著者
荻野 雄
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
no.108, pp.83-99, 2006-03

本論文は,主としてクラカウアーの『サラリーマン』を考察する。ワイマール時代のドイツでは,社会の構造転換によりサラリーマンの数が急増していたが,この新しい社会集団には殆ど注意は払われていなかった。クラカウアーはインタビューや実地の観察を通じてこの集団を先駆的に研究し,彼らの意識の独特の歪みを見出した。ドイツのサラリーマン層は,貧困化しているにもかかわらず,自分たちを労働者とは違う身分として考え続けていたのである。Diese Abhandlung folgt der vorausgehenden Betrachtung uber den Gedanken Siegfried Kracauers und behandelt hauptsachlich Kracauers Die Angestellten. In der Weimarer Zeit stieg die Zahl der Angestellten wegen des Wandels der Sozialstruktur rapid an,aber diese neue soziale Gruppe zog kaum die offentliche Aufmerksamkeit auf sich. Kracauer ist der erste Denker,der diese unbekannte Gruppe durch die Feldarbeit, wie zum Beispiel Gesprache mit mancher Personen, und direkte Beobachtungen studierte.Er hat in ihrem Bewuβtsein die Falschheit,die fur die Zukunft Deutschlands gefahrlich wurde,gefunden.Obwohl im Hinblick auf die Arbeitsbedingungen die Angestellten sich der Arbeiterklasse naherten,dachten sie sich noch als den Mittelstand,der von dem Proletariat verschieden war.
著者
松良 俊明
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学環境教育研究年報 (ISSN:09193766)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.57-67, 2007

カマキリ(チョウセンカマキリ)とオオカマキリの卵塊はセイタカアワダチソウに付いていることが多い。京都市伏見区に散在していた18ヶ所のセイタカアワダチソウ群落地において両種の卵塊密度を調べたところ,オオカマキリの卵塊は丘陵地から河辺草地まで広く分布していたのに対し,カマキリの卵塊は丘陵地には見られず,平地の水田地帯にあるセイタカアワダチソウ群落地に集中していた。この調査はおよそ30年前に行ったものであるが,今日その群落地のほとんどは消滅し,完全な市街地と化している。平地草原にのみ生息するカマキリは,潅木や樹木をも住処としかつ産卵するオオカマキリと異なり,都市近郊部から姿を消しているという実態を把握することができた。平地草原の永続性が危ぶまれる今日,やがてカマキリは日本から消滅するのではないかと危惧される。
著者
丸山 啓史
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
no.122, pp.87-100, 2013-03

障害児の母親の就労に関して,祖父母による援助は重要な影響をもつと考えられる。本稿では,59人の母親を対象とする調査に基づき,母親の就労との関係で祖父母が担っている役割を示している。その役割とは,障害のある子どもを預かることや,学校等への送迎を担うことなどである。そうした祖父母の役割は,母親の就労にとってほとんど不可欠なものになっている。しかし,祖父母による援助が得られない場合もある。また,祖父母の加齢にともない,祖父母が母親を援助することは困難になる。祖父母による援助への依存は,母親の就労を不安定なものにしている。
著者
松良 俊明
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学環境教育研究年報 (ISSN:09193766)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.55-65, 1993-03-31

かつて昆虫採集はわが国の理科教育において大きな比重を占めてきた。これは生物教育の方法論において,文部当局が標本収集ということを重視してきたことが大きい。いわば昆虫採集を政府自らが奨励してきたのであり,この方針はじつに明治初期から戦後10数年後まで続いたのであった。しかし,昭和33年(1958)に出された「学習指導要領」から,文部省の方針は採集重視から観察重視へと一変し,その結果昆虫採集は今日ほとんど顧みられなくなった。だが最近再び昆虫採集を見直す動きがあり,その是非をめぐって論争が起っている。これまで提出されてきた賛成派・反対派の論点を整理するとともに,昆虫採集には一定の利点が存在するが,それを上回る問題点も認められるとする筆者の考えを提示した。
著者
山嵜 泰正
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学環境教育研究年報 (ISSN:09193766)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.53-68, 1997-03-31

オランダ風説書で米国船の来航を警告していたが,慣例重視の幕府はそれを無視した。現実の黒船出現と脅しに幕府は米国と和親条約を結び,大老・井伊直弼は勅許を得ずに日米修好通商条約を締結した。将軍継承問題での一橋派と南紀派(井伊大老)の対立は安政の大獄の大弾圧,そしてその反発で井伊大老暗殺を惹起した。公武合体で孝明天皇の妹・和宮が14代将軍・家茂に降嫁した。尊王攘夷運動は長州藩の米英蘭船砲撃,四カ国下関砲撃へ発展した。生麦事件を起こした薩摩藩は英軍艦報復攻撃を受け,軍備の近代化が必要と痛切に感じた。禁門の変の責めで長州征伐の際,薩摩藩は薩摩名義で長州の武器を購入し,その仲介役の形で海援隊の坂本龍馬が薩長同盟を成立させた。将軍家茂の急死で,15代将軍なった慶喜が,討幕運動の出鼻をくじくため大政奉還を決意した。その日に討幕派は討幕の密勅を受けた。王政復古を宣し「朝敵・徳川慶喜を討て」と号令を発した。1868(慶応4)年1月3日,鳥羽・伏見の戦いが始まり,幕府軍が敗走し,討幕派の薩長は「官軍」として「朝敵・徳川を征伐」するために江戸を攻めた。
著者
真下 弘征
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学環境教育研究年報 (ISSN:09193766)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.11-40, 2000-03-31

日本の各地域は,戦後の地域開発政策や産業構造改革政策,大量生産・大量消費社会化政策,モータリゼーション等によって,環境破壊や地域社会の荒廃に陥ったところが多かった。しかし,多くの地域で,その破壊や荒廃をのりこえ新たな生活環境づくり,まちづくりに取り組み始めた。本稿は,生活環境づくりの課題について考察している。大量排出物の減量化・再利用化・ゴミゼロ化の課題から自然循環的社会づくりの要点をみることや,生態学的(エコロジカル)生活環境の再生・復元(エコロジカルまちづくり)の事例やその課題をみること,アメニティの概念の整理とその社会的側面・自然的側面の保障の課題,共生的な地域まちづくりの課題のほか,生活環境づくりとしての脱クルマ社会化,エネルギー問題・脱原発化などの課題にも触れている。これらの課題は今後の日本の重要な課題であるが,行政,市民各人,学校,企業がそれをどのくらい真剣に取り組むかで21世紀のありよう,グローバルにみれば地球環境のありようが違ってくる。
著者
二枝 美津子
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
vol.114, pp.105-119, 2009-03

態は文法範疇であり能動態と受動態に区別されている。それぞれ能動構文と受動構文で表されると言われているが,統語・形態的な違いに基づいた区分と意味が一致しない場合が少なくない。能動態と受動態をつなぐ中動態を考慮にいれることで,態の範疇の新しい面が見えてくる。本論文では,類型論の視点にたって中動態をもつ言語から中動態の本質をさぐり,認知言語学の視点から能動態・受動態との事態の捉え方の違いをみていく。中動態は能動態より他動性が弱く,中動態の本質は本来他動詞の参与者の始点と終点の区別が不可能か必要ない場合に生じる自動詞化であることを明らかにする。そのため中動態の主語は動作の始点と終点の両方の意味をもつ。本来の自動詞と自動詞化された中動態の違いは,前者では参与者が一つと捉えているのに対して,後者では参与者を二つと捉えてはいるが,精緻化の段階でどちらかをトラジェクターとして区別しないため,参与者は一つとして言語化される。It has been said that voice category is distinguished into the active and the passive. Active constructions belong to the active and passive constructions to the passive. But in some cases a meaning does not correspond to the constructions which are regarded as natural. A new aspect of voice category is revealed by establishing the middle voice which is connected with the active and the passive. In this paper the nature of the middle is investigated from the point of typology, and the way of construing the situation will be clarified from the viewpoint of cognitive grammar. In the middle transitivity is less than the active, and the middle is intransitivized from the active in the case where a starting point and an endpoint are not distinguishable. The subject of the middle has a meaning of an agent and a theme. The difference between the true-intransitive and the intransivized one is that the former is recognized as having one participant. In the latter, one participant of the two is elaborated as a subject because of their indistinguishability, though both participants are recognized.
著者
岡田伸夫
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要. A, 人文・社会 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.79-96, 1986-03 (Released:2011-01-18)
著者
奈倉 洋子
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要. A, 人文・社会 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.141-156, 1998-09

本稿は,19世紀初頭のドイツにおいて,ユダヤ人がどのように描かれているのか,グリムのメルヒェン集,伝説集,ヘーベルの暦物語を中心に調査し,検討を加えている。民衆向けの本やグリムの伝説においては,伝統的な儀式殺人伝説が相変わらず生き続けていて,そのユダヤ人像は,血に染った恐怖にみちたものとなっている。また,グリムのメルヒェン集におけるユダヤ人は,古くから形成されてきた,ずる賢く,金銭欲が深く,人を騙すなどのユダヤ人に対する固定観念に基づいたネガティブな描かれ方をしており,版を重ねるにしたがって,その度を増している。それに対し,ヘーベルの暦物語の中のユダヤ人は,悪罵を浴びせられながらも,知恵と心情でそれを乗り越え,人間的な理解をかちえてゆく。ヘーベルは,ユダヤ人に対する一般的な偏見の軛に囚われることなく,ユダヤ人をあくまでもひとりの人間として見,その人間性を描いている。本稿では,グリムとヘーベルのユダヤ人像のちがいについて,両者が精神形成をした時代の知的,政治的状況と関わらせて論じている。The purpose of this paper is to investigate the Jewish figures who appear in the tales of Grimm (Jacob: 1785-1863, Wilhelm: 17864859) and Hebel (1760-1826). Grimms' Sagen contain two tales of the traditional murder ritual legend in which blood-thirsty Jewish characters kill innocent children for their ritual. Another type of Jewish characters, materialistic and stingy Jews, appear in three tales included in Grimms' Marchensamrnlung. While these moneygrubbing Jews only play secondary parts in these tales, they become objects of ridicule and hate. In general the Jews in Grimms' Marchen are portrayed as negative figures and this tendency becomes even stronger in the later editions. In comparison with Grimm, Hebel creates more positive and human Jewish figures in his Kalendergeschichten. While they are also bullied and ridiculed, they often overcome difficulties with wit and humor. In this paper I will argue that the difference between Grimms' portrayal of Jews and that of Hebel reflects the political and intellectual climate in which each author spent his formative years. While Hebel, a child of the age of enlightenment, was liberalminded and relatively free from racial prejudices. Grimm became increasingly nationalistic as German society's patriotism went hand in hand with racism and nativism after Napoleon's invasion of Prussia in 1806 and the subsequent war.
著者
荻野 雄
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
vol.111, pp.35-53, 2007-09

本論文は前稿に引き続き,クラカウアーの『カリガリからヒトラーへ』を考察する。クラカウアーはワイマール期ドイツの重要な映画,「カリガリ博士のキャビネット」,「ニーベルンゲン」,「最後の人」,「蠱惑の街」,「メトロポリス」,「ベルリン」,「嘆きの天使」,「青の光」,「制服の処女」などのうちに,ドイツ中間層の精神の自然への退行過程を読み取っていく。退行していたがゆえに中間層は,ラティオや資本主義に対する非合理な反逆を体現するヒトラーおよびナチスを熱狂的に受け入れたのであった。Diese Abhandlung folgt der vorausgehenden Betrachtung"Uber Siegfried Kracauers From Caligari to Hitler (1)"und behandelt besonders seine Auslegung des deutschen Films in der Weimarer Zeit. Kracauer betrachtet z.B. " Das Cabinet des Dr.Caligari", " Die Niebelungen", " Der Letzte Mann", " Die Strase", " Metropolis", " Berlin die Symphonie einer Grosstadt", " Der blaue Engel", " Das blaue Licht" und " Madchen in Uniform". Er entdeckt in diesen Meisterstucken des deutschen Films den Tendenz der Mittelschicht zur Regression in die Natur. Rettungslos der Regression verfallen, nahm die Mehrheit des Mittelstandes begeistert Hitler auf. Hitler und die Nazis verkorperten den irrationalen Aufstand gegen die ratio und den Kapitalismus.
著者
荻野 雄
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
vol.111, pp.17-34, 2007-09

本論文は,主としてジークフリート・クラカウアーの『カリガリからヒトラーへ』を考察する。『カリガリからヒトラーへ』はクラカウアーのおそらく最も有名な著作であるが,これまでほとんど詳しく研究されたことがなかった。ここではこの作品を解読するために,クラカウアーがそこで前提としているワイマール共和国史把握と,「パリの街路の思い出」,「思い出なき街路」,「街路の悲鳴」などの論考に見られるワイマール時代の彼の街路研究を見ていく。クラカウアーにとって「室内」と対比的関係にある街路は,近代を超えた世界の象徴であった。Diese Abhandlung folgt der vorausgehenden Betrachtung uber den Gedanken Siegfried Kracauers und behandelt hauptsachlich Kracauers From Caligari to Hitler. Obwohl From Caligari to Hitler vielleicht eines seiner beruhmtesten Bucher ist,ist es bisher nicht eingehend untersucht worden. Um From Caligari to Hitler prazis zu analysieren, untersucht diese Abhandlung seine Auffassung uber die Geschichte der Weimarer Republik,die Kracauer in diesem Werk vorausgesetzt hat,und seine Forschung uber die Strase. In seinen Essays in der Weimarer Zeit, z.B. "Erinnerung an eine Pariser Strase", "Strase ohne Erinnerung" und "Schreie auf der Strase" hat er uber dieses Thema diskutiert. Fur ihn war die Strase,die im Gegensatz zum Interieur steht,das Symbol der Welt,die das Moderne uberwindet.
著者
前田 一之
出版者
京都教育大学
雑誌
奨励研究
巻号頁・発行日
2016

教授会の諮問的役割を明文化した平成27年4月の学校教育法改正は, 大学組織における上意下達型のガバナンスに決定的ともいえる法的正当性を付与したが, 国立大学法人化に淵源を有するこれら一連の改革は, 集権化が大学組織の経営効率を高めるという「前提」に依拠しているに過ぎず, 確たる裏付けがなされている訳ではない。「産業企業とは異なる組織特性を有する大学において, 組織構造の集権化は大学経営の質を高め得るのか」, 本研究は, かかる問題意識に基づき実施がなされたが, 研究の趣旨に照らし, 政策的誘導が相対的に生じにくい, 私立大学のみに限定した。従来, 私立大学における経営状態の規定要因を分析した先行研究では, 定員充足率や人件費比率が用いられてきたが, これら指標では, 本研究が目的とする「組織運営の効率性」を把握することはできない。そこで, 筆者は, 私立大学の財務データをもとに, DEAによる効率性分析とTobitモデルによる回帰分析を併用することで, 組織の運営効率に対する所有権構造の影響について実証的観点から検証を行うこととした。分析の結果, 組織構造は, 組織の運営効率に対して, 影響を及ぼしていないことが明らかとなった。逆に, 組織の運営効率に対して, 最も強い影響を及ぼしていたのは選抜性であり, わが国においては, 大学の威信による経路依存性が未だ根強く残っている状況が看取された。今後, 少子化が進行する中で, 大学の自助努力のみを期待する政策では, 多くの大学は自大学で統制不能な要因によって市場からの撤退を余儀なくされる可能性が高い。一方, かかる強い影響力を有する選抜性で統制してもなお, 柔軟性と革新性を志向するアドホクラシー文化が効率性に対して有意に正の影響を及ぼしていた事実は興味深く, この結果は, 米国における先行研究とも符合している。結果的に, 大学組織における中央集権的な所有権構造の有効性は否定されたといえる。
著者
垣内 幸夫
出版者
京都教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2002

本研究によって得られた知見として特筆すべき点は、大阪音楽大学所蔵の明治期三味線三巨頭の朱(三味線の楽譜)を人間国宝・七世鶴澤寛治師に繰って頂きその違いを明らかにしたことと、歴史的音源によって現在舞台では聞くことのできない三味線の手を発見したことである。(1)本研究では『菅原伝授手習鑑〜寺子屋の段』及び『絵本太功記〜尼ケ崎の段』を中心に、基礎資料を収集して分析を行った。さらに東京文化財研究所蔵の「安原コレクション」SPレコードから歴史的録音の音源資料を収集して、近代の演奏・演出様式の変遷について分析した。(2)文楽三味線の人間国宝・七世鶴澤寛治師による「寺入の段」「寺子屋の段」「尼ケ崎の段」の演奏と芸談をビデオに録画した。さらに八世豊竹嶋大夫師から十世豊竹若大夫に関わる芸談を聞いた。二世豊竹呂勢大夫師には「尼ケ崎の段」の浄瑠璃の実演と芸談をDATに録音した。(3)文楽研究家の高木浩志氏からは、近代における「文楽の芸の変化」に関わる話を聞いた。後藤静夫氏からは、「文楽協会〜国立文楽劇場」を通しての文楽の質的変化と、「古典」と「新作」に関する話しを聞いた。そして坂本清恵氏には「尼が崎の段」の語りの音声分析を依頼して、近現代における義太夫節の語りの変化について共同研究した。なお、研究成果の一部は拙稿「義太夫節の声」(教育芸術社)「文楽を聴く 義太夫節の音楽的特徴を考える(1)〜(4)」(日本芸術文化振興会)等で公表した。
著者
武島 良成
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要
巻号頁・発行日
no.119, pp.1-16,63〜70, 2011-09
著者
武島 良成
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学紀要 (ISSN:03877833)
巻号頁・発行日
no.119, pp.1-16,63〜70, 2011-09
著者
坂東 忠司 谷川 幸江 櫻井 真由美
出版者
京都教育大学
雑誌
京都教育大学環境教育研究年報 (ISSN:09193766)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.85-99, 2001-03-31
被引用文献数
1

巨椋池干拓地の植物相を調査し,404種を確認した。干拓前に報告されている167種のうち91種はすでに見られなくなったが,残る76種は現在も生育していることが明らかとなった。この70年間に植物の種数は2.4倍に増加したが,これは干拓地の乾燥化によって水分環境が多様化したことに加え,鳥を中心とした動物や道路建設に伴う客土,あるいは耕作に伴う種子の持ち込みなどに起因するものと考えられる。中でもキク科,マメ科,イネ科のように,多くの帰化種を含む分類群の増加が著しい。現在,巨椋池干拓地およびその周辺の環境は加速度的に変化しつつある。現在の植物相を記録しておくことは,今後の環境変遷を考える上で重要な基礎資料となるものと思われる。