著者
菊地 悟
出版者
岩手大学
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.109-101, 2007

一般的に、日本語では性差が大きく、会話文を並べただけでどれが男性のものでどれが女性のものか、判断することができると言われている。判断のポイントは、特に一人称・二人称の代名詞、また、文末の終助詞であり、「俺は待ってるぜ」「私は待ってるわ」「お前にできるかな」「あなたにできるかしら」といった文から、それぞれの発話者の性別を推測することは容易であろう。しかし、たとえば女性特有の終助詞とされる「かしら」を、実際の日常会話の中で耳にすることはほとんどない。テレビドラマや小説・戯曲など創作の中では、男女を書き分けるのにうってつけの素材として今でも重宝に使われているかもしれないが、たとえば学生や院生に聞いてみても「使ったことがない」「使う人を見たことがない」という答えが返ってくるような状態である。である。こうした変化について、遠藤織江は、『日本語学研究事典』の「女性語」の項で、以下のように述べている。現在「女性語」の特徴は、女性専用の終助詞・人称詞・感嘆詞の使用と、動詞の命令形不使用などにあるとされる。しかし、最近の調査では、従来女性専用とされた「かしら」「だわ」「のよ」のような文末用法を使用する女性が減っていること、男性専用とされた、文末の「だ」「だよ」「なあ」、動詞に直接接続する「よ」などを使用する女性が増えてきたこと、スポーツ場面などで命令形や「ぞ」を使う女性がみられることなど、女性専用用法とされた用法の減退と、男性専用とされた語や用法を取り入れている女性が増えていることなどが報告されている。筆者は岩手大学教育学部の「日本語のヴァリエーション」という授業の1コマで、言語の性差の問題を取り上げてみた。具体的には昭和57(1982)年、男女のデュエット曲としてヒットした「三年目の浮気」(作詞・作曲:佐々木勉、歌:ヒロシ&キーボー)の歌詞を提示し、男女のパートを交換して書き換えるという課題に取り組ませてみた。筆者の記憶には、かつて「ザ・ベストテン」という番組で1回限りの企画として同様の試みを行ったことが、今なお鮮明に残っている。はや四半世紀も前のことではあるが、そのときの歌詞もほぼ覚えているつもりである。男女の人称代名詞と終助詞を機械的に入れ替えていたほか、元歌のリフレインの部分で男性の言葉が命令調の「大目にみろよ」から懇願調の「大目にみてよ」に変化するくだりが、替え歌の女性の言葉では「大目にみてよ」から「大目にみてね」への変化に置き換えられていたのが印象的であった。なるほど、女性には命令表現が許容されていないのか、と思ったものである。今回の課題でも、ほぼ同様な書き替えが見られるのではないかと想定していたのであるが、学生から提出された課題に目を通したところ、現代の大学生は必ずしも以前なら当然想定されたような変更を加えているわけではないことに気が付いた。そこには、前述のような、言語の性差の減退現象の一端が現れているのかもしれない。そこで、本稿では学生の了解のもと、その提出物を資料として、現代大学生がどのように歌詞の変更を行ったかを紹介し、現代における言語の性差意識について考察を加えてみることとする。
著者
菊地 悟
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.108-122, 2006-04-01

歌人・石川啄木の「ローマ字日記」のローマ字表記自体の研究のため、市立函館図書館・函館市文学館所蔵の複写版を閲覧し、原本により忠実なテキストを作成した。「ローマ字日記」におけるローマ字表記の変遷は大別して4期に分けることができ、日本式からヘボン式に劇的に転換する第2期と第3期の間には「国音羅馬字法略解」というローマ字の表が挿入されている。この表は、ほぼ日本式の表であるが、拗音がアイウエオの5段にわたり、擬音の後の母音には『独立発音符号』として「¨」を付ける旨の注記がある、という二つの特徴がある。後者に関しては、実際の日記の表記でもわずか2例ではあるが、使用が認められた。国立国会図書館所蔵のローマ字関係文献を調査したところ、前者には南部義簿ら、後者には末松謙澄、丸山通一らの例を見出せ、啄木の表記が語学の素養ある碩学に通じる点のあることをうかがわせる成果が得られた。
著者
藤井 知宏 菊地 悟 近藤 澄江 菅原 るみ子
出版者
岩手大学
雑誌
岩大語文 (ISSN:09191127)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.72-56, 2006

昨今の「学力低下」を巡る論議とともに問題視されていることに「活字離れ」「読書離れ」ということがあげられる。しかし、「活字離れ」はここ最近において問題とされてきたわけではなく、毎日新聞社、全国学校図書館協議会主催の「学校読書調査」(後掲)においても、小学生の不読率は一定率を示し、良くもなければ極端に悪いという結果にもなっていない。