著者
今村 展隆 BEBESHKO Via 木村 昭郎 BEBESHKO Vladimir.G BEBESHKO Vla
出版者
広島大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1995

キエフ(ウクライナ)の放射線医学研究センター(ベベシュコ所長)では、クリメンコ教授を中心として12万名のリクイデーター(除染処理作業従事者)を毎年健康管理している。彼らは250mSv:25rem以下の放射線被曝に留めるように設定したとされているが、実際にはそれ以上(一部は1Sv以上)の放射線被曝を受けた可能性を指摘されている。ウクライナ放射線医学センターで1986年以降リクイデーターの白血病発生を調査したところ、1993年までに141名の白血病発症患者を認めそのうち86名は急性白血病であった。放射線医学研究センター血液部門(成人)において、1993年以降1995年9月までに血液腫瘍疾患(悪性リンパ腫を除く)を発症した患者数(リクイデーター)は42名であり、大多数(31名)が男性で年令は20才〜67才であった。急性骨髄性白血病(AML)は16症例で、FAB分類ではAML,M1,3例、AML,M2,2例、AML,M3,2例、AML,M4,5例,AML,M5,4例であった。一方急性リンパ性白血病は2症例認められ、それらはいずれもALL,L2であった。男女比は14/4(3.5:1)で年齢(平均【+-】標準偏差)は41.8【+-】10.6であった。慢性骨髄性白血病は8症例認められ、慢性リンパ性白血病(B-CLL)は8症例であった。これらは男性患者のみで年令(平均【+-】標準偏差)は47.4【+-】10.3であった。また骨髄異形成症候群(MDS:前白血病状態)も8症例認められた。男女比は6/2(3:1)で年令(平均【+-】標準偏差)は51.3【+-】8.7であった。これらの急性白血病のうち検査し得た二症例において、p53癌抑制遺伝子のExon 5及びExon 6の欠失を認めた。この事実は白血病発症においてp53癌抑制遺伝子が重要な役割を演じていることが示唆される。またこの白血病発症率を非被曝者を対象群として比較したところ、リクイデーターの白血病発症率は有意に高率であることが判明した。更にキエフの小児病院にてチェルノブイリ事故前後(1980〜1993年)における小児急性白血病発生率を検討した。キエフ州の急性白血病発病率は(対10万名)及び発病患者数は各々1980年5.24(23名)、1981年3.22(14名)、1982年4.82(21名)、1983年2.56(11名)、1984年4.41(19名)、1985年2.03(13名)、1986年2.81(12名)、1987年5.49(23名)、1988年5.53(23名)、1989年5.27(22名)、1990年4.33(18名)、1991年2.67(11名)、1992年2.43(10名)、1993年2.45(10名)、であり1987〜1990年に一過性の発病率の増加を認めたが、その後は減少していた。ジトミール州の小児急性白血病発病率(対10万名)及び発病患者は各々1980年1.60(5名)、1981年1.61(5名)、1982年1.63(5名)、1983年1.0(3名)、1984年1.60(5名)、1985年3.40(11名)、1986年5.30(17名)、1987年4.44(14名)、1988年4.71(15名)、1989年6.32(20名)、1990年5.80(18名)、1991年5.60(17名)、1992年5.60(17名)、1993年2.91(10名)であり、1988〜1992年に一過性の増加が認められたが、1993年には下降している。ポルタフスキー州の小児急性白血病発病率(対10万名)は1983年5.80、1984年7.8、1985年7.5、1986年5.4、1987年5.5、1988年6.7、1989年4.9、1990年6.7、1991年6.2、1992年6.9でありほとんど発病率の変化は認められなかった。従ってキエフ州、ジトミール州及びポルタフスキー州については調査した限りでは小児急性白血病発症率についてチェルノブイリ事故前後における急性白血病発病率の有意差は認められなかった。以上の事実より高線量被曝者(リクイデーター)に最近白血病発症の増加傾向が認められていることが示唆される。

言及状況

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原子炉爆発直後からプルームが拡散したチェルノブイリでは、I133、135の影響もあると思われます。チェルノブイリでも事故後数年間、小児白血病が一時的に増えたようです。https://t.co/09rwd9FOQd

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