著者
冨安 昭彦 冨安 昭彦
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.79-93, 2005-03-31

本稿はデューク大学出版の季刊誌『レズビアン&ゲイ・スタディーズ』(GLQ)のトランスジェンダー特集号(1998年)で発表された、歴史学者ジョアン・マイエロウィッツの論文の翻訳である。[Meyerowitz, Joanne, "Sex Change and the Popular Press : Historical Notes on Transsexuality in the United States, 1930-1955," GLQ: A Journal of Lesbian and Gay Studies, 4:2(1998), pp.159-187]マイエロウィッツはこの論文のなかで、従来のトランスセクシュアリティに関する歴史認識の見直しを主張する。そして、20世紀初めにヨーロッパで興った性別変更の医療化の過程、さらに、1930-50年代のアメリカで公表された性別変更の報道などの分析を通じて、当時のトランスジェンダーの人びとが、「読むこと」を通じて、自己のアイデンティティを構築し、再形成していった過程を明らかにしている。なお、マイエロウィッツは現在インディアナ大学の歴史学教授で、The Journal of American Historyの編集者でもある。主な編著書:How Sex Changed: A History of Transsexuality in the United States (Harvard UP, 2002); History and September 11th: Critical Perspectives on the Past (Temple UP, 2003)ほか。
著者
長谷川 晶子
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.9, pp.51-65, 2004

アンドレ・ブルトンは、第二次大戦後すぐにアール・ブリュット(生の芸術)の活動に関与している。アール・ブリュットの名付け親ジャン・デュビュッフェに協力しながら、ブルトンは美術の専門教育を受けていない画家の作品の擁護・蒐集・研究等に従事した。彼らの僅か三年で終わりを告げた関係について、美術史研究はたいていの場合、両者の感情的なレヴェルでの諍いがその決別の原因だと推測する。その場合、デュビュッフェ側の事情に重点がおかれ、ブルトンの見解の考察や両者のテクストはあまり考慮されていない。本論では、二人の対立を顕在化させたより本質的な原因として、両者の戦略やアール・ブリュットに関する認識の相違が存在することを証明する。この目的を達成するために、両者が共通してとりあげた唯一の画家、ジョセフ・クレパンに関するテクストを比較分析しながら、アール・ブリュットに関する二人の考え方の共通点と相違点を個別に検討する。
著者
冨安 昭彦 冨安 昭彦
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.157-168, 2005-09-30

本稿はデューク大学出版の季刊誌『レズビアン&ゲイ・スタディーズ』(GLQ)のトランスジェンダー特集号(1998年)で発表された、歴史学者ジョアン・マイエロウィッツの論文の翻訳である。[Meyerowitz, Joanne, "Sex Change and the Popular Press: Historical Notes on Transsexuality in the United States,1930-1955," GLQ: A Journal of Lesbian and Gay Studies, 4:2 (1998), pp.159-187.] マイエロウィッツはこの論文のなかで、従来のトランスセクシュアリティに関する歴史認識の見直しを主張する。そして、20世紀初めにヨーロッパで興った性別変更の医療化の過程、さらに、1930-50年代のアメリカで公表された性別変更の報道などの分析を通じて、当時のトランスジェンダーの人びとが、「読むこと」を通じて、自己のアイデンティティを構築し、再形成していった過程を明らかにしている。なお、マイエロウィッツは現在インディアナ大学の歴史学教授で、The Journal of American Historyの編集者でもある。主な編著書: How Sex Changed: A History of Transsexuality in the United States (Harvard UP, 2002); History and September 11th: Critical Perspectives on the Past (Temple UP, 2003)ほか。
著者
井上 孝夫
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-9, 2006-03

山口県山陽小野田市厚狭に伝わる「三年寝太郎」伝説の深層には何があるのか。文献や寺社由来などを溯ってその始原の姿を検討していくと、そこからみえてきたものは、「寝る」こととは全く無関係な、妙見(北極星)信仰とのかかわりであった。寝太郎とはすなわち、子(ね)太郎であって、子の星(妙見)を意味する。そして妙見信仰はタタラと結びつく。寝太郎とは、妙見を信仰する製鉄民だったのである。
著者
秋山 晋吾
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.317-323, 2006-03

トランシルヴァニアでは、17世紀末にハプスブルク支配下に組み込まれてまもなく東方正教会のローマ・カトリック教会への合同が行われた。この教会合同は、ルーマニア人の民族意識の覚醒に決定的な影響を与えたとされているが、それだけにとどまらず、三ナティオ・四公認宗派体制を根幹とするトランシルヴァニアの国制に関わる問題性を内包していた。すなわち、宗派あるいは文化との関わりが概念的に強まることによるナティオの意味が大きく変化していく契機となったのである。ここでは、1699年2月16日に、神聖ローマ皇帝・ハンガリー国王レオポルト一世によって発布された、トランシルヴァニア侯国における東方正教会とローマ・カトリック教会の合同に関する勅令の全文を邦訳し、勅令発布の背景に関する解題を付した。
著者
秋山 晋吾
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.11, pp.146-156, 2005

ここに訳出したのは、1691年12月4日に神聖ローマ皇帝・ハンガリー王レオポルト一世(リポート一世)がトランシルヴァニア侯国の取り扱いを規定するために発布した勅令の全文である。この勅令は、16世紀前半からの中世ハンガリー王国の三分割を経て、1570年にオスマン宗主権下に成立したトランシルヴァニア侯国が、その国制を基本的に維持しつつハプスブルクの宗主権下に入ることを規定したものである。これは、1848年まで効力を保ち、トランシルヴァニアのいわゆる三ナティオ・四宗派体制を基軸とした侯国国制の基本文書となった。
著者
山之内 克子
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
pp.27-51, 1997-02-28
被引用文献数
1

本稿では、このヘトリング=ノルテの理論的枠組みを念頭に、まず、市民史、とりわけその祝祭に関する先行研究の成果を前提として、十九世紀の市民祝祭の中にドイツ市民の精神性、特にかれらのドイツ民族主義を確認する。そのうえで、国家単位として、また、文化圏としての「ドイツ」にたいして常に微妙な立場にあったハブスブルク帝国、なかんずくその首都ウィーンをとりあげ、多民族国家におけるナショナリズムの特殊性が帝国首都の市民祝祭においていかなる形で現われたのか、また、しばしば「政治的アクション」としての側面が強調される市民祝祭において、その最も根源的な部分を支えた「象徴的行動様式」の特色を、ここにいかなる形で読み取ることができるか等の問題について検討したい。
著者
光延 忠彦 ミツノブ タダヒコ Tadahiko Mitsunobu
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.24-37, 2006-03

1990年代初頭、国政上の利害から都政を擁護するという点で、鈴木都政は、有権者に支持され、それが現状の継続に帰結した。しかし、80年代の政策志向を変更する世論は都政内外に強く、そうした声に促され、鈴木都政は臨海計画の見直しと住宅政策の充実に90年代前半期には踏み出す。こうした政策変更は、都議会公明党の主張でもあったため、90年代前半期には、同会派の政治態度を変更させる要因となった。背景には、多党化と多数党の欠如という政党配置の構造が、政策形成に際しては少数会派の主張を過大代表するという点があったのである。しかし、以上の政策決定は、議会内多数派の主張には沿っても、政党の党派的動員力の限定性がゆえ、多くの有権者には理解されなかった。その結果、有権者は、むしろ新しい勢力に都政の転換を託した。都政における構造性に党派的動員の低下という政治的条件が加わって都政の政党政治は弱化していたのである。
著者
陳 金霞
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.93-107, 2004-10-01

医療保障は、人々の生命と健康の維持に直接関連しており、社会保障の重要な一部である。如何に質の高い医療サービスを提供していくかということは、先進諸国だけではなく、世界各国の共通の課題である。本稿においては、欧米の先進5カ国、ドイツ、フランス、スウェーデン、イギリス、アメリカの医療保障制度の沿革、現状及び制度改革の動向について概観すると共に、これらの国々の共通点と相違点を検討した上で、これらの国々の医療保障制度改革が日本に対する示唆について考察している。グローバル化の中では経済的な国際競争と同時に文化的・社会的な国際協力が求められる。異なった欧米先進諸国の医療制度改革の特徴と問題点の比較は重要な課題である。医療制度の国際比較の観点からは、イギリス(NHS)とアメリカ(メディケア・メディケイド及び民間保険)を両極として、他の国は中間的な位置づけにあると考えられる。
著者
近藤 正憲
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.2, pp.33-63, 1998-02-28

本稿においては三井高陽が1930年代後半から40年代初頭までに関わった文化交流事業の全体像を把握し、ハンガリーを中心として三井高陽という一人の日本人の対東欧認識と文化事業の実際を明らかにすることを目的とする。考察の範囲を地域としてハンガリーに限定する理由は対ハンガリー文化事業が三井の文化事業の中でもっとも早い時期のものに属すること、現地の日本研究に対する補助が長期的かつ計画的に行われたこと、また彼の文化事業に関する彼自身の発言がハンガリーに関して多く残されていること、更に後の日洪文化協定成立とも強い関連性が見られることがあげられる。
著者
オルトナスト ボルジギン
出版者
千葉大学
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.61-80, 2005-09-30

モンゴルの遊牧民はそれぞれの地域において神聖視された山または小高い丘や湖のほとりに石・樹木等を円錐型に積み重ねたオボーという造営物を作って、毎年定期的に祭りを催す。それはオボー祭りと呼ばれ、遊牧共同体の繁栄、家畜の繁殖等を祈願する宗教的行事でもある。オボーは土地の神の依代として信じられ、遊牧民の自然観と世界観とが凝縮されている。現在でもモンゴル遊牧地域における遊牧共同体が各々のオボーを所有しており、オボー祭りは集団的アイデンティティの確認または強化の重要なメカニズムとして表象されている。オボーの形態と祭祀は地域によって多少異なるが、テンゲル(天神)やガジル(地神)を祭る宗教行事として、またより具体的にはノタグ(共同体の所有地)の神の祭祀として認知されている点で共通している。オボー祭りにはブフ(モンゴル相撲)、競馬などの伝統技が奉納され、伝統文化の伝承母体ともなっており、現代化が進む今日において注目に値する祭祀文化であろう。本稿はオボーの造営、つまり構造を現地調査に基づいて分析するものである。
著者
廣木 華代
出版者
千葉大学大学院社会文化科学研究科
雑誌
千葉大学社会文化科学研究 (ISSN:13428403)
巻号頁・発行日
no.12, pp.176-190, 2006-03

連邦税リーエンは、支払不能法における連邦債権の優先を起源とし、納税者に対しては、なんらの公示を要することなく有効なものとなるが(IRC6321-6322条)、競合債権者に対しては、通知の登録という「公示」を要件として、その優先が制限される(6323条)。最高裁は、連邦税リーエンとの競合に関し、支払不能法の場合と同様、競合する権利の「完全性」をその優劣の判断基準として採用している。6323条が、競合する第三者の利益保護を目的としたものであることに鑑みれば、登録の先後を基準とした「早い者勝ち」の原則についても、一定の配慮が必要であることはいうまでもない。最高裁は、「成立」ではなく、「完全性」を基準として、その優劣を決するという形で、「早い者勝ち」の原則との調和を図ろうとしているが、判例の状況を見る限り、この試みは、成功したものとはいえず、むしろ「完全性」という「ハードル」をわかりにくいものとしている。しかしながら、このようなハードルの存在自体は、連邦税リーエンという優先権の性質や連邦税リーエンの制度趣旨からは肯定されうるものである。決して「完全」なものとはいえないながらも、連邦税債権という特殊な債権に関し、その特殊性を十分に認識した上で、可能な限り一般原則との調和を図っていこうとした最高裁の試みは、債権競合における利益調整のための基本的な原則として、今なお、その意義を失ってはいないといえるだろう。