1 0 0 0 OA 市中取締類集

出版者
巻号頁・発行日
vol.[220] 旅人宿調之部,
著者
大原 浩樹 伊藤 恭子 飯田 博之 松本 均
出版者
社団法人 日本食品科学工学会
雑誌
日本食品科学工学会誌 (ISSN:1341027X)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.137-145, 2009-03-15 (Released:2009-04-30)
参考文献数
16
被引用文献数
15 or 0

魚鱗コラーゲンペプチド(2.5g, 5g, 10g)の3用量の用量設定と豚皮コラーゲンペプチド(10g)の有効性確認を目的に,プラセボ群を設定して各々を4週間摂取して摂取前後の皮膚状態の変化を二重盲検法で比較した.その結果,魚鱗コラーゲンペプチド摂取によりその用量に応じて角層水分量の増加傾向が見られ,特に,30歳以上を対象とした層別解析で魚鱗コラーゲンペプチド5g以上の摂取により角層水分量の有意な増加が認められた.一方,豚皮コラーゲンペプチド摂取では有意な変化は得られなかった.この結果から,魚鱗コラーゲンペプチドの摂取は角層水分量の増加に有効であると考えられた.また,その他の評価項目(経表皮水分蒸散量,皮膚粘弾性,皮膚所見)に関しては,コラーゲンペプチド摂取に起因すると推定される変化は認められなかった.
著者
松本 光隆
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.79-64, 2009-07-01

本稿は、院政期末から鎌倉時代初頭に仁和寺を中心として、多くの撰述書を今に残し、文化的な活動が著しかった守覚法親王の著作の内、随心院蔵野決鈔を主たる資料として取り上げて論じたものである。野決鈔は、醍醐寺勝賢との諸尊法に関する問答を記した資料で、当時の他の現存資料からは、一般的であるとは思えない漢字・片仮名・平仮名・万葉仮名交じり文で書記された文章を持つ。勝賢の「答」の言語を視野に入れつつ、主として守覚の「問」を対象に、野決鈔に書記された日本語の特性を検討した。検討の結果、守覚の「問」の文章は、厳密には書記言語ではあるが、守覚の意識としては、自身の口頭語を記したと認められる資料で、そのために採用した表記体であったと考えられる。言語の内実も、当時の口頭語を書記した資料と見て矛盾がなく、当時の口頭語の範疇の再検討、個々人による言語体系差など、極めて重要な課題を提供する資料であることが判明した。
著者
高田 知紀 梅津 喜美夫 桑子 敏雄
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集F6(安全問題) (ISSN:21856621)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.I_167-I_174, 2012 (Released:2013-01-30)
参考文献数
32
被引用文献数
0 or 5

東日本大震災では,多くの神社が津波被害を免れたことが指摘されている.本研究では,日本の神社に祀られる祭神の多様性は,人びとの関心に応じた差異化の結果であるという仮説から,宮城県沿岸部の神社についてその祭神と空間的配置に着目しながら被害調査を行った.祭神については特に,ヤマタノオロチ退治で知られるスサノオノミコトに着目した.スサノオは無病息災の神として祀られることから,洪水や津波といった自然災害時にも大きな役割を果たすと考えられる.また,地域の治水上の要所に鎮座していることが多い.東北での調査から,スサノオを祀った神社,またスサノオがルーツであると考えられる熊野神社は,そのほとんどが津波被害を免れていることを明らかにした.この結果は,地域の歴史や文化をふまえたリスク・マネジメントのあり方について重要な知見を提供する.
著者
新里 瑠美子 セラフィム レオン・A
出版者
日本語学会
雑誌
日本語の研究 (ISSN:13495119)
巻号頁・発行日
vol.7, no.4, pp.83-98, 2011-10-01

本稿は、沖縄語と上代日本語との比較分析を通し構築した筆者らの係り結び仮説(日本祖語形再建、類型、成立、変遷など)の妥当性を琉球弧の方言群において検証することを目的とする。本稿で焦点を当てた|ga|の係り結び仮説では、その類型として、Type I(文中|ga|といわゆる未然形の呼応)、Type II(文中|ga|と通常連体形の呼応)、係助詞の終助詞用法を考え、各々、自問、他問、他問と特徴づけた。検証の結果、国頭久志(くにがみくし)方言でTypeIとTypeIIの類型と機能が仮説と合致、疑似終助詞用法がTypeIIの文法化と解釈できると述べた。徳之島井之川(とくのしまいのかわ)、国頭辺野喜(くにがみべのき)・漢那(かんな)、八重山鳩間(やえやまはとま)方言においては、終助詞用法の|ga|の清濁の異音に関し、見解を提示した。鳥島(とりしま)方言では、構文はType II、機能はType Iという用法について新たな音変化を提案し、反証とならないと論じた。宮古西里(みやこにしざと)方言の構文と機能のずれについても、仮説擁護を試みた。最後に、今帰仁(なきじん)方言の|kuse:|=コソの通説に異を唱え、その成立に|ga|が関わったとの仮説を述べた。
著者
米沢 弘
出版者
文教大学
雑誌
文教大学国際学部紀要 (ISSN:09173072)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.73-87, 1997

This article examines the original image of faith in the Jomon period (the New Stone Age in Japan). The discoveries of Sannai-Maruyama archeological remains in the southern part of Aomori City since 1992 have drastically changed the previous image of Jomon people as a group of primitives driven to look for daily foods. The discovery of several pillars made of big chestnut trees with a diameter of nearly one meter, have led to conjecture of a structure over twenty meters high and the existence of large Jomon village between 5500 and 4000 years ago.This article also discusses remains in the Hokuriku Area, which were accompanied by discoveries of big trees, and the Stone Circle around Towada Lake. It also mentions the Kamegaoka culture in the latest period of Jomon, from which uniquely expressive earthen figures with a kind of snow goggles (somewhat like Inuits) called Shakoki Dogu", as well as elaborately lacquered earthwares and woodenwares with "japan", were excavated. In essence, our image of the spiritual life of Jomon culture, especially as related to festivals, is the main concern of the author. それは三内丸山ショックと言ってよいだろう。1992年の春から始めた,青森市南西部の三内丸山における県営野球場建設にともなう緊急発掘が,私たちの縄文文化に対するイメージを一変させる数々の発見をもたらしたことはよく知られている。 各間隔が4.2メートルで二列に並んだ6本の栗の柱の穴(その中には直径が1メートルほどの柱の根元の部分, 但し腐食のために10センチほどやせ細っていたものが残っていた)それから推測される高さ20メートルほどの巨大な構造物,二列に長く続く大人の墓(子供の墓は住居跡の近くにある),ヒスイの大珠や土偶が出土する(日本最大の板状土偶が出土した)莫大な土器片を含んだ盛土,網代編のほぼ原形をとどめたポシェット(その中には半分に割られたクルミの殻が入っていた),その他赤い漆の木器や,1.2メールほどの舟の櫂などの木製品や動物や魚の骨,木の実などが大量に残る泥炭層,また多くの住居跡,それは5500年前から4000年前まで1500年住み続けられた縄文都市の出現であり,最大500人程度の人々が住んだ可能性もあり,今までの日々の食物の採集に追われた貧しい縄文人のイメージの一新を迫るものである。 幸い野球場建設は中止され,出来上がった2つのスタンドは取り壊され,遺跡は保存し,建造物は学習用として復元されることになった。 三内丸山遺跡は有名な亀ヶ岡遺跡とともに江戸時代中期から知られた遺跡であり旅行家の菅江直澄は『すみかの山』(1759年)の中で三枚の土器と土偶のスケッチを残している。今回の新石器時代の巨大な重要な遺跡の発見は,近年第五の古代文明の出現として注目される,揚子江下流の5000年前の良渚文化の源流とされ大量のモミを出土し(米粒をもともない7000年前とされる)注目された1973年に発掘された川姆渡遺跡,またそれにつづき権力の象徴である玉類(玉琮,玉壁,玉鉞など)が出土し注目される,1986年に発掘された反山墓地も加えてさらに1996年には日中共同の長江文明の学術調査により,長江上流の成都市の南西50キロの竜馬古城造跡の発掘により古代の神殿もしくはジッグラト(階段状のピラミッド形構造物)と思われる造跡が発掘されたが,これらに匹敵するものが,黄河,揚子江と言った大河は無い日本でも海岸沿いの適地に見出だされたと言うことで,これは栗の栽培を伴うブナ樹林(栗はブナ科のクリ属である)の豊富な木の実と海産物による一つのタイプの新石器時代の文明の拠点遺跡の発見であると言ってよい。 普通,縄文一万年と言うが,草創期三千年,早期三千年,前期千年,中期千年,後期千年,晩期千年に区分する。日本では一万二千年程前の世界最古の部類の土器が出土している。
著者
安達 笙子
出版者
鹿児島国際大学
雑誌
福祉社会学部論集 (ISSN:13466321)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.17-32, 2006-03-30

2 0 0 0 OA 保線統計

出版者
鉄道省工務局
巻号頁・発行日
vol.昭和3~5年度, 1932
著者
中原 淳
出版者
日本教育工学会
雑誌
日本教育工学雑誌 (ISSN:03855236)
巻号頁・発行日
vol.23, no.1, pp.23-35, 1999-06-20
被引用文献数
12 or 0

近年の学習環境論において学習者自身が学習過程の再吟味を行うことの重要性が主張されている.本論文の目的は,学習過程を重要視する学習環境のデザインと,それが学習者にもたらす変容を明らかにすることである.研究方法としては,「エスノグラフィー(ethnography)」を採用する.より具体的には,ある学習環境における空間配置・学習材・ストラテジ- (strategy)の3つの学習活動を構成する「リソース(resource)」について考察を加える.それをふまえた上で,他者に対する学習過程の内省的認知活動である「語り(Narrative)」とそれらリソースとの関係を論じる.上記の認知活動は,研究対象の実践において特異に観察された.「語り」は,3つのリソースが「協調(coordination)」して構成される内省的な認知活動である.学習者にとっての「語り」の教育的効果は,学習そのものをどう定義するかという認識のレベル-「メタ学習観」の転換・変容に存在する.以上の議論をふまえ,学習活動支援の方法としての「語り」を概観し,「語り」を誘発する学習環境のデザインについて本稿からの示唆を述べる.
著者
本多 宣裕 越智 宣昭 山根 弘路 藤井 宏美 瀧川 奈義夫
出版者
特定非営利活動法人 日本肺癌学会
雑誌
肺癌 (ISSN:03869628)
巻号頁・発行日
vol.56, no.2, pp.79-83, 2016-04-20 (Released:2016-05-18)
参考文献数
7

目的.本邦では化学療法による発熱性好中球減少症(FN)の重症化を予測するMultinational Association of Supportive Care in Cancer(MASCC)スコアが汎用されている.最近海外よりClinical Index of Stable Febrile Neutropenia(CISNE)スコアの有用性が報告され,その妥当性を検証した.方法.2011年4月から2015年3月の間に当科に入院し,化学療法によりFNを発症した症例のMASCCスコアとCISNEスコアによるFN重症化リスクを比較した.結果.対象は,肺癌38例,悪性リンパ腫16例,消化器癌5例,肉腫5例,卵巣癌4例など計72例であり,うちFNの重症化は10例に認められた.MASCCスコアによる高リスク群は28例(38.9%)で,重症化予測の感度,特異度,ROC曲線下面積はそれぞれ60%,69%,0.63であった.CISNEスコアによる高リスク群は16例(22%)であり,FN重症化予測の感度,特異度,ROC曲線下面積はそれぞれ40%,82%,0.48であった.結論.CISNEスコアはMASCCスコアよりFN重症化の予測が良好とは言えず,本邦における予測モデルを構築する必要があると考えられた.