著者
大嶽 秀夫
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

1993年の「政治改革」は、派閥の力を弱めることによって、相互に矛盾する二つの動きを日本政治に生み出した。一つは、党執行部のリーダーシップの強化であり、もう一つは個々の議員の相対的自律性の強化である。いずれの方向が今後優勢となるかはみきわめが難しいが、その行方を左右するものとして、2つの要因が重要である。一つは、与党が連立をいつまで必要とするかである。公明党との連立が不可避である限り、党執行部の党内統制力は強い状態にとどまるであろう。他方、もう一つの要因として、1970年代中期からのポピュリズムの断続的登場が挙げられる。ポピュリズムとは、通奏低音としての政治不信(政党とくに与党と官僚への不信)を背景に、時折現れる特定政治家への高い期待の急浮上(と急落)のことであるが、これが近年再三にわたって登場している。日本新党ブームを起こして首相に就任した細川護煕、(自社さ連立時代に)厚生大臣として薬害エイズ問題を「解決」し国民的人気を博した菅直人、派閥内で孤立していながら国民的人気で自民党総裁に選ばれ、九六年総選挙で自らを党の「顔」にしたテレビCMによるイメージ・キャンペーンで勝利を収め、「六大改革」に邁進した橋本龍太郎、森政権時代に「加藤の乱」で国民の喝采を博した加藤紘一、二〇〇一年の自民党総裁選挙で突如人気をさらった小泉純一郎と田中真紀子のコンビなどが、こうした突発的で強い期待を集めた政治家たちである。以上の特定政治家への国民的支持の一時的急上昇の主体は無党派層が中核となっっているとみられるが、それが自民党内権力構造に大きな影響を与えている。そして、その支持を背景として、九〇年代以降のポピュリストたちは、ネオ・リベラル型政策を掲げて、日本政治の改革に邁進する姿勢を示してきた。換言すれば、党内基盤の弱いポピュリスト政治家たちは、(自分の所属する政党を含む)政党や官庁を敵に仕立てて、改革の姿勢を演出する。これが今日日本政治の常態となっているのである。

言及状況

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こんな研究ありました:連立政権下における政策決定構造の特徴と自民党内権力構造の変容(大嶽 秀夫) http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/13620088

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