著者
盛田 帝子
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 = Otemae Journal (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
no.20, pp.259-329, 2021-03-31

本稿は「光格天皇主催御会和歌年表―享和期・文化期編」(『大手前大学論集』第19号」)の続編として、文化15年(文政元年)(1818)~文政13年(天保元年)(1830)までに光格上皇が主催した仙洞御会での光格上皇の御製、および仁孝天皇が主催した内裏御会での光格上皇の御製・仁孝天皇の御製を年表形式で提示したものである。底本には、国立国会図書館所蔵『内裏和歌御会』(請求記号:124-202)・同所蔵『仙洞和歌御会』(124-202)を用いた。また代々御所伝受の保持者を輩出した有栖川宮家伝来の宮内庁書陵部所蔵『御会和歌留』(請求記号:有栖-5081)によって校訂した。文政期は、光格上皇の歌人としての面に光をあてれば、仙洞御会を営みながら、仁孝天皇の歌道教育に力を注いだ時期であり、対面しての和歌指導を行い、仁孝天皇歌壇を支える事になる廷臣達をも含め、次々に御所伝受を相伝している。また在位中に引き続き、中宮欣子内親王の重用や女房歌人達の活躍なども見られる。その他の文化面に光をあてれば、管絃に力を入れながら、修学院離宮への御幸の再興や、中務卿韶仁親王への入木道御伝受の相伝、また、前権大納言四辻公萬から蘇合香、筝を相伝されるなどの事がある。『光格天皇実録』(ゆまに書房、2006年)等から出典を示して事項を記し、それらの事柄と御会の運営状況との関係性、文政期の光格上皇の動向を立体的に提示することを試みた。
著者
盛田 帝子
出版者
日本近世文学会
雑誌
近世文藝 (ISSN:03873412)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.29-41, 2017 (Released:2018-01-31)

During the Bunka-Bunsei Period the publication of private poetry collections suddenly came into fashion. This article will elucidate this literary phenomenon through the publishing history of Kamo-no-Suetaka’s private collection Unkin-ou-kashū. The collection was very popular; it was reprinted several times by different publishers after 1,000 copies of the first edition were sold. But at first the plebeian poet of the Dōjō School declined to make public his work in spite of recommendations from his colleagues because he hated to be compared with Motoori-Norinaga who issued his poetry collection Suzunoya-shū. After thirty-year silence, however, Suetaka decided to publish his poems, not only moved by his literary friend Nagaharu-Sukeyoshi’s strong encouragement but also stimulated by Norinaga’s successful dedication of his collection to a royal member. Or he did so in the cultural context where any poets, plebeian or not, came to think it a duty to publish their own works in a less restrictive atmosphere of the age.
著者
盛田 帝子 Teiko MORITA
出版者
大手前大学
雑誌
大手前大学論集 = Otemae Journal (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.61-117, 2018-07-31

本稿は「光格天皇主催御会和歌年表―天明期編」(『大手前大学論集』第17号)の続編として、寛政期に光格天皇が主催した内裏の御会および光格天皇の詠草を年表形式で提示したものである。底本には、光格天皇歌壇の一員、もしくはその周辺人物でなくては知りえない情報が注記されている国立国会図書館所蔵『内裏和歌御会』(請求記号:124-202)を用いた。寛政期は、光格天皇の歌人としての面に光をあてれば、後桜町院上皇から御所伝受を相伝され、歌道宗匠として門人への添削を開始、門人に御所伝受の相伝を始めた時期であり、天明の大火のため仮御所としていた聖護院宮から新造御所への遷幸、幕府との関係では父の閑院宮典仁親王に太上天皇号をおくろうとした尊号一件、父典仁親王の薨去、後桃園天皇の第一皇女で唯一の御子であった欣子内親王との婚儀、儲君となった皇子温仁親王の誕生と薨去など様々な出来事が目まぐるしく起こった時期でもある。『光格天皇実録』(ゆまに書房、2006年)等から出典を示して事項を引用し、それらの事柄と御会の運営状況との関係性、寛政期の光格天皇の動向を立体的に提示することを試みた。