著者
海老田 輝巳
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.36, no.3, pp.89-109, 2000-02

我が国の近代文学を代表する二大巨匠は、夏目漱石、森鴎外(森鴎外、夏目漱石)であることは、今さら言うまでもない。この二人には、前者が英文学者、後者が軍医でドイツ文学者、また五歳の年齢差があるが、文学はもとより、漢学の造詣の深さに対しても瞠目に値するものがある。漱石の作品には、英文学をはじめとする欧米の文学、哲学、美術のみならず、東洋の文学、哲学、芸術などの反映が見られる。特に中国哲学においては、儒学思想(儒家思想)、老荘思想(道家思想)、禅の思想が漱石の作品に大きく反映している。この点については、すでに先学によって論究されている。たとえば、儒学・老荘の思想については、漱石と荀子性悪説、老子に関するものとして、江藤淳「漱石と中国思想-『心』『道草』と荀子、老子」(雑誌『新潮』昭和五十三年四月号)、陽明学に関するものとして、佐古純一郎「夏目漱石と陽明学」(『夏目漱石論』昭和53年審美社)の名著がある。たしかに、この江藤・佐古両氏の論考については、何れも卓越せる著作である。漱石の小説『こころ』について、江藤氏は荀子性悪説に基づくものだとし、佐古氏は陽明学の心学に基づくものとしているが首肯できない。この点については、すでに論述しているのでここでは述べない。だからといって漱石の作品に、荀子や王陽明の影響が全くないというのではない。漱石の作品によっては、荀子や王陽明の影響を受けているものがあり、特に陽明学の影響は大きい。漱石の中国哲学、中国文学の造詣は、少年時代に学んだ漢学塾によるものである。その漢学塾は、陽明学者三島中洲の創立した二松学舎(現二松学舎大学)である。したがって漱石は、陽明学の影響を受けた。また中国哲学を代表する孔子や『論語』の影響も受けた。のみならず関わりの深い中国に対する観方については、紀行文、その他の作品で見ることができる。
著者
海老田 輝巳
出版者
九州女子大学・九州女子短期大学
雑誌
九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
巻号頁・発行日
vol.36, no.1, pp.79-91, 1999-09

津和野は、森鴎外の生地として多くの人々に知られ、現在、西日本における観光地としても有名である。鴎外の津和野在住は生誕から一八七二(明治五)年、十歳(数え年十一歳)までの十年間であった。この間、鴎外は、六歳(数え年。本論では数え年で論述)の時、藩校養老館の教官村田義実に『論語』を学び、八歳から藩校養老館で、四書五経の経書や『史記』その他の史書などを学んだ。廃藩置県で養老館が閉校になるまでの約二年間藩校の経営が続けられた。一七八六(天明六)年から一八七一(明治四)年までの八十五年間、養老館の教学は、山崎闇斎(一六一八-八二)を祖とする朱子学、すなわち崎門学派の朱子学が根幹であった。八十五年間には、時代の趨勢によって、洋学が採り容れられたり、日本神道や国学が中心になったこともある。また我が国啓蒙思想家西周(一八二九-九七)によって、これらの思想を包括して広い視野に立った近代教育への脱皮の試みがなされたこともあった。森鴎外は藩校養老館で学んだ最後の学生の一人である。彼は、死去する五年前、一九一七(大正六)年に、随筆「なかじきり」を『斯論』第一巻第五号に掲載し、「幼い時に宋明理気の説が、微かにレミニサンス(筆者注-フランス語で、無意識の記憶。)として心の根底に残ってゐて、」と述べ、さらに「同書」で、宋代理学、すなわち朱子学と西欧のエドワルト・フォン・ハルトマンの無意識哲学やショーペンハウエルの厭世哲学の影響が、鴎外の思想的生涯に大きいことを述べている。本論では、藩校設立以前の藩学の状況、藩校設立に崎門学派朱子学を導入した際の経緯、それ以降の藩学の推移などについて論述し、崎門学の果たした役割について述べる。