著者
石原 昌家
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.31-54, 2007-03-31

沖縄戦における住民の集団自決という用語に内在している問題の核心は、日本政府・皇軍(旧日本軍)の戦争責任が免責されるという点にある。すなわち、沖縄戦体験を記録したり、語ったりするとき、住民に集団自決という「援護法」の用語を用いた場合、単なる言葉の表現上の問題ではなく、その意味するところは、沖縄戦が「靖国思想」に立脚した「軍民一体の戦闘」だったという認識に立つことになるのである。つまり、「援護法」適用のための用語である集団自決と「強制集団死」(軍事的他殺)を明確に区別しないと、沖縄戦における住民被害の本質を見誤ることになる。
著者
石原 昌家
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学文学部紀要. 社会篇
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.59-67, 1973-03-10
著者
石原 昌家
出版者
沖縄国際大学
雑誌
沖縄国際大学社会文化研究 (ISSN:13426435)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.23-41, 2008-03

2008年、年明け早々、沖縄から「靖国神社合祀取消」が提訴されるということが明るみなった。それは戦後63年も経て、沖縄戦体験研究者に「沖縄戦体験とは何だったのか」とか「沖縄戦体験の認識」を改めて問うものである。1970年から戦争体験の聞き取り調査を実施してきた筆者としては、「靖国神社合祀取消」訴訟にあたって、ただちに沖縄戦体験との係わりを実証的に論理展開できるほどの研究を蓄積しておくべきであった。しかしながら、沖縄戦体験と靖国神社合祀との係わりについては、2005年4月以降、資料収集に着手したに過ぎず、一年前の2006年2月に、「援護法」によって捏造された「沖縄戦認識」-「靖国思想」が凝縮された「援護法用語の集団自決」-を書き上げたにすぎない。そこで本論では、「援護法」が日本の国会でいかなる議論の中で制定されたか、それが制定される過程で日本人が戦争責任を総括する機会を失うことになったことや「援護法」が沖縄にも適用されることによって米軍政下の沖縄が「靖国化」されていったことを明らかにしていく。