確化する西欧近代主義イデオロギーを無効化するとともに,むしろそれを逆手にとった植民地主義批判であったことの意義を明らかにする。
著者
柳澤 悠 井上 貴子 杉本 良男 杉本 星子 粟屋 利江 井上 貴子 杉本 良男 杉本 星子 粟屋 利江
出版者
千葉大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、耐久消費財の浸透など消費パターンの変化が、インド農村の下層階層においても生じていること、変化は単なる物的な消費財の面に限らず、教育、宗教活動などに広がっていること、消費の変化は階層関係など社会関係の変容や下層階層の自立化によって促進されていること、またその変動は1950-60年代から徐々に生じていると推定されること、農村消費の変化が産業へ影響を及ぼしていることなどを、明らかにした。
著者
林 勲男 杉本 良男 高桑 史子 田中 聡 牧 紀男 柄谷 友香 山本 直彦 金谷 美和 齋藤 千恵 鈴木 佑記
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008-04-08

大規模災害被災地への人道支援や復興支援は、災害規模が大きくなるほど、地域を越え、国を越えたものとなる。そうした支援が被災地の従来の社会関係資本を正しく評価し、それを復旧・復興に活用し、さらにはその機能と価値を高めることによって、将来の更なる災害に対する脆弱性を克服することに繋がる。しかし、地域や国を越えての異なる文化や社会構造の理解は容易ではなく、多分野の専門家や住民との協働が求められる。それは、開発途上国の被災地への支援だけでなく、先進国で発生した災害の被災地支援についても同様であることが、2011年3月発生の東日本大震災で示された。平穏時から、対話と協働に基づく活動と研究が重要である。
著者
三尾 稔 杉本 良男 高田 峰夫 八木 祐子 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 押川 文子 高田 峰夫 八木 祐子 井坂 理穂 太田 信宏 外川 昌彦 森本 泉 小牧 幸代 中島 岳志 中谷 哲弥 池亀 彩 小磯 千尋 金谷 美和 中谷 純江 松尾 瑞穂
出版者
国立民族学博物館
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2006

文化人類学とその関連分野の研究者が、南アジアのさまざまな規模の20都市でのべ50回以上のフィールド調査を実施し、91本の論文や27回の学会発表などでその結果を発表した。これまで不足していた南アジアの都市の民族誌の積み重ねは、将来の研究の推進の基礎となる。また、(1)南アジアの伝統的都市の形成には聖性やそれと密接に関係する王権が非常に重要な機能を果たしてきたこと、(2)伝統的な都市の性格が消費社会化のなかで消滅し、都市社会の伝統的な社会関係が変質していること、(3)これに対処するネイバーフッドの再構築のなかで再び宗教が大きな役割を果たしていること、などが明らかとなった。
著者
安藤 礼二 杉本 良男 吉永 進一 赤井 敏夫 稲賀 繁美 橋本 順光 岡本 佳子 Capkova Helena 荘 千慧 堀 まどか
出版者
多摩美術大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

これまで学術的な研究の対象とは見なされてこなかったが、神智学が宗教、政治、芸術などの近代化で重要な役割を果たしたことは近年認められている。本研究では、それらをグローバルな視点から再検討し、新たな研究の可能性を探ることに成功した。プロジェクトメンバーたちによる国内外の調査によって貴重な一次資料を収集しただけでなく、海外の研究者たちとの連携を深めた。日本ではじめて神智学を主題として開催された国際研究集会など、いくつかの研究会を開催し、神智学研究を代表する世界の研究者たち、日本の研究者たちが一堂に会した。これらによって、さまざまな分野の研究者のネットワークを構築し、今後の研究の礎を築くことができた。
著者
Yoshio Sugimoto 杉本 良男
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.445-534, 2020-01-06

小論は,スリランカ(セイロン)の仏教改革者アナガーリカ・ダルマパーラにおける神智主義の影響に関する人類学的系譜学的研究である。ダルマパーラは4 度日本を訪れ,仏教界の統合を訴えるとともに,明治維新以降の目覚ましい経済・技術発展にとりわけ大きな関心を抱き,その成果をセイロンに持ち帰ろうとした。実際,帰国後セイロンで職業学校などを創設して,母国の経済・技術発展に貢献しようとした。そこには,同じく伝統主義者としてふるまったマハートマ・ガンディーと同様に,根本的に近代主義者としての性格が見えている。ところで,一連のダルマパーラの活動の手助けをしたのは,神智協会のメンバーであったこと,さらには生涯を通じて神智主義,神智協会の影響が決定的に重要であったことは,これまでそれほど深くは論じられてこなかった。しかし,ケンパーが言うようにダルマパーラにおける神智主義が世上考えられているよりはるかにその影響が決定的であったことは否定すべくもない。さらに,神智協会が母体となってセイロンに創設された仏教神智協会は,ダルマパーラの大菩提会とは仇敵のような立場ではあったが,ともに仏教ナショナリズムを強硬に主張した点では共通していた。仏教神智協会には,S.W.R.D. バンダーラナーヤカ,ダッドリー・セーナーナーヤカ,J.R. ジャヤワルダナなど,長く独立セイロン,スリランカを支えた指導者が集まっていた。その後の過激派集団JVP への影響も含めて,神智主義の普遍宗教理念が,逆に生み出したさまざまな分断線は,現在まで混乱を招いている。同じように,インド・パキスタン分離を避けられなかったマハートマ・ガンディーとともに,神智主義,秘教思想を媒介にしたその「普遍主義」の功罪について,その責めを問うというよりは,たとえそれが意図せざる帰結ではあっても,その背景,関係性,経緯などを解きほぐす系譜学的研究に委ねて,問い直されるべき立場にある。
著者
杉本 良男
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.27, no.4, pp.615-681, 2003

「儀礼」の概念は,ヨーロッパ・キリスト教世界とくにプロテスタントからは否定的なイメージをもたれている。そこには,カトリックとプロテスタントとの対立関係が潜在しているが,とくに19世紀イギリスにおける「儀礼主義」は,福音主義者からのはげしい非難にさらされた。1830年代をさかいにイギリス植民地政策そして宗教政策は,現地主義から文明化路線へと大きく転換をとげた。それは,福音主義的なイデオロギーに基づく変革であり,そのことが,当然ながら植民地スリランカにおける宗教儀礼のあり方にも大きな変化を与えた。小稿では,ポルトガルに始まり,オランダを経てイギリスの植民地支配を経験したスリランカにおいて,「儀礼」がどのような視線にさらされ,またその視線をどのように受け止め,さらにその結果,現在どのような存在形態を示しているのかについて,系譜学的に跡づけたものである。
著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.285-351, 2012-02-27

小論は,スリランカの仏教改革者でかつ闘う民族主義者としてのアナガーリカ・ダルマパーラの流転の生涯,およびそれ以後のシンハラ仏教ナショナリズムの展開に関する人類学的系譜学的研究である。小論ではダルマパーラの改革理念のもつ曖昧性や不協和にこだわり,あらたに再編されたシンハラ仏教を,近代西欧的,キリスト教的モデルを否定しながらその影響を強くうけたものとして,その理想と現実との食い違いを明らかにする。こうした改革仏教はオベーセーカラによって2 つの意味を持つ「プロテスタント仏教」と名づけられた。ひとつには英国植民地支配に「プロテスト」するためのシンハラ仏教ナショナリズムと深く関わっている。ふたつには,マックス・ウェーバーのいう在家信者を主体とするプロテスタント的な現世内禁欲主義を仏教に応用しようとしたものである。しかしながら,ダルマパーラの急進的なナショナリスト的改革はいったん頓挫し,1950 年代半ばのバーダーラナーヤカ政権の「シンハラ唯一」政策などによって実質化されることになった。そのさい仏陀一仏信仰を旨とするプロテスタント的仏教は,宗教的に儀礼主義と偶像崇拝を排除し,また政治的にはタミル・ヒンドゥー教徒などの少数派を排除する論理を提供した。もともとナショナリズムと親和的なプロテスタンティズムの論理が貫徹したシンハラ仏教ナショナリズムはそれまであいまいであった民族間,宗教間の対立を実体化し深刻化する結果を招いた。ダルマパーラの改革仏教はそうした紛争の一因を提供した意味においても評価されなければならない。
著者
杉本 良男 杉本 良男
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.3, pp.445-534, 2020

小論は,スリランカ(セイロン)の仏教改革者アナガーリカ・ダルマパーラにおける神智主義の影響に関する人類学的系譜学的研究である。ダルマパーラは4 度日本を訪れ,仏教界の統合を訴えるとともに,明治維新以降の目覚ましい経済・技術発展にとりわけ大きな関心を抱き,その成果をセイロンに持ち帰ろうとした。実際,帰国後セイロンで職業学校などを創設して,母国の経済・技術発展に貢献しようとした。そこには,同じく伝統主義者としてふるまったマハートマ・ガンディーと同様に,根本的に近代主義者としての性格が見えている。ところで,一連のダルマパーラの活動の手助けをしたのは,神智協会のメンバーであったこと,さらには生涯を通じて神智主義,神智協会の影響が決定的に重要であったことは,これまでそれほど深くは論じられてこなかった。しかし,ケンパーが言うようにダルマパーラにおける神智主義が世上考えられているよりはるかにその影響が決定的であったことは否定すべくもない。さらに,神智協会が母体となってセイロンに創設された仏教神智協会は,ダルマパーラの大菩提会とは仇敵のような立場ではあったが,ともに仏教ナショナリズムを強硬に主張した点では共通していた。仏教神智協会には,S.W.R.D. バンダーラナーヤカ,ダッドリー・セーナーナーヤカ,J.R. ジャヤワルダナなど,長く独立セイロン,スリランカを支えた指導者が集まっていた。その後の過激派集団JVP への影響も含めて,神智主義の普遍宗教理念が,逆に生み出したさまざまな分断線は,現在まで混乱を招いている。同じように,インド・パキスタン分離を避けられなかったマハートマ・ガンディーとともに,神智主義,秘教思想を媒介にしたその「普遍主義」の功罪について,その責めを問うというよりは,たとえそれが意図せざる帰結ではあっても,その背景,関係性,経緯などを解きほぐす系譜学的研究に委ねて,問い直されるべき立場にある。This anthropological, genealogical study examines Sinhala Buddhistnationalism in Sri Lanka after the influence of Anagarika Dharmapala(1864–1933), an internationally reputed, Buddhist reformist and Sinhalanationalist of Ceylon. During his life, which was devoted entirely to the propagationof Buddhism and militant Sinhala-Arya Buddhist nationalism, he visitedJapan four times, 1889, 1893, 1902, and 1913. The connection betweenJapan and Dharmapala was established through the Theosophical Society,founded in 1875 in New York, later shifted to Madras in 1879. As Dr.Stephen Kemper rightly pointed out, Dharmapala was much more deeplyinfluenced by theosophy than scholarly accounts have averred. His familywas devoutly Buddhist and Theosophist. At the age of 16, Dharmapala firstmet co-founders of the Theosophical Society, "Madame" Blavatsky and'Colonel' Olcott, in Colombo in 1880. He joined the Society in 1884, and leftfor Madras to assist the work of Blavatsky and Olcott. However, tensionsarose in his relationship with the Society, particularly with Olcott, mainlybecause of his progressive identification with the Buddhist cause after foundationof the Maha Bodhi Society in 1891.Although Dharmapala had great sympathy for Japan, he did not latermake much headway in Japan. The main reason underpinning the failure ofDharmapala's project for a unified Buddhist mission in Japan based on thecooperation of all the Buddhist sects was the Mahayana–Theravada schismand severe sectarian conflicts. As a modernist, he was concerned aboutJapanese economic and technological development after the Meiji Revolutionas well as Buddhist revivalist and reformist. Dharmapala founded theHewavitarana Industrial Centre as the first industrial training school in thecountry. His idea was a fusion of modern technology and economic developmentwith traditional Theravada Buddhist values. Both AnagarikaDharmapala and Mahatma Gandhi (1869–1948) were from merchant backgroundfamilies of South Asia under British colonial rule. As elite nationalists,they held paradoxical beliefs about British and Western modernism withtraditional religious universalism based on traditional Hindu and Buddhistideas.
著者
杉本 良男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:00215023)
巻号頁・発行日
vol.43, no.1, pp.39-62, 1978

This paper is an attempt to present a structural analysis of the religious system of the Sinhalese of Sri Lanka (Ceylon). Anthropological study of the religion and society in South Asia has made great progress since SRINIVAS'S classic "Religion and Society among the Coorgs of South India" first published (1952). SRINIVAS pointed out two major problems in his monograph. On the one hand, he introduces the concept of 'spread' in Hinduism (All-India, Peninsular, Regional and Local). He emphasized the relation between all-Indian and Local Hinduism, or the sanskritic and the non-sanskritic Hinduism. The idea of this separation has been developed by some investigators, e. g. REDIFIELD(Great Tradition/Little Tradition), MARRIOTT (Universalization/Parochialization), and MANDELBAUM (Transcendental/Pragmatic) , in the studies of peasent society. On the other hand, SRINIVAS demonstrates how the religious notions of good-sacred (pure) and bad-sacred (impure) determine Hindu caste hierarchy and caste behaviours. The 'pure-impure concept' (or 'pollution concept') correlating religion with social structure has been assumed to be the basis of the Indian caste system. Especially, HARPER demonstrates how there is a broad reflex of three-class-caste system (high-middle-low) in three grades (gods, deities, spirits) and of ritual status (pure, pure/impure, impure) . HARPER'S idea is a knot of SRINIVAS'S two problems. First, I examine the utility of the hypotheses of SRINIVAS and HARPER critically, and then outline the total religious system of the Sinhalese through the structural analysis of rituals. The doctorine of Theravada Buddhism and primitive religion has been fused in Sri Lanka since 3c B. C., but people's religious behaviour now is that of a single religious tradition that is Sinhalese Buddhism, which is closely linked with the great tradition (Theravada Buddhism) . Sihhalese Buddhism includes various levels of Supernatural beings. This 'Pantheon' is neither Theravada Buddhist nor a magical animist one, but a 'Sinhalese Buddhist Pantheon'. The 'Pantheon' is hierarchically structured as follows. (1) The Buddha : the repository of power and divine authority, (2) Gods (deviyas) : Guardian deities and local gods who have power and divine authority over a certain area, and subordinate to the Buddha as a super deity, (8) Demons (yakas) : demons, dead relatives, goblins, and ghosts who are completely malevolent, punitive, and causing fear in men's hearts. Besides these Supernatural beings, there are some mediators who mediate between men and the supernatural beings. (1) The Buddhist monks (bbikkhu) : Mediators between men and the Buddha who is an other worldly being, (2) The astrologers (sastra kariyas) : Mediators between this world and the other world. Buddhism is connected with other-worldly oriented things (lokottara), while Magical-animism (god worship and demon worship) is connected with things of this world (laukika). Both systems are not contradictory but complementary. So, Buddhist monks may visit an exorcist to obtain cures in the case of irrational illness. This self-contradiction can be solved by the clear distinction between lokottara and laukika. The binary opposition between Buddhism and Magical-animism may be seen in the opposition between Buddhism and god worship as well. The Buddhist temple (vihara) and the shrines for the gods (devale) are often housed under one roof or at the same site. There are regular rituals in the vihara (Buddha pujava) and the devale (devapujava).
著者
関根 康正 杉本 良男 永ノ尾 信悟 松井 健 小林 勝 三尾 稔
出版者
日本女子大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1999

1990年代以降のインド社会において宗教対立が深刻化しているが、それが経済自由化と平行現象であることに注目した。本研究は、近年のグローバリゼーションの進展と「宗教空間」の変容をどのように対応づけられるのかを、具体的な日常現場の調査を通じて明らかにすることをめざした。この基礎研究によって、日常現場から見えてくるHindu Nationalistとは言えない「普通」の人々の宗教実践から、政治的な場やメディアなどでの「宗教対立」の言説を、正確に相対化し、「宗教対立」問題を見直すのである。明らかになってきたことは、生活現場の社会環境の安定性の度合が、「宗教対立」現象に関与的な主要因子である点である。要するに、それが不安定になれば上から「宗教対立」の言説に惹かれて不安の由来をそこに読みとってしまう「偽りの投影」に陥りやすくなるのである。逆に、安定性が相対的高い村落部では現今の「対立」傾向を知りつつも生活の場での「共存・融和」を優先させている現実が明らかになった。各地の現地調査から共通して見出された重大な事実は、そうした村落部でおいてさえ、都市部ではなおさらであるが、宗教のパッケージ化が進んできていることである。これは、生活文化におけるローカルな知識の急速な喪失を意味し、それと入れ替わるように生活知識のパッケージ化が進行し、宗教面においてもしかりである。宗教版グローバル・スタンダードの浸透現象である。これは、「宗教対立」を起こしやすい環境を整えることにもなる。その意味で、私達が注目した宗教の裾野や周辺現象(スーフィー聖者廟、女神信仰、「歩道寺院」、村落寺院、地方的巡礼体系、部族的社会様態など)への関心とそれに関する詳細な実態報告は、それ自体パッケージ化やスタンダード化に抗するベクトルをもつものであり、そうしたローカルな場所に蓄積されてきた知恵を自覚的に再発見する環境づくりを整備することが、「宗教対立」という言説主導の擬態的現実構築を阻止し解体のためにはきわめて重要であることが明らかになった。
著者
杉本 良男
出版者
日本文化人類学会
雑誌
民族學研究 (ISSN:24240508)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.242-261, 2003-09-30 (Released:2018-03-22)

人類学において「比較」の方法は時代おくれのものとみなされ、また現地調査そのものも批判の対象になっている。そのような批判に過剰反応して、人類学の一部は、調査、民族誌記述比較など、従来の学問の中心的な営みとされてきた部分をそぎおとし、自己・主体に閉塞する私小説的な相貌を帯びてきている。ラドクリフ=ブラウンやマードックらによる科学主義的な比較研究は、みずからか神の視点に立つ普遍主義的前提にもとづいていたが、レヴィ=ストロース、デュモンらによる遠隔の比較には、西欧中心主義を相対化する視点が含まれていた。デュモンのいう宿命としての比較に対して、非西欧世界の人類学者にはさらに、比較の前提となる単一性、普遍性が外から与えられてきたという点で、大きく異なっている。人類の普遍性、人間の単一性とはキリスト教世界が浸透させてきた神話の意味があるが、このような普遍神話、単一神話は、非西欧世界のエリートによって受容され、定着させられてきた歴史もある。このような限界を意識した、いわば物象化された普遍性を前提とした比較の試みは、西欧中心主義を批判するとともに、人類学のあたらしい可能性をも示唆している。
著者
杉本 良男 Yoshio Sugimoto
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.305-417, 2007-03-23

小稿は,南アジアに広く受けいれられている聖トマス伝説について,1)現在の状況の概要,2)聖トマス伝説の形成と展開およびその歴史的背景,3)ヒンドゥー・ナショナリズムとの関係のなかでの現代的意義,とりわけ2004 年末のスマトラ沖大地震・インド洋大津波をめぐる奇蹟譚の解釈をめぐるさまざまな論争と問題点,について人類学的に考察しようとするものである。問題の根本は,インド・キリスト教史の出発点としてつねに引き合いに出される聖トマスによる開教伝説の信憑性をめぐる論争そのものの政治的な意味にある。南インドには,聖トマスの遺骨をまつるサントメ大聖堂をはじめトマスが隠棲していた洞窟などが聖地として人びとの信仰を集めている。その根拠とされるのは新約聖書外典の『聖トマス行伝』であり,これを信ずるシリア教会系のトマス・クリスチャン(シリアン・クリスチャン)がケーララ州に400 万の人口を数えている。聖トマス伝説はポルトガル時代にカトリック化され,また聖トマスが最後ヒンドゥー教徒の手で殉教した,とも伝えられる。これが,さきの地震・津波災害のおりには,反キリスト教キャンペーンのターゲットにもなっていた。2 千年のときを経て聖トマスはいまも政治的,宗教的な文脈のなかで生きているのである。
著者
杉本 大三 井上 貴子 杉本 良男 杉本 星子 柳澤 悠 粟屋 利江 Anandhi Shanmugasundaram
出版者
名城大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

インドにおける消費生活の変化を、食料や衣服などのモノの消費、宗教に関連する消費、タミル語雑誌広告などの面から多面的に検討してインドの消費市場の急激な拡大を実証するとともに、そこに表れた社会の構造的変化を浮き彫りにした。また、都市部貧困層の消費生活を分析し、低品質・低価格品への選好が強いことなどの特徴を明らかにしたうえで、そうした消費パターンが、多くの都市部貧困層の出身地である農村部のそれと共通していることを示し、都市・農村間の人的・物的循環がインドの消費市場のあり方を強く規定していること、このことが今後のインドの消費市場の発展を制約する要因となりうることなどを指摘した。