著者
土屋 太祐
出版者
新潟大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

唐末福建の雪峰教団は雪峰系と玄沙系という二つの系統に分裂していった。その背景には思想的な原因があり、玄沙―法眼系の禅僧は個人を超越し、世界に充満する仏性の体得を目標とした。これは唐代禅の思想的営為の一つの結論といえる。また北宋代の禅僧である契嵩は、その著書『輔教編』で、当時の排仏論から仏教を護るため、仏教が社会秩序の維持に貢献しうることを主張した。その論理体系においては、社会秩序を維持する手段として「因果応報」の観念が重視された。また仏教の他教に対する優位性として実践性を重視した。これは無事禅批判の先駆けとなるものであった。

言及状況

Twitter (3 users, 7 posts, 2 favorites)

『宋代以降の中国禅宗において…主流派となった大慧宗杲の「看話禅」は,「悟り」の実在を強調することに特徴があった。 それ以前の唐代禅(は)修行と悟りの価値を否定し…「無証無修」の立場に立っていた』 「唐宋禅宗思想史の研究成果報告書」(5) #禅 https://t.co/N9SZK3Ofqs

収集済み URL リスト