著者
大久保 京子
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.42, pp.37-52, 2014-03-01

各地に伝承と共に存在する「義民」は、江戸時代においてはその土地で英雄であった。中でも佐倉惣五郎は、歌舞伎の流行もあって、よく知られた存在であっただけに、民権運動に利用されることとなる。きっかけとなった内のひとつに福沢諭吉の著作「学問のすゝめ」がある。暴政を行う政府に対し、正当に抵抗を続ける存在として「義民」を「民権家」に照らし合わせたのである。その後民権家によって多くの義民伝承が収拾、著述され、顕彰が行われたが、『東洋民権百家伝』により、全国の義民伝承の収拾がされている。本稿では、佐倉惣五郎の義民伝承の整理と共に、明治期の中でも自由民権運動の展開に「義民」がどのように利用され、影響したのかについて考察する。
著者
平松 隆円
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学教育学部学会紀要 (ISSN:13474782)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.107-112, 2009-03-14
被引用文献数
1

This study was focused on the every day feeling adjustment with makeup. The purpose of this study was clarified whether manicure had as influenced to be desirable for feeling adjustment. The analytical subject was 40 female university students (M=19.68years old, SD=2.03). The index used Profile of Mood States(POMS). After using manicure, "Tension-Anxiety score","Depression -Dejection score","Anger-Hostility score", "Fatigue score","Confusion score" decreased significantly of Profile of Mood States(POMS) and "Vigor score" increased significantly of Profile of Mood Sates(POMS). The result of this study indicated a fact it is possible to give positive feeling adjustment affects on female university students through the using manicure. 本研究の目的は,化粧の日常的な感情調整作用に注目し,女子学生40名(平均年齢=19.68歳,SD=2.03)を対象に,マニキュアのもたらす感情調整作用について検討することである. マニキュア使用前後の感情の変化をProfile of Mood states(POMS)によって測定したところ,マニキュアの使用にともない,「緊張-不安」「抑うつ-落ち込み」「怒り-敵意」「疲労」「混乱」が有意に低下し,「活気」が有意に上昇することが明らかとなった. 本研究の結果から,マニキュアの使用はリラクセーションに有用であると考えられた.
著者
三宅 智志
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.151-166, 2011-03-01

嘉永六年(一八五三)、譜代・家門で担っていた江戸湾警衛に外様国持が動員された。その理由を考察する中で、柳川立花家に着目すると当主鑑寛の正室は田安斉匡の娘である。本稿ではこの立花鑑寛と田安斉匡の縁戚関係をヒントに、徳川家の縁戚関係の広がりを検討し、近世後期に徳川家が行った縁組政策の目的を考察していく。その上で、前記の嘉永六年に外様国持が江戸湾警衛に動員された背景を解明していく。その結果、多くの外様国持は徳川家との縁戚関係上に存在している。つまり、何れも徳川家と文化・文政期以降に姻戚関係を築いた大名によって江戸湾が警衛されているのである。ペリー来航以前は、名実ともに家門と譜代であったが、ペリー来航以降は国持で家門にあたる大名が将軍のお膝元である江戸湾警衛に動員されるのである。
著者
斎藤 英喜
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.1-18, 2011-03-01

本居宣長『古事記伝』に描かれた太陽神アマテラスの像は、中世的に変貌したアマラテスにたいする「古代神話」の復権として見られてきた。しかし宣長のアマテラス=太陽説は、十八世紀における西洋天文学の知識、とくに『真暦考』などに示された地球説、太陽暦の受容と不可分なものである。そこには宣長が導いたアマテラスの「普遍性」が、十八世紀の科学・天文学に支えられていることが見てとれる。本稿では天文学と神話解釈の問題を「中世日本紀」の世界にまで遡り、とくに宋学系天文学と吉田兼倶の日本紀言説との接点を再検討しつつ、さらに渋川春海との比較を通して、宣長のアマテラス像の固有性を「近世神話」として解読する視点を提示する。
著者
平松 隆円
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学教育学部学会紀要 (ISSN:13474782)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.147-155, 2012-03-14

なぜ、若者は電車内などの公衆場面で化粧をおこなうのか。ある調査によると、10歳代の約40%は電車内での化粧に抵抗なく、約30%が実際に経験している。しかしながら、50歳代では約8.5%に抵抗がなく、実際の経験も6.5%と低下する。これは、社会や集団において個人が同調することを期待されている行動や判断の基準である規範意識に差があるからと仮説できる。また、従来からのアルコールや薬物に加え、近年では携帯電話などの依存性が社会問題化している。化粧と依存性との関係について、化粧そのものに気分の高揚感が存在することから、公衆場面で化粧行動をおこなう者は、ある程度の依存状態にあるのではないかと仮説できる。そこで本研究は、公衆場面における化粧行動と規範意識や依存性について検討をおこなった。結果を要約すると、以下の通りになる。1)実際の化粧行動は、『日常的化粧行動』と『非日常的化粧行動』に構造化され、公衆場面での化粧行動は『不特定他者場面』と『特定他者場面』に構造化された。そして、男性では『非日常的化粧行動』が『不特定他者場面』と、『非日常的化粧行動』が『特定他者場面』と有意な正の相関関係を、女性では『日常的化粧行動』が『特定他者場面』と、『非日常的化粧行動』が『不特定他者場面』と有意な正の相関を示すことがわかった。2)男女とも『不特定他者場面』『特定他者場面』のそれぞれを規範意識が有意に規定することはなかった。3)男性では『不特定他者場面』を情動的依存が負に有意に規定することが、女性では『不特定他者場面』を情動的依存が負に有意に規定することが、『特定他者場面』を情動的依存が正に有意に規定することがわかった
著者
浅尾 広良
出版者
佛教大学
雑誌
京都語文 (ISSN:13424254)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.35-46, 2010-11-27

『源氏物語』桐壺巻の巻末近くには、二人の皇女の婚姻が語られている。しかも二人は皇統の尊貴性を担う后腹内親王であり、物語はこうした皇女の婚姻を全体の舞台設定として語るのである。そもそも、律令制度下において皇女の婚姻は厳しく制限されていた。それは皇女が皇位継承において重要な役割を果たして来たことに由来する。そのために皇女不婚の原則は何百年にも亘って守られてきたが、平安時代に入るとそれが少しずつ崩れてくる。しかし、そうであっても天皇の意図に従い、皇女は相変わらず天皇家の権威保持にとって重要な役割を果たしたのである。歴史的に見ると、皇統が交替し、天皇の権威が危うくなった時に、皇女を使った皇統の権威化と臣下との紐帯強化が繰り返し行われてきた。物語の二人の皇女の婚姻は、天皇のおかれた裏面の事情を想像させる。
著者
原口 善一郎
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.40, pp.121-130, 2012-03-01

本稿において,佐賀県武雄市に保存されている江戸寛政期の資料を中心に紹介する。この資料は,旅日記の形式による雑記帳(寛政七年),薬の資料(天保九年)など多様である。今回,廃棄を免れ現存する資料の全てにおける資料撮影許可をいただいた。撮影できた分の内,寛政期の生きた歴史資料としての部分と薬の材料の部分を中心に資料を公開するものである。
著者
永和 良之助
出版者
佛教大学
雑誌
社会福祉学部論集 (ISSN:13493922)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.39-56, 2011-03-01

本稿は,増加していると言われながらも不明な点の多い介護事故の現状を明らかにすることを目的としている。アプローチの方法としては,事業者から提出された事故報告書を公文書公開制度によって入手し分析する手法を採っている。この「生の」第一次資料を一枚一枚分析した結果,介護事故は圧倒的に転倒事故が多いことや,その発生状況も明らかになったが,本稿の研究上の意義は,これまで詳らかでなかった介護過失 (介護ミス) の現状を明らかにした点にあり,(1)事業者による介護過失が相当数起きていること,(2)過失の直接原因は,介護技術の未熟さと介護知識の不足や,介護従事者の不注意や安全保持の怠慢などにあること,(3)過失の結果,利用者が死亡,骨折を負うなど重大な被害が多数生じていること,(4)にもかかわらず損害賠償の実施件数は極めて少ないことなどを論証している。
著者
青山 忠正 淺井 良亮
出版者
佛教大学
雑誌
歴史学部論集 (ISSN:21854203)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.17-33, 2014-03-01

寺田家は、十八世紀において京都の呉服商であったが、十九世紀初めに、越後国新し発ば田たの大名・溝口家の用よう聞きき、ついで京都留守居を務めるようになって士分に取り立てられ、やがて明治四年の廃藩置県を迎える。その間、六十年間以上にわたる関係史料は、約三千点にのぼる。なかでも、二十六冊に及ぶ御用留は、京都留守居の活動状況を知る上で興味深い。本稿は、この寺田家文書の概要を紹介するとともに、御用留の一端を提示して、その史料価値などについて考察する。
著者
笹田 教彰
出版者
佛教大学
雑誌
仏教学部論集 (ISSN:2185419X)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.1-20, 2014-03-01

昭和五年(一九三〇)石川県永光寺から発見された十二巻本『正法眼蔵』は、各巻が緊密な関係をもって構成されており、七十五巻本とは明らかに編集態度を異にしている点が特色とされている。本稿は、七十五巻本ではほとんど言及されなかった「臨終」「臨命終時」等の用語が十二巻本に集中して用いられている点について、道元は当時の浄土教思想に基づく臨終正念重視の風潮を等閑視していたのでもなく、また自らの死を強く意識して命終の一瞬をことさら注視していたものでもないと見方から、同時代の臨終正念重視の思想的特色を踏まえ、道元の「臨終観」を明らかにするとともに、十二巻本編集における道元の意図や構想について私見を呈した。従来の研究では、臨終正念が重視されていた当時の浄土教思想を踏まえて論が構築されていたが、臨終正念への偏重という「こだわり」は、一面、因果の道理を否定するものであったという点、またそれは善知識の助けによって成就することができるという、その役割が異常なほど高められていた点を、十分に捉え切れていなかったといえよう。この二点に着目することによって、善知識の役割にまったく触れていない道元に「人身を失せんときに対する異常な関心」を見届けることは不可能であり、十二巻本全体が「因果をあきらめること」という思想で貫かれていることの意味が、より一層鮮明になってくると考えるのである。十二巻本の撰述に関しては、「撥無因果」を断善根と明示した如浄禅師の教えを記した『宝慶記』が読み返され、「深信因果」巻では徹底して因果を撥無することを戒めて「三時業」巻へ発展させたとみられており、昼夜無間断の積功累徳こそが如浄禅師への報恩行と考えられ、「十二巻本新草の具体的な動機となって、改めて「仏教とは何か」を説いておかねばならない」と道元は考えていたと推測されている。七十五巻本ではほとんど用いられることのなかった「断善根」「続善根」「積功累徳」が■繁に語られるのは、業法因果論を否定する邪見に落ちることなく、因果の道理や三時業の道理が、寸分違わず働き続けるということを徹底して信じ切ることを、どうしても言い残しておきたかったためであろう。
著者
北垣 智基
出版者
佛教大学
雑誌
福祉教育開発センター紀要 (ISSN:13496646)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.35-55, 2014-03-31

本稿の目的は、介護現場における人材育成・定着に向けた取り組みの実態と課題、ならびに関連する政策・制度上の課題について考察を行うことにある。本稿では調査データとして、平成24 年に京都府で実施された「福祉・介護事業所の経営実態と労働環境調査」の結果の一部を用いて考察を行い、以下の点を指摘している。第一に、多くの介護現場では人材育成・定着に向けた取り組みが意識的に行われており、一定の課題を含みつつも、その有効性が労働者に認識されている点である。第二に、介護現場では取り組みを進めるなかで直面している問題があり、そこに介護報酬の水準や人員配置基準といった政策・制度上の問題が関連している、という点である。今後も介護人材対策が必要視されるなかで、現場における取り組みの継続・発展と合わせて、本稿で指摘する政策・制度上の問題が見直されていく必要がある。
著者
千葉 芳夫
出版者
佛教大学
雑誌
社会学部論集 (ISSN:09189424)
巻号頁・発行日
vol.32, pp.17-31, 1999-03-01

ヴェーバーは、近代化や合理化を全面的に肯定したわけではなかった。彼の議論には、西欧の近代や合理性に対する批判も明らかに見られるのである。近年、ヴェーパーの近代批判の側面に焦点をあてた解釈が多く現れてきている。そこで議論の一つの中心をなしているのは、ヴェーパーとニーチェの関係である。本稿では、わが国におけるこの問題についての代表的論者である山之内靖のヴェーパー解釈を中心に、ヴェーパーとニーチェをめぐる議論を検討することにする。
著者
木元 英策
出版者
佛教大学
雑誌
佛教大学大学院紀要. 文学研究科篇 (ISSN:18833985)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.117-133, 2011-03-01

平安期や鎌倉期に「得分」といえば、「領主之得分」を指していた。それは、12世紀半ばの史料に現れる余剰生産物が、官物や地子、それから開発領主が収取する得分のみであったことからも窺われる。ところが戦国期になると、領主層が収取する年貢部分の固定化や生産力の向上にともない、さらなる余剰を生みだすようになる。戦国期の「得分」は主にその余剰部分を指し、土豪・富農層を中心に集積された。ところが、これまでその戦国期の「得分」について曖昧に捉えられる面もあり、定義付けおよび問題提起が不十分であった。そこで数多く伝存する北近江・和泉地域の売券・寄進状をつぶさに検討し、戦国期の「得分」を分類整理した結果、存在形態によっては、領主層が収取すべき部分にまで踏み出して、土豪層が得分を成立させている例を呈示するに至った。
著者
持留 浩二
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.139-150, 2007-03-01

本論文は文学批評理論における比較的新しい手法である「進化論批評」について考察している。パラシュやキャロルといった批評家は新しい心理学の流れである進化心理学の観点から文学作品を読むことを提唱している。彼らは、科学者や宗教家と比べてより自由な立場にいる作家こそが最もよく人間の真の姿を理解しており、文学作品には普遍的な人間性が描かれていると言う。そこに描かれているものは生物学的な理屈に適っているのである。しかし進化論批評にも問題点がある。 時々、生物学的事実に反するようなことが作品に描かれていることがあるのだ。作品内容のみに注意を向けるだけではこの問題を解決できない。より正しい解釈を行うためには、作品のみに目を向けるのではなく、作者や、作者とその周辺の環境との相互作用を考慮に入れることが必要になってくるのである。
著者
杉山 貴士
出版者
佛教大学
雑誌
福祉教育開発センター紀要 (ISSN:13496646)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.165-179, 2015-03-31

昨今、性的マイノリティがメディアを通じて見聞きする機会が増えている。性同一性障害が「性的違和」に変更となり、地方議員や国政に進出する当事者も現われている。さらに最近は「LGBT 市場5.7 兆円」に代表されるように、市場価値を持つゲイがクローズアップされ、消費に旺盛な当事者像が出される一方で、自尊感情が低く「ゲイの自殺企図率は異性愛者の6 倍」という当事者像も出される。そうした狭間で実際に多くいるはずの「地域や組織で役割を果たして生計をなす当事者不在」となっている。 こうした現状で民医連職員としてゲイとして保健医療福祉専門職へ性的マイノリティ支援教育研修の機会を得た。地域や組織で働くゲイのありようを示しながら、研修の概要やポイントを整理し、研修によってどう行動変容があったのか受講者の声等を紹介する。同じ職場環境にいながら性的マイノリティ支援研究を進める当事者が行う研修の効用を考える。
著者
斎藤 英喜 ALASZEWSKA J. JANE Alaszewska
出版者
佛教大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2009

(1)ジェーン・アラシェフスカ氏は、来日後、斎藤の大学院ゼミで、これまでの「民俗音楽」研究の経過、成果などについての報告を行なった。またそのときに先行研究である本田安次氏によって公刊された、伊豆諸島南部の巫女祭文を解読し、そのなかでとくに、高知県物部村のいざなぎ流祭文との類似点が見出される「呪詛の祭文」の精密の解読を進めた。その結果、いざなぎ流の祭文とほぼ同様な表現があること、また陰陽道系の呪符などには、近世社会に流布した『大雑書』の引用があることが確認された。(2)以上の研究成果にもとづいて、2010年6月25日に立命館大学で行なわれたSOASの日本宗教研究センター主宰のシンポジウム「祈祷と占い」での研究発表を行った。その発表については、中世宗教研究者である阿部泰郎氏、伊藤聡氏からも高い評価を得ることができた。とくに阿部氏からは『大雑書』の引用については、愛知県「奥三河の花祭り」との接点なども指摘されて、ジェーン・アラシェフスカ氏の研究の広がりを再確認することができた。(3)その後、中世の祭文、神楽に関する先行研究である岩田勝氏の『神楽源流考』などの著作をめぐって斎藤との共同研究によって、伊豆諸島南部の巫女祭文の研究が、中世の祭文、神楽の問題へと展開すべきことを指示した。(4)さらに2010年10月7日から11月15日までの長期にわたる伊豆諸島、とくに青ヶ島におけるフィールドワーク行なった。そのなかで10月20日の「船頭の祭り」、21日の「東台所神社の祭り」の祭祀を見学し、計十二時間におよぶ映像記録を撮影した。また25日には、広江清子巫女の自宅で行われた「天神祭り」を取材し、十時間におよぶ映像記録を撮影した。さらに青ヶ島村で行われた巫女の土葬儀礼を見学し、取材を行なった。一方、東台所神社、奥山家、広江家、佐々木家などの巫女・神職関係者が所蔵する祭文資料を収集し、その撮影を行なった。(5)今後は蒐集した祭文資料などをデジタル化して、できれば公刊することをめざす。また中世の祭文、神楽研究のテーマからは、とくに仏教との関わりが「念仏」読誦の問題として浮上したこと、さらにいざなぎ流や奥三河花祭りなどに見られる「浄土神楽」との接点がどのようにあるかが今後の研究課題として残されている。また蒐集した祭文中に見られる修験道儀礼、呪符との繋がりの解読も来年度における研究課題となった。