著者
柳原 良江
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.79-92, 2019-04-20 (Released:2020-04-20)
参考文献数
21

代理出産は1976 年に米国で発明された商業的な契約である.当時の批判的な世論に影響された結果,商業的要素の低い人助けとしての位置づけがなされた.その後ベビーM事件により下火となるも,1990 年代に体外受精を用いる形で普及し,2000 年代からは生殖アウトソーシングと呼ばれる越境代理出産が流行し,世界的な一大市場を形成してきた. このような代理出産には,乳児売買,かつ女性の赤ちゃん工場化であるとの批判がなされてきたが,後者は女性の〈妊娠・出産というサービス〉と解釈されることで,身体の商品化を免れるレトリックが構築されてきた.しかし代理出産の現状は,それが女性の生命機能全体の商品化であることを示している. これら代理出産を支える論理は,生命科学知により分節化されつつ発展する「生-資本」が機能する社会の中で構築されている.そして代理出産市場は,このような社会で人の潜在的な〈生殖可能性〉を喚起しながら拡大を続けている.
著者
柳原 良江
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.179-191, 2020-04-30 (Released:2021-04-30)
参考文献数
21

代理出産の利用をめぐる議論は,用いる生殖技術の変化や,関与する人々の多様化に伴い,拡散する傾向にある.一方,同様に生命科学技術が引き起こす,脳死臓器移植や安楽死など生から死への変化に関する問題では,フーコーの生政治論を援用することで,一定の秩序に沿って説明する動きが生じている.本稿は,同様の生政治論を代理出産の文脈に応用し,代理出産にまつわる諸現象の奥に存在する力学を確認することで,混迷を極める議論を,秩序立てたものへと整理する試みを実施する. まずは本稿で扱う生政治論の射程を確認するため,フーコーの生政治論と,その没後に展開された生政治論の概観を整理する.次に生政治論の中でも「人体の解剖・生政治論」に焦点を当て,そこで意図される権力構造を確認する.その上で,20 世紀後半から生じた,人の生殖に関する認識の変化を「人体の解剖・生政治論」を用いて説明する.それらを踏まえて,代理出産に関する言説を中心に,生政治の作動形態を具体的に論じていく.
著者
柳原 良江
出版者
日本家族社会学会
雑誌
家族社会学研究 (ISSN:0916328X)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.41-54, 2021-04-30 (Released:2021-05-26)
参考文献数
23

代理出産とは,他者に妊娠・出産を依頼し,産まれた子を引き渡す契約を結び子を得る方法を指す.この方法はしばしば「新しい問題」とされるが,歴史的に見れば,東アジアで20世紀前半まで長らく行われた「契約出産」の一形態である.近年,グローバルな市場を構築する代理出産は,1976年に米国人弁護士が発明した商品に端を発する.90年代に体外受精を用いた代理出産が用いられ始めると,親権裁判では,子との遺伝的・身体的な繋がりではなく「子を持つ意志」が優先され,子を持つ意志と経済力さえあれば誰でも子を持てるようになった.代理出産で依頼者が求めるのは「近代家族」の形成である.代理出産は家族の多様化ではなく,近代家族を形成できる人々の多様化を引き起こした.したがって,代理出産で作られる家族は,均質な近代家族へと収束する.代理出産は,女性と子を危険に晒しながら,人々をより窮屈な家族観に閉じ込める装置となっている.
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.25, no.1, pp.4-12, 2015-09-26 (Released:2016-11-01)
参考文献数
19
被引用文献数
2

日本人は既に長年外国で卵子提供を実施しているが、その実態が明らかにされることはなかった。本研究では聞き取り調査をもとにその現状を述べ、卵子提供の持つ倫理的問題を考察する。 卵子提供には医学的リスクが伴うにも関わらず、それらに十分に研究されておらず、またその事実が周知されていない。しかし米国で日本人から採卵する斡旋業者はリスクを適切に伝えず提供者を募集している。そこで交わされる契約のもと、提供者は自らが想定外の健康被害を被っても放置され、保険で賄われない健康被害は提供者が負うことになる。また提供者の都合で卵子提供に不備が生じれば、その損失も提供者が支払わねばならない。こうした問題により訴訟も起きているが、この実態が第三者に伝わることはなく、それらの現実は人々に知られないままである。 卵子提供は他者による身体管理や生活管理を含むが、近代化された社会の中で、その隷属性が見えなくなっている。それにも関わらず卵子提供が問題視されてこなかったのは、卵子提供が臓器移植をはじめ近代医学の例外的措置を利用し、それらをつなげて作られた、人権の考慮されない言説の中に存在しているためである。
著者
柳原 良江
出版者
実践女子学園
雑誌
下田歌子研究所年報 女性と文化 = Women and Culture - The Annual Bulletin of the Shimoda Utako Institute
巻号頁・発行日
vol.2, pp.34-51, 2016-03-10

Since the creation of conducting modern surrogacy in the U.S. in 1976 the method has been criticized as baby selling and making use of women as a tool. On the other hand, the supporters of conducting surrogacy regard it as a fruit of scientific technology, and considered any problemsresulting from it as negligible factors. Similarly, the supporting opinions constructed logics which use a concept of “women’s reproductive rights”. These words mainly connote the “right to privacy” as an underlining idea of abortion rights in the U.S., and “reproductive health/rights” advocated at the International Conference on Population and Development in Cairo. With these connotations, these concepts were employed to support surrogacy as a basis that women have the right to choose whether or not they conceive by their own will. Contrarily, in Japan, the concept of “women’s reproductive rights” had its meaning stretched to include a right to family formation. This new interpretation was employed as a basis to the support of surrogacy. This broad interpretation was realized by promoting prejudice towards surrogate mothers who were labeled as deviations of regular human beings, and discriminative attitudes toward the surrogate women’s risks of life and health which were also considered less important. Recently, the expansion of understanding from the U. S., relies on the fact that conceiving babies is meaningless; therefore, the support for surrogacy relies on a recognition which is constructed with the use of sex discrimination against women.
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.21, no.1, pp.12-21, 2011-09-25 (Released:2017-04-27)

代理出産の是非に対する議論を深める上では、まずは現在の混乱の根元に横たわる倫理的な問いに対峙する必要がある。本稿の目的は、代理出産の展開に対する歴史的経緯と、その認識枠組みに対する変遷をたどり、この問いを明確化することである。他者に依頼して子を産ませる行為は、洋の東西を問わず、複数の文化の中に存在していたが、それらはキリスト教に影響された性規範や、近代的な人権意識によって次第に廃止され、代理出産のニーズは存在しつつも不可視化された状態にあった。1976年以降、米国でノエル・キーンをはじめとする斡旋業者が、この行為を科学の進歩主義や、身体の自律を謳う一部のフェミニズム思想など、近代的な枠組みの中で再提示したことを契機に、この行為に対する要請は再び表面化し、現在では装いを新たにした代理出産が、広く用いられている。こうした歴史的展開から、代理出産の根底にあるのは、他者の身体を利用する行為に対する倫理的問いであると言えよう。
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.17, no.1, pp.223-232, 2007
参考文献数
17
被引用文献数
2

欧米諸外国では1980年代より同性愛カップルが養子縁組をしたり、人工授精を経て妊娠・出産して得た子を育てる場合がみられており、近年わが国でも同様の事例が見られるようになってきた。本研究では、当事者への聞き取り調査を通じて、わが国での現状を把握するとともに、一般化する生殖医療がもたらす課題について検討する。調査協力者は子育てをしている女性同性愛者カップル2組であり、ともに人工授精を試み、1例は妊娠・出産したが、もう1例は妊娠には至らず、米国人のパートナーへ国際養子縁組を迎えている。彼女たちの子育ては、親族や地域の人々の支援を得ながら行われているが、それはわが国では、協力者たちが例外的存在として捉えられているためであり、同性愛者の子育ては、未だ不可視的な状態だと考えられる。本調査の結果は、わが国でも今後は、生殖と個人の性的状況との関わりを問うことの重要性を示すものとなった。
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.48-55, 2001-09-17 (Released:2017-04-27)
参考文献数
14

男性中心主義は、女性の生殖能力の保存を成立基盤としており、長い間、女性のセクシュアリティの管理を行うことで、その維持を図ってきた。しかし医学や科学技術の発展により、生存様式が変化しつつある現在、過剰に女性の生殖機能を重視する男性中心主義は、もはや有効性を失ったといえる。性交は二者間で身体摩擦を与えあう現象と捉えられるが、その行為を成立させる必要条件と、行為の間に各自が受け取る感覚によって、当事者は「自己」に影響を受ける。女性においては「自己」への影響が、男性中心主義の文脈で解釈される事により、男性中心主義的社会システムの維持に利用されてきたと考えられる。また、この過程は、生活において避けられないものとして隠蔽され、女性の人権侵害を行っている。しかしそれは、性行為が男性中心主義を維持し続けるための巧妙な装置である状況を示していると言えよう。
著者
柳原 良江
出版者
科学技術社会論学会
雑誌
科学技術社会論研究 (ISSN:13475843)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.79-92, 2019

<p> 代理出産は1976 年に米国で発明された商業的な契約である.当時の批判的な世論に影響された結果,商業的要素の低い人助けとしての位置づけがなされた.その後ベビーM事件により下火となるも,1990 年代に体外受精を用いる形で普及し,2000 年代からは生殖アウトソーシングと呼ばれる越境代理出産が流行し,世界的な一大市場を形成してきた.</p><p> このような代理出産には,乳児売買,かつ女性の赤ちゃん工場化であるとの批判がなされてきたが,後者は女性の〈妊娠・出産というサービス〉と解釈されることで,身体の商品化を免れるレトリックが構築されてきた.しかし代理出産の現状は,それが女性の生命機能全体の商品化であることを示している.</p><p> これら代理出産を支える論理は,生命科学知により分節化されつつ発展する「生-資本」が機能する社会の中で構築されている.そして代理出産市場は,このような社会で人の潜在的な〈生殖可能性〉を喚起しながら拡大を続けている.</p>
著者
柳原 良江
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.102-114, 2016 (Released:2020-03-09)

本稿は、日本の質的研究において要請されている、質的な社会調査と社会理論との連結を図る上での一つの試みとして、英語圏で普及し日本では文化社会学とも訳される社会理論「カルチュラル・ソシオロジー」の概念とその系譜を紹介する。本概念を、まず日本における既存の文化研究や質的調査の理論的位置づけと比較し、次に英語圏におけるカルチュラル・ソシオロジーの現状を説明し、最後に日本の実証研究理論との対応関係を述べる。 カルチュラル・ソシオロジーはアメリカ人のアレグザンダーにより提唱され英語圏で普及した。現在、イギリスでは文化全般を扱う社会学として再定義され、アメリカ国内でも諸派が存在する。一方、提唱者のアレグザンダーは「構造解釈学派」とよばれる理論を構築し、そこで「文化の自律性」を重視した「強いプログラム」を採用している。 日本でもこれまでに文化的問題を意識し、遡及的にカルチュラル・ソシオロジーに分類される営みがなされてきた。一方で、その理論的営みが実証研究の現場と十分に接続できていたとは言い難く、理論の不在は時に現場で分析手法の混乱を引き起こしてきた。とりわけ構造解釈学派に対応する理論に欠け、潜在的に本理論を要請する状態にある。この現状を打開するためには、構造解釈学派を援用した理論構築を実証現場の個々の理論と接合していく作業が有効になろう。
著者
柳原 良江
出版者
Waseda University
巻号頁・発行日
2003-01

制度:新 ; 文部省報告番号:甲1697号 ; 学位の種類:博士(人間科学) ; 授与年月日:2003/3/15 ; 早大学位記番号:新3373
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.18, no.1, pp.170-177, 2008
参考文献数
25

従来は一人の母親が有していた妊娠・出産の経験を、代理懐胎の形で他者に代行させることが社会に許容される行為であるかどうかについて、現在も議論が分かれている。本稿では、母親の経験から妊娠・出産経験が分断され、我々の母親概念の認識に影響を生じさせている状況を説明した上で、妊娠・出産の代行にともなう倫理的問題を検討する。母性からの妊娠・出産経験の分断は、代理懐胎の議論において、その経験を不在化させ、男親をモデルとした親子推定を女親に用いることを可能としている。また分断した経験には新たな意味が付与されて、女性の身体利用を容易なものとさせている。こうして元来の妊娠・出産経験は、もはや必須の経験ではないとみなされて、他者に代行可能な行為と考えられている。しかし従来、妊娠・出産経験は、その経験を参照されることで、人々の生命に重みを抱かせる作用を有してきた。そのため妊娠・出産の意味の変更は、我々の生命観を変容させる可能性を持つ。以上より、妊娠・出産の代行には、生命観の変容も視野に入れた、より慎重な議論が必要であると結論づける。
著者
田坂 さつき 島薗 進 一ノ瀬 正樹 石井 哲也 香川 知晶 土井 健司 安藤 泰至 松原 洋子 柳原 良江 鈴木 晶子 横山 広美
出版者
立正大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究は、日本学術会議第24期連携会員哲学委員会「いのちと心を考える」分科会委員のうち9名が参画し、同分科会委員長田坂さつきを研究代表者とする。本研究には、政府が主催する会議などの委員を歴任した宗教学者島薗進、倫理学者香川知晶に加えて、医学・医療領域の提言のまとめ役でもあり、ゲノム編集による生物医学研究の黎明期から先導的に発言してきた石井哲也も参画している。医学・医療領域におけるゲノム編集に関する提言に対して、哲学・倫理の観点からゲノム編集の倫理規範の構築を目指す提言を作成し、ゲノム編集の法規制の根拠となる倫理的論拠を構築することを目指す。
著者
柳原 良江
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.48-55, 2001
参考文献数
14

男性中心主義は、女性の生殖能力の保存を成立基盤としており、長い間、女性のセクシュアリティの管理を行うことで、その維持を図ってきた。しかし医学や科学技術の発展により、生存様式が変化しつつある現在、過剰に女性の生殖機能を重視する男性中心主義は、もはや有効性を失ったといえる。性交は二者間で身体摩擦を与えあう現象と捉えられるが、その行為を成立させる必要条件と、行為の間に各自が受け取る感覚によって、当事者は「自己」に影響を受ける。女性においては「自己」への影響が、男性中心主義の文脈で解釈される事により、男性中心主義的社会システムの維持に利用されてきたと考えられる。また、この過程は、生活において避けられないものとして隠蔽され、女性の人権侵害を行っている。しかしそれは、性行為が男性中心主義を維持し続けるための巧妙な装置である状況を示していると言えよう。
著者
柳原 良江
出版者
東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」
雑誌
死生学研究 (ISSN:18826024)
巻号頁・発行日
no.13, pp.152-182, 2010-03

This paper attempts to clarify how Japanese mass media described gestational surrogacy by focusing on the narratives of surrogate mothers in the articles of popular magazines. The subjects of this analysis are the articles published from June 1981 - around the time when the first articles began appearing - to May 2008. In these articles, gestational mothers were mostly described by people who benefited from their gestation. These people included clients, agents, and a doctor involved in gestational surrogacy in Japan. Through their narratives, gestational mothers in the media are recognized in mainly three aspects.<改行> First, the following perceptions exist about gestational mothers: (l) Gestational mothers are transcendent and are beyond ordinary people. (2) Their existence is holy. (3) They represent the epitome of self sacrifice. These three concepts come from the myth of motherhood that is associated with the sexist portrayal of a woman's role in the society. Second, there are two aspects to the portrayal of the gestational mothers'bodies: (1) metaphors are used for wombs as objects, though a womb is a part of a living body, and (2) while few articles did mention gestational mothers'physical experiences, these experiences were not that focused upon. It is under these perceptions that their bodies are considered as items that should be traded in the market. Third, gestational mothers'personal characters are not mentioned at all.<改行> Popular sentiment (seron), created by the media, is often referred to as the more legitimate opinion in Japan when people consider gestational surrogacy; however, this research indicates the seron is actually organized as mentioned above. Hence, one should be careful when referring to these opinions while considering surrogacy more objectively.