著者
西村 正身
出版者
作新学院大学
雑誌
作新学院大学紀要 (ISSN:09171800)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.23-38, 2008-03

「アリストテレスとフィリス」の名でタイプ登録されている説話がある。命名のもととなった作品は、13世紀末頃に書かれた無名氏のドイツ語による作品である。藤代幸一による邦訳があるが、ここではフォン・デア・ハーゲンによる梗概でどのような物語なのかを紹介しよう。
著者
田所 摂寿
出版者
作新学院大学
雑誌
作大論集 (ISSN:21857415)
巻号頁・発行日
no.7, pp.67-82, 2017-03

要約 本論文では、"カウンセリングコンピテンス"という概念を中心として、カウンセラー教育プログラムについて検討を行った。カウンセラー教育において重要な概念となる「科学者−実践家モデル」や、心理臨床実践におけるエビデンスの扱い方についても概説した。本論文のキー概念であるカウンセリングコンプテンスの要因としては、①知識(knowledges)、②素質と経験(senses and experiences)、③人間観(哲学)と態度(veiwof human nature and attitudes)、④スキル(skills)、⑤臨床実践量(practices)の5つを取り上げ、それぞれの要因について詳細な説明を試みた。併せて、これらの要因を「カウンセリングの質」を測るための計算式に表現することも試みた。今後の課題としてはカウンセリングコンピテンスを測定する尺度を作成し、実証していくことが挙げられた。
著者
西田 直樹
出版者
作新学院大学
雑誌
作新学院大学人間文化学部紀要 (ISSN:13480626)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.67-81, 2004-03-30

『往生要集』は985年の成立から現代に至るまで多くの日本人に読まれ、彼らの他界観に影響を与えた。しかし、同じ詞章の『往生要集』であっても、読み手が抱くイメージは時代によって大きく異なっている。特に「修羅道」のイメージは時代による変移が激しい。本研究では、19世紀中期に活躍した八田華堂金彦という絵師に注目した。彼は『和字絵入 往生要集』(天保14年本)と『平かな絵入 往生要集』(嘉永再刻本)の挿絵を描いているが、二本の「修羅道」挿絵を比較すると、それらを一見しただけではとても同じ絵師の手による挿絵とは思えないほど異なっている。なぜ同一の絵師が、わずか5年から10年の間に、これほど異なる修羅道の挿絵を描いたのか。また、八田華堂金彦が『往生要集』の詞章からイメージした「修羅道」とは如何なるものであったのか。『往生要集』の解釈史研究という視点から考察した。
著者
宇田川 真智子 松本 秀彦
出版者
作新学院大学
雑誌
作大論集 = Sakushin Gakuin University Bulletin (ISSN:21857415)
巻号頁・発行日
no.2, pp.249-260, 2012-03-15

要 約通常学級に在籍するLD傾向のある児童に対し算数文章題の指導を行い、その躓きを分析した。分析には、算数の解決過程を認知モデルに沿って分析し開発されたCOMPASSを使用した。それに基づき、指導教材には、文章概念化を援助するために、筋道を立てて考えるための「手順書」と、類似問題への転移を促すアプローチである文章を概念化し立式につなげる「言葉式」を採用した。また、文中の表現と用いる演算の対応を示した「演算子表」を自作して使用した。それにより、メタ認知のモニタリング効果と文章概念化から数式化に至る解決過程において問題スキーマの促進が見られた。
著者
田所 摂寿
出版者
作新学院大学
雑誌
作大論集 = Sakushin Gakuin University Bulletin (ISSN:21857415)
巻号頁・発行日
no.7, pp.67-82, 2017-03-15

要約 本論文では、“カウンセリングコンピテンス”という概念を中心として、カウンセラー教育プログラムについて検討を行った。カウンセラー教育において重要な概念となる「科学者−実践家モデル」や、心理臨床実践におけるエビデンスの扱い方についても概説した。本論文のキー概念であるカウンセリングコンプテンスの要因としては、①知識(knowledges)、②素質と経験(senses and experiences)、③人間観(哲学)と態度(veiwof human nature and attitudes)、④スキル(skills)、⑤臨床実践量(practices)の5つを取り上げ、それぞれの要因について詳細な説明を試みた。併せて、これらの要因を「カウンセリングの質」を測るための計算式に表現することも試みた。今後の課題としてはカウンセリングコンピテンスを測定する尺度を作成し、実証していくことが挙げられた。
著者
宮本 邦男
出版者
作新学院大学
雑誌
作新地域発展研究 (ISSN:13481711)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.1-29, 2004-03-26

経済は自転車に似ている。自転車は走っていないと倒れてしまう。経済も成長していないとうまくいかない。近年の日本経済は、不況、倒産、失業、銀行の不良債権、金融システム不安、財政赤字、年金危親等問題だらけだが、これらはすべて経済に成長がないために起こっている。経済が成長しないと問題が続出するのは経済のほとんどの仕組みが成長を前提に作られているからだ。ちょうど自転車が走っている時にのみ倒れないように作られているように。成長を回復すれば日本経済の現在の問題はほとんどすべて解決してしまう。従って日本経済の当面の最大課題は成長の回復である。しかし日本経済には中長期的に成長がむずかしくなる条件が生じてきている。それは少子高齢化による人口減である。日本は遅かれ早かれ成長に依存して経済を運営していくわけにはいかなくなる。そのため日本はゼロ成長でも倒れない経済を今から準備しておく必要がある。そのための第1の課題はゼロ成長で増加が期待できなくなる雇用機会を平等に分かつため、Work sharingを定着させることである。第2に人口減、ゼロ成長で維持することが不可能になる現行賦課方式の公的年金制度を人口減、ゼロ成長下でも維持可能な積立方式に転換することである。ゼロ成長経済では分かち合うパイが大きくならない。そのため成長経済と比べて分配の公平が社会的価値としてより重要になる。特に公的年金制度を賦課方式から積立方式に転換することで公的年金制度の所得再分配機能が低下する分を補うためには、税制がその所得再分配機能を高める必要がある。ゼロ成長でも倒れない制度を作ることは成長を抑制することを容易にするので、環境対策の実施を容易にする。その意味でゼロ成長でも倒れない制度作りは環境対策としても優れている。
著者
西田 直樹
出版者
作新学院大学
雑誌
作新学院大学人間文化学部紀要 (ISSN:13480626)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.63-84, 2005-03-23

天保14年(1843年)に刊行された『和字絵入 往生要集』は、所謂「後期仮名書き絵入り往生要集」に属する本である。本研究において取り上げる第12図「大焦熱地獄」は元版本(寛文11年本〔1671〕)の挿絵とは大きく異なる場面を描いている。この第12図の分析を通して、江戸時代後期(天保年間)に生きた絵師八田華堂金彦の『往生要集』「大焦熱地獄」の解釈を歴史的視点から探った。
著者
塩田 徹 森尻 強 佐藤 幹夫 Toru Shioda Tsuyoshi Morijiri Mikio Satoh 作新学院大学総合政策学部 東京家政大学 東洋大学
出版者
作新学院大学
雑誌
作新学院大学紀要 = Bulletin of Sakushin Gakuin University (ISSN:09171800)
巻号頁・発行日
vol.17, pp.91-103, 2007-03-01
被引用文献数
2

女子大学生105名を対象に,正しい姿勢をとるための意識,およびそのように意識した時の姿勢変化の関係,姿勢と自覚症状との関係,さらには姿勢に対する関心や認識を総合的に調査・検討を行った.対象者の姿勢は,良好・そり腰・猫背,さらにそり腰と猫背の両方の条件をみたしているそり腰+猫背の4つに分類した.良い姿勢をとろうとしたときの意識,自覚症状,ハイヒールを履く頻度をアンケートにより調査した.得られた結果を以下にまとめた.(1)平常時の姿勢において良好者が少なく,早急な対策が必要である.(2)頭部が著しく前方に移動している姿勢の割合が高かった.頚椎も一緒に対策を講じる必要がある.(3)良い姿勢を意識することで,猫背は解消されるが,そり腰が増加し,結局良好は増えない.胸部と腰部の湾曲も適正になるような,矯正のための言葉を考えることが大切であろう.(4)平常時姿勢ごとの,良い姿勢をとるための意識の差異について検討した.その結果,強く意識することに平常時の姿勢ごとに違いは認められなかった.(5)平常時姿勢が同一で,課題姿勢が異なる群ごとに姿勢矯正の意識の平均値を算出し,差の検定をおこなったが,有意な差を認めることはできなかった.(6)姿勢を矯正するために,集団による一般的な傾向を理解させたのでは難しく,個別に行う必要があることが示唆された.(7)女子大生が自覚症状を訴える率は高率であるものの,今回,姿勢やヒールの高い履物との関係を認めることはできなかった.(8)自分自身の姿勢に対する認識や関心においても,平常時の姿勢ごとに差異を認めることはできなかった.The purpose of this research was an investigation of relation between posture change and consideration of posture correction, relation between posture and subjective symptom, and concern to posture, in 105 female university students. University women's posture was classified into four type (ideal posture, posture that leant back, stoop, and stoop+posture that leant back ). The results obtained are as follows. The student with ideal posture was few in normal circumstances. The ratio of posture where the head remarkably moved forward was high. Ideal posture has not increased because posture that leant back increased though the stoop decreased because it considers the correction of posture. There was no difference in the strong consideration in the posture of four types in normal circumstances. It was suggested to have to do individually to correct posture. There was no relation between frequency in which it put on high-heeled shoes and posture though the rate that the university women appealed for the subjective symptom was high. In recognition and the concern for own posture, the difference of four types posture in normal circumstances was not able to be admitted.
著者
山岸 健
出版者
作新学院大学
雑誌
作新学院大学人間文化学部紀要 (ISSN:13480626)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.15-36, 2006-03-23

人間は、これまでなんとさまざまな仕方と方法で人間の生活と生存がそこで可能となるような居場所、身心のくつろぎと安らぎが得られるところ、よりどころと支えとなるような舞台、まさにトポスを築きつづけてきたことだろう。住居としての家や庭は、人びとの日々の暮らしにおいて、まことに大切なトポスだったのであり、家や庭に情熱を傾注した人びとは、決して少なくなかったのである。洋の東西にわたってさまざまな庭や庭園が見られるが、庭とは、本来、パラダイス、楽園だったのだ。家族生活は、家庭生活と結ばれているといえるだろう。グループやグループ・ライフは、トポスや風景に根をおろしているといっても過言ではないだろう。人びとが、私たちの誰もが、そこで生きている世界は、社会的文化的世界、人間的世界、日常的世界だが、きわめて人間的な表情と姿を見せながら、このような世界においてクローズ・アップされてくる人間の風景こそ庭なのである。庭は、自然と文化の微妙な融合、自然に根ざした人間のモニュメンタルなトポス、まさに記念碑、モニュメントそのものなのである。庭は、目の楽しみと慰めにすぎない光景ではない。視野ばかりか、聴覚の野、嗅覚の野、手で触れることができる野など、さまざまな野があるのである。庭と呼ばれる造形や形象、風景には、音が漂い流れており、トポスとしての、道としての庭においては、水の音や風の音が、また、香りや匂いが、体験されるのである。サウンドスケープ、音の風景は、さまざまな庭、ほとんど人間の眺めともいえる庭においても体験されるのである。人間は、なんとさまざまな仕方で、時間、空間、それぞれを意味づけるために心をくだいてきたことだろう。どのような生活においてであろうと、人間は、庭や庭に相当するものを求めつづけてきたのである。庭の片隅、片隅には、人びとの思いが、にじみ出ているといってもよいだろう。ジャンケレヴィッチは、郷愁を時の香りと呼んだが、人間の庭には、時の香りが満ち満ちているように思われる。庭は特別に注目される記憶のトポス、記憶のよりどころなのである。正岡子規においての庭、柳田國男の庭園芸術と庭へのアプローチ、クローズ・アップされてくるさまざまな庭は、表情、雰囲気、風景は、まことにさまざまだが、いずれも人間にとってまことに興味深い鏡なのである。文化と自然、人間と自然、人間的なトポス、時間と空間、人びとがそこで生きている日常的世界、人間の生活と生存……このようなモチーフへのアプローチを試みようとするときには、庭は、有力なひとつの糸口になるのである。庭とは、人間の感性と想像力、イマジネーション、ヴィジョンに磨きがかけられるトポスだが、庭で体験される道は、なかなか魅力的だ。庭の道は、道の晴れ舞台なのである。庭が借景を迎え入れる舞台となっていることがある。枯山水と呼ばれる庭がある。水の庭がある。すべての庭は、風の庭といえるだろう。庭は、アートの衣をまとった自然なのである。音の庭がある。庭で体験される音の風景がある。意味のなかで生きている人間にとって、庭は、奥深い意味のトポスではないかと思う。庭は、人間に生存のチャンスを与えてくれるトポスなのである。
著者
田所 摂寿
出版者
作新学院大学
雑誌
作大論集 = Sakushin Gakuin University Bulletin (ISSN:21857415)
巻号頁・発行日
no.8, pp.49-63, 2018-03-15

本論文の目的は「カウンセラー」という専門職のアイデンティティについて、歴史や定義を振り返ることによって再検討し、明確に構築することを試みたものである。本論文では、日米の歴史の変遷を概観し、それぞれの団体や論文が提示するカウンセリングの定義についてまとめた。その上で、日本におけるカウンセリング実践者およびカウンセラー教育者として、最重要であると考える6つの課題をまとめた。①カウンセラーのアイデンティティを明確に確立し、カウンセリングの定義を公に示し、理解を広める努力をしなければならない。②カウンセリングのそれぞれの専門分野を尊重し、カウンセラーとして統一見解に至った発言をしなければならない。③カウンセラー教育プログラムは、実証的データに基づく専門知識と専門技術を提供しなければならない。④カウンセリング専門団体は、最前線の実践家を団体の意思決定に組み入れ、研究と実践が乖離しないように努力しなければならない。⑤カウンセラーは、研究者-実践家モデルに忠実であり、個々人の状況に応じた形で研究に関わるように努めなければならない。⑥カウンセラーは、エビデンスに基づき倫理的な実践を行わなければならない。
著者
藤本 一男
出版者
作新学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2020-04-01

データの幾何学的配置を分析の基礎におく「幾何学的データ解析」という分析フレームワークを用いて、社会調査におけるカテゴリカルデ ータ分析の方法を構築する。その際、以下の問いにGDAを用いることで答えることを示す。・「取得したデータの構造を破壊しない分析は可能か」カテゴリカル・データを分析するためには、数量化が必要 となるが、どうすれば、データ構造を破壊せずに可能か。・「観察データに対して変数の連関性を評価することは可能か」実験が 可能な場合は、実験計画法として因果分析が可能である。だが、社会調査データでは、この前提は成立しない。この観察データに対して「効果」の評価を行なうことはいかに可能か。