著者
須永 将史
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.341-358, 2012-12-31 (Released:2014-02-10)
参考文献数
38

ジュディス・バトラーの身体へのアプローチにはどのような意義があるのだろうか. 本稿ではまず, 『ジェンダー・トラブル』におけるバトラーの身体へのアプローチに, 重要な側面が3つあることを指摘する. それは, 第1に, ジェンダー概念の再定義がなされていることであり, 第2に, 身体論の主要な論点を「身体なるもの (=The body)」という論点から「個々の身体 (=bodies)」という論点へと移行させようとしていることだ. そして第3の側面は, 「身体なるもの」の「内部/外部」の境界が不確定であるという主張がなされていることである.次に, フェミニズム/ジェンダー論にとっての既存の身体観を整理し, バトラーが各論者の身体観をどのように批判し, どのように乗り越えようとしたかを述べる. バトラーはボーヴォワールの議論が精神/身体の二元論を保持していることを批判し, イリガライの議論が生物学的性差としてのオス, メスの二元論を保持していることを批判する. バトラーのアプローチによると, 2人が保持するそうした二元論自体が, 問題視されるべきなのである.本稿では, バトラーの貢献とは次のようなものだと結論する. それはすなわち, ジェンダーという概念を再定義することによって, 人々を異性愛の基準においてのみ首尾一貫させる現象の水準を指摘しようとしたことだ. また本稿では, を実証的に明らかにするためには, 実際の社会において使用される身体や行為を記述することがフェミニズム/ジェンダー論の今後の課題であることも示唆する.
著者
須永 将史
雑誌
ジェンダーをめぐるコミュニケーション齟齬の研究 : 専門的概念の再帰性に着目して
巻号頁・発行日
pp.1-15, 2014-12-15

「ジェンダー」という概念それ自体に照準し,専門知と日常知の関係をあきらかにするという,これまでの研究方針ににもとづき,各自データの収集・分析をすすめ,研究内容をまとめた.以下の内容はそれぞれ,ひとつの報告書としてまとめられ,現在編集作業をおこなっている.左古研究分担者は,検索語「ジェンダー」で該当する論文を網羅的に収集したコーパスを完成させ,「ジェンダー」概念のフレーム(関連概念との共起関係)がいつどのように変遷したのかを量的に分析し,日本社会学会大会において発表した.鶴田研究分担者は,相互行為のなかで実際に「ジェンダー」に関するふるまいがおきる様子を,医療従事者やトランスジェンダーのひとびとへのインタビュー調査にもとづいて分析し,日本社会学会大会において発表した.林原連携研究者は,保守系論壇誌『諸君!』所収の記事を対象に,反フェミニズム言説がどのように変遷して,近年のバックラッシュ言説が登場したのかを分析し,日本社会学会大会において発表した.江原研究代表者は,①「ジェンダー」概念の導入や否定をめぐるかけひき(鶴田・林原両研究者が質的に分析)を,②「ジェンダー」概念の変遷という文化的背景(左古研究者が量的に分析)に位置づけた.
著者
菊地 浩平 七田 麻美子 須永 将史
出版者
日本認知科学会
雑誌
認知科学 (ISSN:13417924)
巻号頁・発行日
vol.29, no.2, pp.243-255, 2022-06-01 (Released:2022-06-15)
参考文献数
19
被引用文献数
1

This study aimed to clarify the changes in human life brought about by digital transformation (DX) through microscopic analysis. The data for this study were rehearsal data from a corporate training program. This program was originally conducted as a field trip to disaster-affected areas but was re-developed as an online trip due to the impact of the COVID-19 pandemic. We focused on the fact that the program provider repeatedly stated that “we want you to come to the field actually” to the program receivers in the opinion-exchange session. We could see these statements as certain procedures for providing accounts about the “lack of sufficiency” of online activity used by providers. In other words, regarding field as an idealized place, the providers dealt with the lack of sufficiency of online activity that the program receivers might feel. In this study, we call the field conceptualized by participants as “field as the home base”. Therefore, the concept emerges retrospectively against lack of sufficiency through interaction between participants. It is used in order to compensate for the lack of sufficiency of online activities. There are many benefits to the changes that DX has brought about in human life, but there are also negative reactions such as avoidance of DX and psychological barriers to it. The field as the home base can become a source of these negative reactions. If we are to further promote DX, it will be important to pay closer attention to the specifics of changes in human life.
著者
須永 将史
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.117-132, 2016-02-01 (Released:2020-06-20)
参考文献数
37

本論文では、日本におけるgenderの使用の歴史的解明を試みる。日本でgenderが使用されるようになってきた 三十年という期間の間に、どのような使用の変遷を経て、現在の用法へたどり着いたのか、その筋道を明らかにする。 具体的には、上記の二つの特徴、すなわちどのようにセックス/ジェンダーが成立したか、そしてどのように genderは、「ジェンダー」として複数の用法をになわされるようになってきたか、という問いに焦点をしぼって分析を進める。扱う文献の領域はフェミニズム、ジェンダー論にとどまらず、genderが初めて使用された性科学や、genderの普及に貢献した人文社会思想などの領域も含める。 第一節では、一九七〇年代と八〇年代のフェミニズム・女性学におけるgenderの使用を検討する。ここではsexとgenderがどのように翻訳されたのかを問題とする。 第二節では、八〇年代前期のIvan Illichの思想とその流入がもたらしたエコフェミ論争を検討し、それがもたらした片仮名表記の「ジェンダー」の普及を考察する。当時流行したIllichやIllich派と言われる論者たちのgenderを、「社会においてあるべき男女の関係性」と定義していたことを指摘する。 第三節では、八〇年代後期の日本初の性科学の確立を試みた黒柳俊恭のgenderの用法を検討する。同時に、「個人が自分の性別をどう感じるか」という黒柳のgenderの定義が、gender概念の創始者であるJohn MoneyよりもRobert Stollerのそれに近いものであることを指摘する。
著者
須永 将史
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.341-358, 2012

ジュディス・バトラーの身体へのアプローチにはどのような意義があるのだろうか. 本稿ではまず, 『ジェンダー・トラブル』におけるバトラーの身体へのアプローチに, 重要な側面が3つあることを指摘する. それは, 第1に, ジェンダー概念の再定義がなされていることであり, 第2に, 身体論の主要な論点を「身体なるもの (=The body)」という論点から「個々の身体 (=bodies)」という論点へと移行させようとしていることだ. そして第3の側面は, 「身体なるもの」の「内部/外部」の境界が不確定であるという主張がなされていることである.<br>次に, フェミニズム/ジェンダー論にとっての既存の身体観を整理し, バトラーが各論者の身体観をどのように批判し, どのように乗り越えようとしたかを述べる. バトラーはボーヴォワールの議論が精神/身体の二元論を保持していることを批判し, イリガライの議論が生物学的性差としてのオス, メスの二元論を保持していることを批判する. バトラーのアプローチによると, 2人が保持するそうした二元論自体が, 問題視されるべきなのである.<br>本稿では, バトラーの貢献とは次のようなものだと結論する. それはすなわち, ジェンダーという概念を再定義することによって, 人々を異性愛の基準においてのみ首尾一貫させる現象の水準を指摘しようとしたことだ. また本稿では, <ジェンダー>を実証的に明らかにするためには, 実際の社会において使用される身体や行為を記述することがフェミニズム/ジェンダー論の今後の課題であることも示唆する.
著者
須永 将史
出版者
日本保健医療社会学会
雑誌
保健医療社会学論集 (ISSN:13430203)
巻号頁・発行日
vol.31, no.2, pp.57-66, 2021-01-31 (Released:2022-01-31)
参考文献数
10

本稿では家庭医療専門医の診察場面において「ちょっと先生さきに相談あるんだけど」と切り出された相談がどのように扱われるのかを分析する。家庭医の診察場面のなかで、患者は、自身の診察に先立って家族とのトラブルを相談し始めることがある。この相談の切り出し方は診察場面全体のなかでどのような意味を持つのか。そこでなされる「相談」はどのように医師によって聞き取られ、どのように助言を与えていくのか。本論文ではこれを、直接患者の症状とは関わらなくとも医師に相談するのに適した内容を語るため、患者が誤配置であることを際立たせながら切り出すプラクティスとしてとらえる。また、そうすることで、医師がその相談を聞く時間を確保し、診察内での助言に結び付けられるプロセスを記述する。
著者
須永 将史
出版者
社会言語科学会
雑誌
社会言語科学 (ISSN:13443909)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.194-209, 2020-09-30 (Released:2020-10-07)
参考文献数
27

本論文は,在宅マッサージの場面において,施術者と患者が「痛み」をどのように扱うのかを,会話分析の方法によって明らかにする.マッサージの活動手順の進行中に生じる患者の痛みを,施術者がどのように尋ねるのか,そのやりとりがマッサージの進行にどのように影響するのか.以上を問う.まずは,痛みについての質問を検討する.痛みについての質問のなかでも,とりわけ,患者の身体に触れながらなされる「施術進行のための質問」を検討する.そのとき,この質問が「否定疑問」で尋ねられるのか,「肯定疑問」で尋ねられるのか,に注目する.そして,同じ「施術進行のための質問」であっても,痛みが否定疑問で尋ねられる場合を最適化された質問デザインとして特徴づける(Boyd & Heritage, 2006).また,肯定疑問は患者による痛みの報告をしやすくするためのデザインとして特徴づける.続いて,このように質問を状況に依存しながらデザインするための資源として,患者の表情を検討する.施術者が,質問デザインする際におこなうプラクティスのひとつとして,患者の顔のモニタリングを挙げる.
著者
須永 将史
出版者
福祉社会学会
雑誌
福祉社会学研究 (ISSN:13493337)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.241-263, 2018-05-31 (Released:2019-06-20)
参考文献数
31

本論文は,身体接触を伴うケア実践において性別がどのように話題化され,扱われるのかを焦点とする.扱うデータは,2011 年3 月11 日の東日本大震災以降,仮設住宅等でなされてきた足湯ボランティア活動を使用している.ケア実践における身体接触は,親密性を提示しうる一方,プライバシーやセクシュアリティに抵触する可能性があり,両義的なものである.本論文では,こうした背景のもと,参与者がどのように相互行為を処理していくのかを解明する.相互行為の解明に当たっては,会話分析の手法を採用する.とりわけ重要なのは,身体接触を通じて参与者の性別がどのように話題化されるのかという点にある.本論文において筆者は,参加者が性別の話題化を,「冗談」として構成する実践を記述する.この実践により,参与者たちは,ケアの両義性という問題をシリアスに扱うことを回避し,円滑に相互行為を進めているのである.
著者
須永 将史
出版者
首都大学東京
巻号頁・発行日
2015-03-25

首都大学東京, 2015-03-25, 博士(社会人類学), 甲第482号
著者
江原 由美子 左古 輝人 鶴田 幸恵 林原 玲洋 須永 将史
出版者
首都大学東京
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28

学問の世界において生み出された概念である「ジェンダー」は,広く一般に使われる言葉として普及した.だが,その使用が政治的に批判されるようになると,「科学・社会・政治」が交錯し,相互に影響を与える状況が生じた.このような状況は,どのようなコミュニケーション齟齬を生み出したのだろうか.学問の世界における「ジェンダー」概念は,もともとかなり限定された文脈において創案されたものであるが,その文脈から切り離されることで,かえって広範な応用可能性を持つことになった.だが,その一方で,学問的であるか否かにかかわらず,「ジェンダー」概念の使用が批判されるという,複雑な政治的状況を招くことにもなったのである.