著者
猪俣 伸道
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.91-95, 2007-03-20
被引用文献数
1

イノシシは雑食性と言われるが,雑食性の中で何をどのように食べるのかを調査した。人が食べる果物は何でも食べたがレモンは食べなかった。熱帯産の果物も食べた。種子の大きいものは種子を食べたり残したりした。莢付きのエダマメ,オクラとピーマンは食べなかった。ドングリの類は大きさに関係なく皆皮をむいて食べた。根菜類はゴボウを除いてすべて食べたが,ダイコンは時々残した。葉菜類はタケノコとホウレンソウは食べたが,他の物はどれも食べなかった。キノコ類はどれも全く食べなかった。セミの類は皆食べた。
著者
橋本 満
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
no.50, pp.89-100, 2014-03-18
著者
辻 平治郎
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.9-18, 2004-03-18
被引用文献数
1

今までの自己意識研究では, 自己意識をもっぱら受動的なものと捉え, その能動的側面を見失っていた。これはすべての自己意識研究に共通の問題で, 私たちの研究 (Usa et al., 1990 ; 辻, 1993) もその例外ではない。Buss (1982) もプライヴェートにではあるが, 「自己について考えることは自己意識には含まれない」と述べている。しかし, こうして受動的な自己意識と能動的な自己内省を区分すると, たとえば自己自身にかかわる侵入思考, 悩みや心配 (worry) として現われる自動思考, 坂本 (1998) のいわゆる自己没入などが「自己意識」の範疇に入り, 内省や瞑想, 自己の問題解決過程としての心配, あるいは森田の「思想の矛盾」の原因となる思想などは「自己内省」に入ることがわかる。それゆえ, これらを区別することによって, 臨床的にはより精緻な理解と研究が可能になると期待できる。そこで, 私たちは自己意識と自己内省を分化して測定できる「自己意識・自己内省 (SCSR) 尺度」を作成しようと考え, 試行錯誤の末にほぼ満足の行く尺度を完成させることができた。このSCSR尺度を辻 (1992) の完全主義尺度, Wells (1998) のAnTIと Meyer ら (1990) のPSWQとともに88人の女子大学生に実施して, 因子分析したところ, SCSR尺度は, (1)公的自己意識, (2)私的自己意識, (3)自己内省, の3因子に分化し, その因子的妥当性は確認された。AnTIとPSWQについては, 因子分析すると, 前者は「一般的心配」と「健康の心配」に, 後者は「心配の常在」と「心配へのとらわれ」に分化した。そこで, これらの尺度の因子間相関を検討し, 心配を基準変数として, 自己意識, 自己内省, 完全主義を説明変数とする重回帰分析を行った。その結果, AnTIの「一般的心配」とPSWQの「心配の常在」の間には高い相関があり, どちらにも完全主義の不完全性回避と公的および私的自己意識が有意な影響を与えていることがわかった。しかし各変数の影響力は異なり, 心配の常在には私的自己意識がより強く関与していることが明らかになった。また, 「健康の心配 (心気症的な心配)」には自己意識も自己内省も関与していなかった。さらに「心配へのとらわれ」に対しては, 自己意識と自己内省は逆方向の影響を及ぼしており, 自己意識は心配へのとらわれを強めるのに対して, 自己内省はこれを弱めて, 心配へのとらわれを少なくすることが明らかになった。これは能動的な自己内省と受動的な自己意識を区別することの必要性を支持するデータといえよう。ただし, この結果だけを見ると, 受動的な自己意識は不健康につながり, 能動的な自己内省は健康につながると見られるかもしれない。しかし能動的な自己内省も, 上記のように思想の矛盾などの問題を生じる可能性が考えられる。したがって, これらの問題についてはさらに検討を進めていく必要がある。最後に本研究の問題点について考えると, この研究結果はリーズナブルではあるが, 被検者が女子大学生に限定され, その数も88人に過ぎないという問題がある。SCSR尺度も因子的妥当性や内的整合性は認められたものの, 並存的妥当性や予測妥当性については検討されていない。再検査信頼性も確かめる必要がある。また心配の尺度も, 原尺度には信頼性や妥当性が認められていても, 翻訳によって変化が生じている可能性も十分考えられる。実際, 因子構造には違いが認められた。したがって, 今後被検者の範囲と数を増やし, 追跡調査をしていかねばならない。ところで, 文脈は少し異なるが, 最近杉浦 (2003) は心配を能動的なものと受動的なものに分けて研究を進めている。彼は問題解決のために能動的に開始した心配が, いつの間にか制御困難になって, 受動的なものになっていく過程を, 共分散構造分析によって見事に明らかにしている。その重点の置き所は本研究とは異なるが, ここには私たちの研究と共通の狙いを見ることができよう。本研究では自己意識と自己内省を区別して測定できることがわかったので, 今後は杉浦の研究などとも関係づけながら, さらに研究を進めていきたい。また, この理解を治療にも生かしていきたいと考えている。
著者
森 津太子
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.19-25, 2003-03-18

Most people have difficulty remembering events that occurred in their first years of life. Such a phenomenon has been studied for about 100 years since Freud termed it "childhood/infantile amnesia" . This article reviews the literature on the earliest memory, the emergence of which indicates the end of the childhood amnesia period, and examines current theories of childhood amnesia. A variety of theories of childhood amnesia were divided into three categories for discussion (the retrieval failure theory, the encoding/retention failure theory, and the social interactive theory) from the perspective of whether the theory assumes that memory is a permanent storage system or not (i.e., the retrieval failure theory vs. the encoding retention failure theory) and whether the theory assumes that memory is an intrapersonal process or an interpersonal proc- ess (i.e., the retrieval failure theory and the encoding/retention failure theory vs. the social interaction theory) . Finally, the implications of childhood amnesia for recovered memory and future directions are discussed.
著者
合田 美穂
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.63-80, 2006-03-18

香港におけるフィリピン人家事労働者の歴史は1970年後半にまで遡ることができる。1980年代以降,フィリピン経済の悪化により,フィリピン国内における就業率は減少し,フィリピンは国を挙げて,国民を海外へ送り出すことによって,外貨を稼ぐことを余儀なくされた。香港における家事労働の賃金は,他の国家や地域と比較すると高額であるため,香港を「出稼ぎの地」として選択するフィリピン女性は非常に多い。現在,約14万2千5百人のフィリピン人が香港で家事労働に従事している。香港の労働法令では,海外家事労働者は日曜および祝日には休暇をとる権利があると定められており,フィリピン人家事労働者は,これらの休暇をできる限り利用し,娯楽活動,宗教活動といった様々な活動に参加している。本研究は,こういった余暇時の活動を通して,家事労働に従事するフィリピン女性の故郷とのネットワークの築き方について理解をふかめ,そこから見えてくるフィリピン人女性の国家,地域,民族アイデンティティについて考察したものである。
著者
村上 淑恵
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.139-152, 2004-03-18

In this paper, I criticize a theory of "the similarity" between news-shows and waido-shows, or entertainment information shows, by investigating their differentiation and mutual reference through the news of the Aum-Shinrikyo incidents in 1995. I compare materials taken from "News 23 (hereafter, 23)" as examples of the news-shows and "Supa-waido (hereafter, Waido)" of the waido-shows. The results of my examination on the differences of the two information shows are as follows : (1) "23"-process explanation/"Waido"- condition explanation (2)"23"-logical, evidential/"Waido"-emotional, personal featuring (3)"23"-the Aum as terrorist organization/"Waido"-the Aum as group of insane people in delusion (4)"23"-the Aum as a dangerous threat to the nation-state and the legal system/"Waido"-the Aum as a bizarre threat to the civil society "23" focuses on the Aum's criminality and "Waido" on the Aum's strangeness through various details they have obtained. It has been pointed out that the news-shows describe the "anti-social" aspect of the Aum, while the waido-shows stress the "a-social" aspect of the Aum. However, this seeming differentiation tacitly gives the audience more "information plausibility" through the mutual reference mechanism that I would emphasize. News-shows make the audience believe that "such bizarre people would commit those crimes", at the same time the waido-shows strengthen the impression that "those crimes would be committed by such bizarre people". This may not be done by an apparent intention of the mass media, but by the consequence of mutual reference that occurs among massmedia.
著者
春日井 典子
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.39-48, 2003-03-18

近年,家族による高齢者介護を捉える新たなアプローテが登場してきている。それは「家族ライフスタイル・アプローチ」の一つ,すなわち「介護ライフスタイル・アプローチ」である。家族の個人化により,個々人は家族における高齢者介護についての個人的選好をもち,家族メンバー間での交渉をとおして,また要介護者への配慮をしながら,「介護ライフスタイル」を構築する。しかし,配偶者間介護を研究する際には,このアプローチは妥当性の点で疑問視されている。なぜなら,いまだほとんどの夫あるいは妻が配偶者の介護について第一の義務を担っていると感じているからである。本稿の目的は,なぜ配偶者間介護においてライフスタイル化が進行しないのかを明らかにすることにある。事例研究における介護者の語りから,配偶者間介護に携わる家族ダイナミックスについての二つの問題点,すなわち(2)夫婦関係システムの閉鎖性と(2)夫婦関係における情緒的相克性が見出された。そしてそれらは・,「夫婦愛原理」および固定的な「性別分業原理」からなる近代的な夫婦家族規範に基づいているという解釈を示した。
著者
奥田 和子
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.81-93, 2006-03-18

According to the Book of Genesis, the food that God gave to human beings was "vegetable food - plants with seeds, namely grains and fruit". However, after Noah's flood, God gave human beings permission to eat meat, with some restrictions. The Book of Deuteronomy 12: 20-22 says as follows: You may eat as much meat as you want". It is said to be a compromise given to human beings by God. I concretely considered how this compromise was carried out. I examined the history of meat-eating after Genesis through the Books of Exodus, Leviticus, Numbers and Deuteronomy. I came to the conclusion that meat was eaten in exact accordance with the regulations which God established. Fundamentally people were requested to be sacred in the context of God's sacredness. Meat-eating was no exception and was treated within the frame of sacredness. In concrete terms, the regulation was strict not only about the kinds of meat, but also "where", "who", what" and "how much". Meat was the offering to God at the ritual service. Some of the meat offered to God was burnt, but in most cases the remainder was eaten by the people in the company of God, in the tent. People arrived at compensation, atonement, or reparation in the presence of God. Meat was eaten for justifiable reasons, not by the people's thoughtless free will.
著者
奥田 和子
出版者
甲南女子大学
雑誌
甲南女子大学研究紀要. 人間科学編 (ISSN:13471228)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.79-89, 2007-03-20

The Book of JOSHUA describes the deeds of Joshua, the successor of Moses. The crossing of the Jordan and the conquest of Jericho, also the total sovereignty established by the tribes. The Book of Judges is to show that the fortunes of Israel depended upon the obedience or disobedience of the people to God's law. Whenever they rebelled against him, they were oppressed by pagan nations ; when they repented, he raise up judges to deliver them. The Books of Samuel comprise the history of about a century, describing the close of the age of the Judges and the beginning of monarchy in Isral under Samuel and David. So far, having described about meat-eating, animal, (2, 3, 4), here, I would like to continue todescribeon the meat-eating, and animal in the Book of Joshua, the Book of Judges and the Books of Samuel of the Old Testament.