著者
諸岡 卓真
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.87, pp.96-110, 2012-11-15

Although mainstream mystery writers have in the past stayed away from unscientific elements such as superhuman powers and ghosts, the most recent trend in Japan is to have detectives in stories solve cases using supernatural powers. This is a reaction to the impossibility of problem-solving by inference within the limits of information given in one story, which detective fiction fans commonly refer to as "issues related to the later works of Ellery Queen." It is important to note that this trend of incorporating supernatural powers was a way to overcome the limitations placed by the rigor of inference expected by the reader. This study closely examines one of the latest such examples, Detective Fantasy : Nanase with a Steel Bar (2011) by Shirodaira Kyo, and offers an insight into how the structures of conventional mysteries have been abandoned, and what kinds of new issues contemporary writers are facing now.
著者
井川 理
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.95, pp.17-32, 2016-11-15 (Released:2017-11-15)

本稿では、一九三〇年前後の犯罪報道に用いられた「陰獣」という語が変態的な犯罪者を指す語として転用されていく過程に、『陰獣』を含めた同時期の探偵小説と、乱歩を中心とする探偵小説家の位相の変遷が関わっていたことを明らかにした。さらに、『陰獣』において探偵小説家・大江春泥を「犯罪者」として実体化していく「私」の在り様が、探偵小説家を現実の犯罪の「犯人」と同一視する探偵小説の読者と相同的なものであったことを指摘した。以上のことから、『陰獣』にはテクスト発表以降に顕在化するジャーナリズムと探偵小説ジャンルの連関が先駆的に描出されるとともに、そのテクストの流通プロセスが探偵小説のジャンル・イメージの生成動因としても作用していたことが明らかとなった。
著者
安 智史
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.146-161, 2018-05-15 (Released:2019-05-15)

萩原朔太郎の、初期短歌時代から第一詩集『月に吠える』期にいたる詩歌に登場する、ピストル、銃殺刑、電流死刑等の表象を、彼の生前未発表ノートなどとともに分析し、それらの根柢に、国家暴力としての大逆事件や、日露戦争から第一次世界大戦にいたる二十世紀戦争への同時代的な認識が秘められていたこと。それらまがまがしい戦争暴力エネルギーの詩的表象において、朔太郎は国家暴力装置の側面に怯えつつ、「神的暴力」(ベンヤミン)に重ねられる純粋な暴力エネルギーの側面には、惹き付けられていたことを明らかにした。また、この、暴力的なエネルギーにたいする朔太郎の関心が、第二次世界大戦期に重なる最晩年まで、持続していた可能性を指摘した。
著者
西野 厚志
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.65-80, 2013-05

Tanizaki Jun'ichiro is known to have owned a six-volume set of The Works of Plato (Bohn's Classical Library; London : George Bell and Son, 1848-54). There is some evidence that he was particularly familiar with the content of the second volume, which contained The Republic. It is in The Republic that the famous "Allegory of the Cave" appears. There are previous studies that point out the similarities between what the allegory describes and the mechanism of film projection. This paper argues that Tanizaki made use of the concept of the limitations of human perception described in the "Allegory of the Cave," as well as the concept of Idea, in those of his works that feature blindness, such as Shunkin sho (A Portrait of Shunkin,1933). The ultimate goal for Plato was for humans to see the light itself. Tanizaki seems to have wanted to warn against the danger of too much light, by transferring this allegory into the projection of films in modern times. In his time, films were made with nitrate, and they often caught fire while being projected, causing the destruction of the images on the screen. A Portrait of Shunkin and other stories with the theme of blindness can be understood as Tanizaki's expression of what may be called "the degree zero of representation" caused by excessive light.
著者
藤井 貴志
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.95-110, 2014-11-15 (Released:2017-06-01)

安部公房「他人の顔」、川端康成「片腕」、澁澤龍彦「人形塚」は昭和三十七年末から約一年の間に執筆されたテクストであるが、その背景にM・カルージュの指摘する<独身者の機械>という近代の神話を見出すことができるだろう。<独身者の機械>とは「人間的感覚の喪失」および「女性との関与や交感の不可能性」を<独身者>および<機械>のメタファーで捉えた概念だが、三篇のテクストはいずれも<異形の身体>を通してしか外界(他者)と関係を持つことができない主体の自己回復の虚しい試みとその挫折を描いている。澁澤自身のカルージュ受容、また土方巽の暗黒舞踊を通じた<物>としての<異形の身体>への関心、それと並行したベルメールの球体関節人形に纏わる言説を探り、<独身者の機械>の時代ともいうべき昭和四十年前後の言説状況を浮上させる試みである。
著者
千田 洋幸
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.106, pp.64-79, 2022-05-15 (Released:2023-05-15)

一九五〇年代の高校国語教科書には、敗戦直後のGHQ主導による新教育の反動により、多くの文学史教材が収録されている。それらは敗戦によって断絶の危機に見舞われた日本の「伝統」「民族」を文化の面から再構築することを目指していた。しかしその多くは近代文学の後進性・特殊性と西欧文学に対する劣等感を表現するもので、国語教育者が自己の戦争責任への直接的な追及を回避するため、欺瞞的な自己批判を行ったにすぎなかった。この意味で、文学史教材は「歴史からの逃亡」の産物といえる。国語教育におけるこの非歴史的な態度は、贖罪を乞う主人公が登場する文学教材を呼び寄せ、また一方では「文豪」が活躍するコンテンツのヒットを招き寄せるという皮肉な結果をもたらしている。
著者
永井 聖剛
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.23-38, 2020-05-15 (Released:2021-05-15)

明治二十年代に新しい日本の主導者として注目された「青年」は、明治三十年代後半、青年心理学という科学的言説によって、不安定で危険な世代として意味変容を余儀なくされた。時代は彼らに「修養」すなわち自(みずか)ら己(おのれ)を律し、身を立てることを求めた。修養ブームの到来である。またこれは同時に、すでに青年期を終えた者、すなわち〈中年〉の誕生をも意味していた。本稿は、自然主義文学の担い手を〈中年〉と定位し、彼らの「おのずから・あるがまま=自然」を受け容れる思考が修養的な激励とは対極的な、いわば同時代における対抗言説とでも呼ぶべきものを形成していたことを跡づけたものである。〈中年の恋〉を描いた「蒲団」以降の自然主義文学は、〈中年〉的な思考様式によって織りなされていたのである。
著者
松田 祥平
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.128-141, 2019-11-15 (Released:2020-11-15)

本稿では、江戸川乱歩が登場する以前の雑誌『新青年』の探偵小説言説を分析し、ジャンルが動的に形成されていく過程を明らかにした。まずは創刊当初の『新青年』という雑誌空間における探偵小説を定位した上で、同誌が盛んに主張した「高級探偵小説」の内実を明らかにした。さらに、その一方では、探偵小説を愛好する新たな層に許容されることで自身が「低級」だと規定したはずの種類の探偵小説が次第に掲載数を増やしていくという事態が存在していたことを指摘した。そして、そのように「低級」探偵小説を経由することで探偵小説に芸術性を見いだす価値観が形成され、「高級探偵小説」は後のジャンル状況に繋がる形で再編成されていったと結論付けた。
著者
倉田 容子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.127-142, 2014

本稿は、三枝和子のフェミニズム理論の今日的意義を明らかにすることを目的とする。従来、三枝のフェミニズムは「女性原理派」と目され、正当な評価を得てこなかった。本稿ではまずギリシア悲劇に関する三枝の評論を検討し、その論理展開における脱構築の手続きと「女性原理」の内実を明らかにし、従来の評価に修正を試みた。その上で、『鬼どもの夜は深い』における妊娠・出産の意味づけと共同体滅亡のプロットについて検討し、欠落としてのみ表象される亡霊的な「女性原理」の戦略性を明らかにした。さらに、こうした「女性原理」の概念を同時代の文脈において捉え直し、八〇年代に萌した身体の(再)規範化をめぐるフェミニズムの二つの潮流に対する三枝の位相を検証した。
著者
広瀬 正浩
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.97, pp.80-93, 2017-11-15 (Released:2018-11-15)

小説の読者は文字を目で追いながら、想像上の音声的な発信主体「語り手」の存在を感じ、それが語る幻の声を聴き取る。このとき読者は、想像上の存在である語り手に向き合う、「聴き手」の身体を獲得する。だが、この聴き手としての経験とはどのようなものなのか。この問題を考える手掛かりとして、シチュエーションCDという現実的な音声の表現に注目する。シチュエーションCDは一人称小説と類比的な関係にある。本稿では、この二つの表現の受容者がそれぞれどんな発声主体と向き合い、どんな身体を獲得するのかを検証する。そして、この聴き手についての考察が、虚構世界に没入する者の経験を問う上で重要であることを確認する。
著者
安 智史
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.46-61, 2015-11-15 (Released:2016-11-15)

丸山薫(まるやまかおる)は、戦前から戦時下にかけて堀辰雄、三好達治とともに第二次『四季』を主宰したにもかかわらず、四季派の異色詩人と評価されることが多い。しかし、宇宙論的SF短編やシュルレアリストの主張するオブジェ、あるいは〝工場萌え〟の先駆といえる側面をふくむ、薫テクストの無機物への感性は、狭義の詩派の枠組みを超える詩史的な感性の同時代性と、戦前から戦後をつなぐ表現の展開の結束点に位置する側面を有している。研究史上見落とされがちであったその特質を、稲垣足穂、萩原朔太郎、立原道造、中原中也および、無機的風景詩の先駆者とされる小野十三郎や、瀧口修造、山中散生(ちるう)らシュルレアリストとの、同時代性と影響関係を中心に解明した。
著者
武内 佳代
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.143-158, 2014-11-15 (Released:2017-06-01)

田辺聖子の短篇「ジョゼと虎と魚たち」(一九八四)を取り上げ、主人公の女性障害者ジョゼのニーズのあり方について、障害学とジェンダー研究の観点から改めて分析を行った。それにより、結末で死と等価物として映し出されるジョゼの「幸福」にディスアビリティとジェンダーによって拘束された彼女のニーズの閉塞状況を読み解き、それが一九八〇年代の女性障害者の多くに課せられた閉塞状況そのものであることを指摘した。その上で、さらにそのように読み取ることそれ自体に、現代リベラリズムに抗する読者によるケアの倫理/読みの倫理の契機を見出し、文学テクストの表象分析とケアの倫理との接続を試みた。
著者
跡上 史郎
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.33-48, 2022-11-15 (Released:2023-11-30)

澁澤龍彥「画美人」では、無数の典拠が組み合わせられているが、それは引用と反復と差異の記号論的考察を無効化してしまう過剰なコラージュであり、錯覚とその要因である認知機構の欠陥を暗示するだまし絵的テクストの領域へと踏み込んだものである。「画美人」のヒロイン翠翠は、男の諸々の妄想的欲望の結節点であるが、同時にそれが錯覚であることは、エッシャーの造形芸術に類比的な内容上の矛盾によって示唆されている。現代思想に距離を置くようになった澁澤は、そこに示されていた女性観にも両義的な立場を取るようになっており、「画美人」においては、女性を一方的な客体としてのみ見做す姿勢への批評が、主人公への哄笑として顕在化している。
著者
安 智史
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.146-161, 2018

<p>萩原朔太郎の、初期短歌時代から第一詩集『月に吠える』期にいたる詩歌に登場する、ピストル、銃殺刑、電流死刑等の表象を、彼の生前未発表ノートなどとともに分析し、それらの根柢に、国家暴力としての大逆事件や、日露戦争から第一次世界大戦にいたる二十世紀戦争への同時代的な認識が秘められていたこと。それらまがまがしい戦争暴力エネルギーの詩的表象において、朔太郎は国家暴力装置の側面に怯えつつ、「神的暴力」(ベンヤミン)に重ねられる純粋な暴力エネルギーの側面には、惹き付けられていたことを明らかにした。また、この、暴力的なエネルギーにたいする朔太郎の関心が、第二次世界大戦期に重なる最晩年まで、持続していた可能性を指摘した。</p>