14 0 0 0 OA 諸尊図像

出版者
巻号頁・発行日
vol.[3],

13 0 0 0 OA たいしよくわん

出版者
巻号頁・発行日
vol.下,
出版者
巻号頁・発行日
vol.[8], 1600
著者
吉永, 升庵
出版者
巻号頁・発行日
1681

12 0 0 0 OA 耽奇漫録 20巻

著者
滝沢解
出版者
巻号頁・発行日
vol.三,

12 0 0 0 OA 守貞謾稿

著者
喜田川季荘 編
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻1,3-16,18-30,後集巻1-4,

喜田川守貞(季荘)が著した近世風俗書。稿本のまま残され江戸時代には刊行されなかった。「専ら民間の雑事を録して子孫に遺す。」という著者の言葉どおり生業、遊戯、年中行事、食物など広範囲にわたり図も交え記されている。喜田川守貞は、文化7(1810)年大坂生まれ。没年は不詳。初め石原氏。天保11(1840)年江戸に移り、北川氏を継いだ。31歳の時、大坂から江戸に移住したので、上方と江戸との相違にも注目している。天保8(1837)年より書き始め、嘉永6(1853)年以降にも追書や追考を行ったとの書入れがある。

12 0 0 0 OA 神明鏡 2巻

出版者
巻号頁・発行日
vol.[2], 1540
著者
田村藍水
出版者
巻号頁・発行日
vol.[3],

12 0 0 0 OA 花卉介虫図譜

出版者
巻号頁・発行日
vol.[4],

11 0 0 0 OA 梅園菌譜

著者
梅園毛利元寿<毛利梅園>//[著]
出版者
巻号頁・発行日
1836
被引用文献数
1

11 0 0 0 OA 庭訓往来[抄]

出版者

本写本は、巻頭書名は「庭訓往来」とあるが、内容は明らかにその注釈書であるため、今仮に付した。「庭訓往来」は書簡文例集。古往来物のひとつで、室町時代初期以前に成立。著者未詳。中世武家子弟の読み書きの教科書として編まれたもので、子弟に必要な教養・知識を、往復書簡のかたちで年間の各月に配当して教えた。古往来物のうちで室町・江戸両時代を通じて最も広く流布し、書簡文(候文)の書式・用語・文体の規範となった。慶長以前の古写本約30種と、正文本・付注本合わせて各種大量の刊本が今に伝存している。本写本の別書名『左貫注庭訓往来』は、見返しに「此書左貫注云々」の補注があるのによる。付注者・書写者ともに未詳。紙質・字体・墨色等から室町末期頃の書写と推定される。巻末1丁分を欠くが、付注本中資料的価値の高いものとして知られる。幕末・明治初期の国学者榊原芳野(1832-81)の旧蔵書。

11 0 0 0 OA 無名抄

著者
鴨長明
出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],
出版者
巻号頁・発行日
vol.3 聚楽古城之図,

11 0 0 0 OA 東国太平記

著者
杉原, 親清
出版者
巻号頁・発行日
vol.[9],

10 0 0 0 OA 続日本紀 40巻

著者
藤原継縄
出版者
巻号頁・発行日
vol.[3], 1691
出版者

図名は裏面墨書。大坂三郷を中心に周辺の摂河泉三国の一部を描く。周辺各国は道筋、河川、村形・村名の記載に限られ、三郷部分を詳細に描く、「大坂三郷図」とよばれる地図のひとつで、町奉行の行政用資料とされる。城代、玉造・京橋口両定番、両(東・西)町奉行役宅とその与力・同心等の屋敷地等を色分けし、北・南・天満の各組は街区ごとに記号で表示。凡例あり。町筋、橋名など詳細。城代下屋敷に青山因幡守、町奉行屋敷東に石丸石見守、西に彦坂壱岐守など、現況に対応したとみられる付箋が20弱ある。上記3人の在任が重なるのは寛文3年(1663)8月15日から延宝元年(1673)6月10日。