著者
石川 禎浩 高嶋 航 小野寺 史郎 村上 衛 森川 裕貫 田中 仁 丸田 孝志 江田 憲治 瀬戸 宏 武上 真理子
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

2017年度は、研究分担者の協力を得て2015年4月に発足した毛沢東伝研究についての共同研究グループの研究会を継続実施した。研究グループによる研究例会は基本的に隔週金曜午後に京大人文研で定期開催し、年度内に15回開催することができた。例会では2015年以来収集してきた毛沢東伝に関するデータ、資料、様々な版本などを持ち寄って分析するとともに、毛沢東の国外における影響をとりあげるなど、日本の研究者にしかできないアプローチで実態解明を進めた。主な研究報告の中身は以下の通りである:高嶋航「毛沢東とスポーツ」、田中仁「現代中国政治における毛沢東経路の発生」、江田憲治「遊撃戦争とは何か?」、石川禎浩「『全連邦共産党(ボ)歴史小教程』と毛沢東の党史」、三田剛史「毛沢東統治下の経済学者」、瀬戸宏「毛沢東時代の知識分子像」、丸田孝志「毛沢東の伝記・物語の成立と展開」、村上衛「大躍進と日本」、小野寺史郎「中華人民共和国初期の「記念節日資料」中の毛沢東略伝について」、森川裕貫「「ハリコの虎」から「精神原子弾」へ」。研究の中間段階の公開とデータの収集、および学術交流を主目的として9月に本研究グループの主要メンバー7名が北京をおとずれ、毛沢東研究の本山とも言える中国共産党中央組織の党史関連部門とのコンタクトをはかった。結果として、先方の面会不履行により交流は実を結ばなかったが、党史関連の収集という目標は達成することができた。また、研究成果の将来における公表を見越して、5月に石川が北京の出版社との打ち合わせをおこなう一方、9月、12月、3月にも中国、ドイツにおいて、研究成果の報告や資料調査を進めた。そのうち、いくつかの研究成果は中国の学術刊行物に相次いで掲載されるにいたっている。このほか、京大人文研の所蔵する旧鱒澤彰夫氏所蔵の文化大革命期紅衛兵資料の整理を継続した。
著者
石川 禎浩
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 = The Journal of history (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.102, no.1, pp.152-187, 2019-01

近代西洋由来の文明史観は、東アジアの「歴史学」の形成に大きな影響を与えた。文明史観(東西文明論)をその価値観とともに中国に紹介し、根付かせたのは、戊戌政変によって日本に亡命した梁啓超、あるいは中国共産党の創設者の一人となる李大釗らであり、それを可能にしたのは、梁にあっては福沢諭吉や浮田和民の著作、李にあっては茅原華山の著作という日本語の出版物を参照できたことだった。「四大文明」という呼称も、二〇世紀初頭には日本、中国ですでに登場していたものであって、一部の歴史家がいうような戦後の発明品ではない。その後、中国でいわゆる「東西文明論争」が一九一〇年代半ば以降に華々しく行われると、文明史観から派生した地理環境決定論が東西文明の違いを説明するものとして、いったんは主流の言説となった。ただし、歴史の発展を単線的、一元的なものとみなす唯物史観が中国左翼論壇を席巻していくと、文明史観、特に地理環境決定論に依拠する歴史解釈は、次第にその影響力を失ってしまうことになる。The concept of civilization derived from the West exerted tremendous influence upon the formation and development of the modern historiography in East Asia, and caused the boom of the "historical perspective on civilization" 文明史観 at the end of 19th century and early in the 20th century. In China, Liang Qichao 梁啓超 who was a famous journalist and activist in the era of the Hundred Days' Reform, pioneered the early introduction of the "historical perspective on civilization, " and was followed by Li Dazhao 李大釗, one of the founding members of the Chinese Communist Party, who had once applied the perspective to his unique understanding of the significance of the Russian October Revolution. In fact, in understanding the "historical perspective on civilization, " Liang and Li were deeply influenced by the publications by Japanese journalists, such as An Outline of a Theory of Civilization (Bunmei ron no gairyaku), General Introduction to the History (Shigaku Genron), and A History of Human Life (Ningen Seikatsu shi), written respectively by Fukuzawa Yukichi 福沢諭吉, Ukita Kazutami 浮田和民 and Kayahara Kazan 茅原華山. Thus, we see that the "historical perspective on civilization, " according to those Japanese intellectuals, was commonly accepted as new knowledge by Chinese intellectuals regardless of their political positions, be they reformist or revolutionary. It is noteworthy that Liang and Li accepted the so-called "geographical determinism" with the historical perspective on civilization. They argued that the rise and fall of peoples, the flourishing and demise of civilizations throughout history had been determined by geographical factors such as topography and climate. Their understanding of the relationship between geography and civilization can also be explained by the influence from the above-mentioned Japanese intellectuals. Today, historical research that is based on the "theory of geographical determinism" is rejected by both geographers and historians because the theory is seen as superficial. However, it was recognized as an important and core element of the historical perspective on civilization at that time. Furthermore, it was also the important theoretical foundation that supplied the backing for the early field of human geography as a science in the West. In the prolonged debate on the East-West notions of civilization during the May Fourth period China (from second half of 1910s to the first half of 1920s), the theory of geographical determinism was frequently used as convincing evidence to explain the differences among civilizations of the world. Some intellectuals went as far as to recognize the historical materialism as a theory analogous to that of geographical determinism. Li Dazhao was none other than one of those who came to espouse historical materialism via geographical determinism. However, as official dogmatic historical materialism prevailed among the left-wing intellectual community in China after the 1930s, geographical determinism along with the historical perspective on civilization was not only criticized as a 'wrong' interpretation of social and economic phenomena, but also at times considered anti-Marxist. Thus, geographical determinism, the most popular ideas of one era, gradually lost its influence thereafter, and was completely rejected in the early decades of the People's Republic of China. This essay also critically examines a recent argument by some Japanese historians that the origin of the well-known term "the four major ancient civilizations" was created only after the World War II (in 1952) and has currency only in Japan. The argument is unsound, because the term appeared as early as at the end of the 19th century in both Japan and China.
著者
石川 禎浩
出版者
史学研究会 (京都大学大学院文学研究科内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.102, no.1, pp.152-187, 2019-01-31

近代西洋由来の文明史観は、東アジアの「歴史学」の形成に大きな影響を与えた。文明史観(東西文明論)をその価値観とともに中国に紹介し、根付かせたのは、戊戌政変によって日本に亡命した梁啓超、あるいは中国共産党の創設者の一人となる李大釗らであり、それを可能にしたのは、梁にあっては福沢諭吉や浮田和民の著作、李にあっては茅原華山の著作という日本語の出版物を参照できたことだった。「四大文明」という呼称も、二〇世紀初頭には日本、中国ですでに登場していたものであって、一部の歴史家がいうような戦後の発明品ではない。その後、中国でいわゆる「東西文明論争」が一九一〇年代半ば以降に華々しく行われると、文明史観から派生した地理環境決定論が東西文明の違いを説明するものとして、いったんは主流の言説となった。ただし、歴史の発展を単線的、一元的なものとみなす唯物史観が中国左翼論壇を席巻していくと、文明史観、特に地理環境決定論に依拠する歴史解釈は、次第にその影響力を失ってしまうことになる。
著者
貴志 俊彦 陳 來幸 石川 禎浩 武田 雅哉 川島 真 柴山 守 松本 ますみ 孫 安石 大澤 肇 小林 聡明 谷川 竜一 菊地 暁 富澤 芳亜 泉水 英計 西村 陽子 李 梁
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本共同研究では、近100 年間に東アジア域内で起こった歴史的事件、あるいは時代の画期となるトピックをとりあげ、それぞれの局面で登場した非文字史料がはたした役割とその受容者の解釈を検討した。国内外における広範な調査と成果発表にあたっては、複数の地域で製作された非文字史料を比較対照するとともに、(a)図像解釈学的分析、(b)語彙分析による情報処理、(c)コミュニケーション・パターン分析等を導入して、紛争・協調の時代イメージと非文字史料との因果関係を明らかにした。
著者
弘末 雅士 鈴木 信昭 唐沢 達之 貴堂 嘉之 高橋 秀樹 荷見 守義 石川 禎浩 清水 和裕 土田 映子 大石 高志 疇谷 憲洋 佐々木 洋子 遠藤 正之 久礼 克季
出版者
立教大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2007

地中海世界・イスラーム世界・欧米・中南米・南アジア・東南アジア・東アジアにおける奴隷の歴史を比較検討することができ、地域相互間の奴隷取引や奴隷をめぐる観念の展開を広域的に解明できた。また移住者の広域ネットワークの形成に果たす役割とともに、移住先の社会の秩序構築に積極的に関わったことが明らかとなった。そうした移住者を迎えた現地人妻妾のアジアにおける事例が比較検討され、彼女らやその子孫が、前近代において商業活動や港市の社会統合に重要な役割を担ったことが解明された。さらに近現代社会における新たな仲介者や媒体の存在に注目する必要性を認識した。