著者
小塩 慶
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.100, no.6, pp.641-677, 2017-11
著者
吉本 道雅
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.93, no.3, pp.418-446, 2010-05
著者
根津 由喜夫
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.74, no.2, pp.260-293, 1991-03-01

金沢大学人間社会研究域歴史言語文化学系
著者
金 玄耿
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.100, no.4, pp.465-490, 2017-07
著者
松下 涼
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.91, no.4, pp.694-727, 2008-07

九三〇年頃の法と集会制度の成立から、一二六二/六四年のノルウェー王に対する臣従誓約に至るまでのアイスランドは、近代以降「自由国」と呼ばれ、大権を戴かない社会として知られている。本稿では、「自由国」とノルウェー王権受容との関係を再考する試みとして、アイスランド固有の散文物語「サガ」を主要史料とし、一三世紀のアイスランドにおける平和と権力の在り方を解析した。従来、一三世紀前半は、有力者間の権力闘争の激化により、王なき「自由国」を支えていた血讐(報復義務)を基盤とする平和維持システムに破綻を来す時期と捉えられてきた。しかし、ノルウェー王との関係も視野に入れると、支配者層に対し一定の発言力を保ち持ち続けていた農民集団が、新たな「平和維持者」としてノルウェー王を選択した可能性も窺える。また、王権受容後に関しては、王による法制度の改編のみに考察が偏ってきたが、同時期を描くサガに着目すると、血讐の存続も確認される一方、ノルウェー王の裁判権が直接対面することのない農民層にも徐々に拡大してゆく様子がみてとれる。すなわち、二二世紀アイスランドは、ノルウェー王権をも構成要素のひとつとする平和維持システムの緩やかな変容過程にあったのである。
著者
稲本 紀昭
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.51, no.3, pp.1-29, 1968-05
著者
小塩 慶
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.99, no.2, pp.290-311, 2016-03
著者
藤井 讓治
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.93, no.3, pp.361-389, 2010-05
著者
松村 寛之
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.83, no.2, pp.272-302, 2000-03
著者
水野 恭一郎
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.54, no.4, pp.1-35, 1971-07
著者
坪井 剛
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.98, no.1, pp.32-68, 2015-01
著者
谷 徹也
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.98, no.2, pp.320-353, 2015-03
著者
森原 隆
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.p41-74, 1982-01
著者
菊池 信彦
出版者
史学研究会
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.89, no.4, pp.549-580, 2006-07

フランシスコ・ピ・イ・マルガルは、一九世紀スペインの連邦共和党執行部の一員として連邦理論を唱え、また一八七三年の第一共和制第二代「大統領」として、自ら先頭に立って連邦化を推進した人物でもあった。その理論は、プルードン流の社会契約論とともに歴史認識論によっても支えられている。本稿は、従来の研究では等閑視されてきた連邦主義者以前の彼の活動に焦点を絞り、当時の彼の歴史認識を析出することを目的としている。予備的考察として、まずは当時の国民史家、アラブ学者らの著作を網羅的に検証し、時代の国民史認識の構造を分析している。そして、ピ・イ・マルガルの歴史認識を当時の歴史認識と比較することで、彼の認識構造の独自性とそれが持つ意味とを考察した。その結果、彼はイスラム教徒による侵入と再征服というスペインの過去を、自他の一歴史的差異を保ちながら、ともに「我々の歴史」と考えていたことが明らかとなった。