著者
森川 千鶴子 モリカワ チヅコ
出版者
呉大学看護学部
雑誌
看護学統合研究 (ISSN:13460692)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.16-21, 2004-09

本研究の目的は,痴呆の進行に伴い自分の想いを自ら表出する機会が減少してくる高齢者が,どのような願いを持ち,入院生活を送っているかをから明らかにすることによって,看護・介護者が重度痴呆性高齢者の理解を深め,今後のケアの向上を図ることである。A病院のアクティピティ活動「七夕」に参加した,痴呆性高齢者157人の短冊を対象とした。七夕の短冊は,ひらがなの表現が多く全体的に短い文章になっていた。短冊の全体的な平均文字数は10.7文字であった。短冊は,「元気」「長生き」「家族」「仲良く」「お金」「仕事」「短歌」「その他」の8つのキーワードに分類できた。痴呆性高齢者の認知力は,徐々に進行し障害されてくるが,すべての機能が同時に失われるわけではない。様々な季節の行事は,過去の体験からの長期記憶を掘り起こす貴重な関わりとなり,学習が促進してくると考えられる。保たれた能力を生かした直接的なケアの効果は,日常生活の基本的な動作の反復から生まれてくるのではないかと思われる。痴呆が進行してくると,本人自らが積極的にアクティピティ活動に参加することは難しくなることから,看護職は介護職・作業療法士ら他職種と連携を取りながら,アクティピティ活動への参加を促していく必要がある。
著者
迫田 千加子 田村 和恵 佐々木 秀美
出版者
呉大学看護学部
雑誌
看護学統合研究 (ISSN:13460692)
巻号頁・発行日
vol.8, no.2, pp.1-11, 2007-03

大正時代に発刊された『看護學教科書』を保有する94歳の元看護婦と出会ったことを手がかりに,戦前の広島県における看護婦養成の足跡を看護婦規則と関連させながら検証した。明治以降,医学の進歩と共に病院の整備が進み,それに伴い各地で看護婦の養成が始まった。広島県は,軍制基盤都市として栄え,全国に先駆けて,1893年(明治26年)日本赤十字社広島支部が看護婦養成を始め,1904年(明治37年)には呉海軍共済組合病院で看護婦養成が開始された。1915年(大正4年)国として初めての看護婦規則が制定され,無資格者による看護が規制された。そのことによって看護婦不足が生じ,東京看護婦学校などの簡易教育所による教育が隆盛した。広島県でも看護婦規則制定に伴い,看護婦不足が起き,講習会や簡易の看護教育でそれを補った。元看護婦が受けた教育は開業医で働きながら学ぶ方法であり,東京看護婦学校と類似した簡易教育であった。
著者
東中須 恵子
出版者
呉大学看護学部
雑誌
看護学統合研究 (ISSN:13460692)
巻号頁・発行日
vol.10, no.2, pp.59-63, 2009-03

鹿児島県初に設立された鹿児島県立鹿児島保養院(現姶良(あいら)病院)の創立50周年記念誌の閲覧,開設当初から勤務していた精神科医の回想談から,鹿児島県における精神医療と精神病者の取り扱いについてまとめた。鹿児島県における精神医療は,1923(大正12)年鹿児島県立鹿児島病院(現鹿児島大学医学部付属病院)に精神科が開設されたことに始まり,1924(大正13)年に29床で精神科分院の設立,1943(昭和18)年に姶良郡重富村平松(現在地)に150床で移転し現在に至っている。こうした流れは,昭和戦前・戦後の中で常に軍部との調整の中で展開されていた。しかし,離島や入院できない患者の処遇は悲惨であった。また,精神病者の取り扱いは警察で管轄していたが,1950(平成25)年,精神衛生法の施行によって入院治療が積極的に行われ,私設の精神病院が次々に建設されていった。入院治療は,非組織的な作業や,身体的ショック療法,ロボトミーが行われていたが,1955(昭和30)年初期の向精神薬の登場によって,薬物を中心とし作業療法や生活指導などの生活療法が積極的に行われた。
著者
平岡 敬子 ヒラオカ ケイコ
出版者
呉大学看護学部
雑誌
看護学統合研究 (ISSN:13460692)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.7-12, 2006-03

パキスタン北西辺境州,ペシャワールの南西約35kmに位置するシャムシャトー難民キャンプには,現在8万人のアフガニスタン難民が生活しているが,医療施設はおろか医療従事者も皆無である。広島市のNGOを中心に同地域へ医療援助を行う上で,最も有効な援助プログラムを具体化するため,難民たちの健康を脅かしている問題を明らかにするため健康調査を行った。その結果,難民たちの90%以上が過去1年間に何らかの疾患にかかっていた。その多くは感染による発熱,慢性的咳嗽,上気道感染,マラリア,コレラ,腸チフス,下痢症であった。下痢,マラリアは小児に多く,頭痛は成人,とりわけ女性に多かった。難民たちは病気になった場合,年長者の助言を聞きながら家庭内で対処しており,保健に関する情報源は皆無に等しかった。難民たちは,感染症と母子保健の問題を健康課題としてあげており,医療サービス・医療情報の欠如,貧困や飢餓,水の汚染やごみ処理等の環境問題が心身共に自分たちの健康障害に著しい影響を与えていることを認識していた。彼らは,適切かつ迅速な処置によって簡単に治癒できる疾患や,プライマリヘルスケアの充実により予防可能な疾患に苦しんでいることから,人間が生きていくために最低限必要な保健医療設備の供給と,将来にわたってこの地で保健活動に従事できる人材の育成が必要不可欠である。