著者
根津 由喜夫 Nezu Yukio
出版者
金沢大学文学部
雑誌
平成14(2002)年度科学研究費補助金 基盤研究(C) 研究成果報告書 = 2002 Fiscal Year Final Research Report
巻号頁・発行日
vol.2000-2002, pp.70p., 2003-04-01

今回の研究の課題は、国土の中に様々な民族集団を抱え、時として厳しい対立や緊張関係を生みつつ、長期的には一定の安定と相互の共生システムを築くことに成功したビザンツ社会の実態をできるだけ詳細に解明することにあった。ここでは、ひとつの事例研究の試みとして、対象とする時期を11-12世紀に絞り、以下の3つの角度からこうした主題に取り組むことを目指した。 第一の視点は、11世紀後半、トルコ人の侵入に伴う混乱の中での小アジアの現地住民の動向を、当時、この地域で勃発した反乱の過程を分析することによって明らかにすることである。小アジア内の異なる地域でほぼ同時期に発生した複数の反乱を相互に比較することにより、それぞれの地域が抱えた特殊事情や、地域の枠組みを越えた当時の小アジアの全般的な情勢などがそこから浮かび上がらせることを目指した。 第二の視点は、11世紀末から12世紀初頭のバルカン半島、とくにテッサロニケ周辺の地域における社会構造を、主としてアトス山修道院文書の分析を通じて解明することである。この時期、この地域にはトルコ人に故郷を追われた小アジア出身の貴族家門が多く移住している。ここでは彼らが現地社会に同化してゆく過程で生じた様々軌轢が解決されてゆくプロセスを、修道院に残された訴訟・係争関係文書を読み解きながら解明しようと試みた。 最後に第三の視点として、西欧勢力の大規模な東地中海沿岸地域への進出が始まった12世紀において、ビザンツが国家の内外においてこうした勢力にいかに対処したかが考察された。
著者
根津 由喜夫
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.260-293, 1991-03-01

金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系
著者
根津 由喜夫
出版者
北陸史学会
雑誌
北陸史学 (ISSN:03868885)
巻号頁・発行日
no.48, pp.21-36, 1999-12
著者
服部 良久 青谷 秀紀 朝治 啓三 小林 功 小山 啓子 櫻井 康人 渋谷 聡 図師 宣忠 高田 京比子 田中 俊之 轟木 広太郎 中村 敦子 中堀 博司 西岡 健司 根津 由喜夫 藤井 真生 皆川 卓 山田 雅彦 山辺 規子 渡邊 伸 高田 良太
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2009-04-01

23人の研究分担者が国内外の研究協力者と共に、中・近世ヨーロッパのほぼ全域にわたり、帝国、王国、領邦、都市と都市国家、地方(農村)共同体、教会組織における、紛争と紛争解決を重要な局面とするコミュニケーションのプロセスを、そうした領域・組織・政治体の統合・秩序と不可分の、あるいは相互関係にある事象として比較しつつ明らかにした。ここで扱ったコミュニケーションとは、紛争当事者の和解交渉から、君主宮廷や都市空間における儀礼的、象徴的な行為による合意形成やアイデンティティ形成など、様々なメディアを用いたインタラクティヴな行為を包括している。
著者
関 哲行 豊田 浩志 多田 哲 三浦 清美 大稔 哲也 長谷部 史彦 根津 由喜夫 松木 栄三
出版者
流通経済大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2003

平成15年度は初年度でもあるので、研究会全体の方向性を確認しつつ、研究分担者と外部報告者による研究会を組織した。研究会のうちの1回では、ロシア人研究者を招聘してシンポジウムを開催し、ギリシア正教を含む比較宗教学の視点から、巡礼の歴史的意味を考察することができた。平成16年度の研究会では文化人類学や四国巡礼に関する報告も組み込み、地中海世界の巡礼研究との異同を確認した。豊田はサンティアゴ巡礼路を自ら徒歩で歩む一方、多田はイギリスの国際学会での報告を行った。平成17年度は豊田が聖地イェルサレムを訪れ、イエスゆかりの聖所についての現地調査を実施した。関と大稔は国際シンポジウム「四国巡礼と世界」に参加し、アジア諸国の巡礼との比較研究の上で多くの知見を得た。平成18年度は科研の最終年度であるので、研究の総括に取り組み、おおよそ以下のような研究成果を確認できた。(1)キリスト教、イスラム教、ユダヤ教という地中海世界の三つの一神教には、教義や教会組織(教団)などの点で相違点が見られる一方で、巡礼については親近性が少なくない。(2)巡礼は教会や教団により敬虔な宗教的営為とされる反面、民衆信仰の要素を常に包摂しており、教会や教団による保護と統制を必要とした。病気治癒に代表される民衆信仰こそが、多くの民衆を巡礼に駆り立てた主要因の一つであった。(3)ユダヤ教がキリスト教やイスラム教の母体となっていることから、三つの一神教に共通する聖地や聖人は少なくない。(4)差別と緊張を孕む地中海世界の総体的把握には、教会や教団の言説だけでなく、民衆信仰の表明としての巡礼にも目を向けなければならない。(5)研究者自身による現地調査や巡礼体験の重要性も、再確認できた。これらは今後の巡礼研究の動向に、影響を与えるはずであるし、その一端が各研究者の著書や論文に垣間見られる。
著者
根津 由喜夫
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2013-03-25

新制・論文博士
著者
根津 由喜夫
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.p44-72, 1987-01

十一世紀後半、ビザンツ帝国政府はマルマラ海に面した港町ライデストスに穀物専売制を導入した。この事件は、当時、帝国の置かれた政治・社会・経済の諸状況を理解するうえで、きわめて貴重な知見を我々に提供してくれる。本稿では、この事件に当事者として関係し、互いに対立する立場にあった二人の人物、すなわち政府高官ニケフォリツェスと史家ミカエル=アッタレイアテスに焦点を当て、彼らの意識の内面に迫ることで、この政策を実施した当局側の真のねらいと、それがやがて失敗に帰した要因を分析し、あわせて当時の時代状況を捉えようと試みた。その結果、ニケフォリツェスの一連の施策は、危機に瀕した帝国を立て直すため、経済活動への介入により、集権的国家体制の再建を意図したものであったこと、しかるにその失敗は、自己の所領で半ば自立的な生活を送る属州貴族たちの生活様式が中央政府内部に同調者を見い出すほどに浸透し、彼らに有利な自由な経済体制がもはや押しとどめられぬほどに進展していた結果であることが判明した。
著者
根津 由喜夫
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.p260-293, 1991-03

一〇二五年、バシレイオスニ世没時のビザンツ帝国は繁栄の絶頂にあるように思われた。だがその一方で、従来の膨張主義的な対外政策は限界に達しようとしており、国内でも、貴族勢力の台頭に伴なう社会の変質が進行していた。本稿の課題は、この時期にビザンツの帝位を占めたロマノス三世アルギュロスの行動の軌跡を追うことで、こうした過渡的時代のビザンツ皇帝権のあり方を考察することにある。とりわけここでは、皇帝が敢行した軍事遠征に焦点を当て、それが彼の政権強化策のなかで占めた重要性を解明したいと思っている。そこで、我々は、彼が皇帝に登位するに至る経緯と、彼の政権の主要構成員の特徴を明らかにすることで、ロマノスが大遠征に乗り出した動因を検証し、さらに、遠征の前後に発生した陰謀事件の分析を通じて、この軍事行動の失敗が彼の権威の失墜を必然たらしめたことを理解することになるのである。
著者
根津 由喜夫
出版者
古代学協会
雑誌
古代文化 (ISSN:00459232)
巻号頁・発行日
vol.41, no.2, pp.22-37, 59, 1989-01-01

金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系
著者
根津 由喜夫
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.80, no.5, pp.639-675, 1997-09

十一世紀の後半に相次いでビザンツ皇帝となったイサキオス一世とコンスタンティノス十世の治世は、対照的な外見を呈している。前者は典型的な軍人皇帝として軍備強化と厳しい緊縮財政を推進したのに対し、後者は民政を重視し、支持者に気前よく財貨を分配した。本稿の課題は、こうした両者の統治スタイルの違いが、彼らの追求した政治的課題の内容に起因していたことを立証することにある。考察の結果、小アジアの有力貴族出身のイサキオス一世が、自らの社会的背景を無視し、国家公権の強化、皇帝独裁権の確立を図ったことが彼の孤立と最終的な退陣を招いたこと、逆に貴族層の利害を尊重し、王朝樹立に精力を集中したコンスタンティノス十世は、貴族たちへの統制力を低下させ、軍事的危機が深刻化するなかで、充分な支配権を行使できなくなり、それが息子への権力継承の阻害要因になったこと、が明らかになった。
著者
根津 由喜夫
出版者
金沢大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究では、中世、ビザンツ帝国に成立した軍事聖者崇敬が周辺のスラヴ・東欧世界に伝播し、その地に定着し、独自の発展をしてゆく過程を分析し、地域ごとに生まれた特性を比較、検証した。特に注目したのは、テサロニケの聖デメトリオス信仰がブルガリア、セルビアで受容されるプロセスである。こうした課題を究明するため、文献調査と並んで、両国の教会や修道院などに残さされた壁画などの現地調査も実施し、それらの地域でビザンツに由来する軍事聖者が現地の守護聖人として定着してゆく過程が確認された。