著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.13-32, 2023-03-17

ロシアの歴史や文化にはテュルクの要素が少なくない。長い歴史の中で、ロシアと中央ユーラシアのテュルクとの関係は密接なものであった。現在のロシアにおいてもそれは同様である。テュルクの人々は古来、豊かな口頭伝承の伝統を発展させてきたが、英雄叙事詩や伝説などの口碑にもロシアは現れる。16 世紀後半にはじまる、ロシアの領土拡張と異民族支配を反映し、テュルクの伝承にはロシアとの戦いが描かれてきた。ロシアの征服の様子や敵ロシアと戦う勇者の姿が歌われてきたのである。「帝国」への第一歩となるカザン征服は英雄叙事詩『チョラ・バトゥル』に描かれ、カザン・ハン国やアストラハン・ハン国、シビル・ハン国を併合する経緯は共通する「罠」によって印象的に伝えられる。プガチョフの反乱をはじめとする反ロシア闘争や第一次世界大戦時の強制徴用についても詩人たちは語ってきた。それらは、中央ユーラシア・テュルクの人々の側から見たロシア史でもある。
著者
松村 一男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.19, pp.75-91, 2019-03-11

"Part One: In the Indian epics, the Mahābhārata and the Rāmāyana, the heroes (the Pāndavas and Rāma) represent two aspects of heroic elements (fighting and wandering) simultaneously, whereas these two aspects are represented separately in Greek epics by Achilleus and Odysseus. Nevertheless, the two Indian epics and two Greek epics show remarkable similarities, which can only be explained by a common origin. Further evidence of a common origin in the epic heritage can be provided by an episode in the Mahābhārata called the story of Nala (Nalopākyānam) that shows structural similarities to the Odyssey. Common origin of the Iliad and the Mahābhārata being generally accepted, similarities with Indian epics could be also detected in the case of the Odyssey, especially with the Nalopākyānam. Thus we can assume a common origin for the two Indian epics (and an episode in one of them) and two Greek epics. These epics (and an episode) developed further thereafter but still show traces of a common origin.Part Two: The concept of cyclical ages seems to be shared among the Indo-Europeans. The first is the Golden Age, then gradually the condition becomes worse, and finally the worst comes. In this last stage, the world perishes first by fire and then by water. Following this, the world is renewed and another cycle from the Golden Age resumes. This concept is definitely observable in Ancient India, Scandinavia, and Ancient Iran. Some traces of this also remain among the Greeks and the Romans. Perhaps the message of the myth is that although disasters caused by fire and water are unavoidable, still they are also the beginning of a new period of the Golden Age.The following two papers are Japanese translations of two papers in English concerning Indo-European comparative mythology. I do not claim that the ideas in them are original. They are rather my personal summaries of what I have learned and understood recently about the results of Indo-European comparative mythology established by such scholars as G. Dumézil, S. Wikander, C. Watkins, B. Lincoln, and many others.Part One, titled "Comparative Epic Literature" was presented at the 12th Annual International Conference on Comparative Mythology "Myths of the Earth and Humankind: Ecology and the End of the World" held at Tohoku University in Sendai on June 1-4, 2018, and Part Two, titled "How the End and the Renewal were envisioned among the Indo-Europeans" was presented at the Tohoku Forum for Creativity Thematic Programs, Geologic Stabilization and Adaptations in Northeast Asia, Workshop 1 Natural Disaster and Religion/Mythology, held on June 5, 2018.I would like to thank all the participants for their pertinent criticisms and encouraging suggestions.第一部:インドの叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の英雄たち(パーンダヴァ五兄弟、ラーマ王)は英雄の二つの側面(戦士と放浪者)を同時に体現している。これに対して、ギリシアの叙事詩においては二つの側面はアキレウスとオデュッセウスという二人の英雄がそれぞれ担っている。しかしながら、インドとギリシアの叙事詩群には極めて細部に至るモチーフの一致が認められ、これは共通の叙事詩からの発展・分化の結果であると考えざるを得ない。さらにまた、『マハーバーラタ』中の一エピソードである「ナラ王物語」にも『オデュッセイア』との顕著な構造的対応が指摘されている。これまでも『マハーバーラタ』と『イーリアス』の共通起源については一般的に承認されてきているが、インド叙事詩との共通要素が『オデュッセイア』においても認められるとなれば、インドの『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』、「ナラ王物語」とギリシアの『イーリアス』、『オデュッセイア』はすべてインド=ヨーロッパ語族が拡散する以前の時代に遡る原叙事詩型に由来すると考えるべきとなろう。第二部:時代の循環サイクルの概念はインド=ヨーロッパ語族に共有されていたらしい。第一の時代は黄金時代であり、その後は次第に悪い状態となり、最後が最も悪くなる。この最後の時代に世界はまず火災によって、ついで大水によって滅びる。しかしその後、世界は再生し、新たな時代の循環サイクルが黄金時代から始まる。こうした概念はインドとイランと北欧ゲルマンにおいて確実に認められる。またその痕跡はギリシアとローマにも認められる。おそらくこの神話のメッセージは、火災や大水による大災害は不可避であるけれども、それはまた新しい繁栄の時代の始まりでもあるというものだったのだろう。"
著者
UENO Toshiya
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.47-61, 2018-03-11

This essay is a part of my ongoing project, the "ontology of withdrawal". In this introductory section, this work begins with comparative interpretations of both philosophical projects by François Laruelle and Toshihiko Izutsu. Some basic but quite idiosyncratic concepts by Laruelle are clarified and explained: One-in-vision, One-in-One, non-philosophy, given-without-givenness,unilaterality, clone, dualysis, stranger-subject, and so on. Each conception is considered and re-examined from the perspective of non-religious philosophy by Izutsu. Rather than being contented with a mere demonstration of similar or compatible points in these two philosophical systems, this paper would like to make some interventions for the recent philosophical debates after the "so-called speculative turn" raised by Object-Oriented Ontology and Speculative Realism.
著者
野瀨 王偉
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.53-69, 2023-03-17

本稿では古代ギリシアの吟遊詩人ホメロスによる英雄叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』に共通してみられる「英雄が魚を食べない」という一つの特徴に着目し、その理由を明らかにしようと試みた。古代ギリシアにおいて、海産物が盛んに食べられていたことは、当時の料理書やギリシア喜劇といった文献や考古学的発掘などからも明らかであるが、奇妙なことにホメロスには魚食を示唆する場面は比喩表現などわずかにしか見られず、英雄が海産物を食べる場面は存在しない。本稿ではまず、ホメロスの英雄叙事詩について考察を進めたのち、ホメロス以後の英雄叙事詩、ギリシア悲劇、喜劇、小説、哲学といった異なるジャンルの文献も検討した。その結果、「英雄が魚を食べない」という特徴がホメロス以外にも見られることを確認し、そうした描写の背景にある意図の考察を行った。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.33-54, 2015-03-20

テュルクの口承叙事詩には、「最初のシャマン」とされるコルクトをはじめ、シャマンがしばしば登場したり、『エル・トシュテュク』に見られるように、英雄叙事詩の主人公にシャマンの姿が投影されていたりする。英雄の愛馬が八本脚であると暗示されることは、世界各地に見られるシャマン的典型の「八脚馬」と見なすことが可能であり、また、叙事詩で馬の毛を焼く場面からは、シャマニズムの呪術で呪的動物を呼び起こす儀式を読み取ることができる。古来のテュルクの伝承では、大地の中心にある、天空までそびえ立つ世界樹が描かれ、そこからはテュルクの聖樹信仰を見ることができる。また、本来シャマンを意味していたバクスという言葉が、のちに叙事詩の語り手を意味するようになったのは、シャマンの言葉が英雄叙事詩へと発展する一方、イスラーム化にともなって、バクスが預言や託宣を行う機会が減少した結果、叙事詩語りとしての役割が重視されたためと考察される。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.19-37, 2020-03-11

テュルクの口承文芸において、夢は、神話、伝説、英雄叙事詩、昔話など、ジャンルを問わず、きわめて大きな役割を果たしている。ここでは、夢にまつわる伝承、逸話、その解釈について、実例をあげながら、テュルク口承文芸における、夢の果たす役割とその特徴について考えていく。 テュルクの民間伝承では、歴史上の英雄にまつわる夢は、誕生や武勲、死去について告げる。その際、夢の中に聖者・賢者が現れることもあり、夢は側近や夢占い師、長老によって解釈される。英雄叙事詩では、英雄の誕生やその登場、難問の解決方法を、その家族や関係者、愛馬が夢を通じて知る。昔話のジャンルでは、夢を売買したり、見つけたりするという行為も見られる。語り手になるきっかけは夢のお告げであるという事例も少なくない。そして、山や鳥、 ヘビや竜などがしばしば夢解釈の重要なアイテムとされ、民間伝承のストーリーにも登場する。夢解釈はテュルク口承文芸の一ジャンルを成し、現在でも人々のあいだで利用されている。
著者
宮崎 かすみ
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.16, pp.127-146, 2015

本稿では、変質論と推理小説の親和性を論証した。まず19世紀半ばにフランスで精神医学の理論として発表された変質論がもっと前の時代の、人類学における人種論としての議論にまで遡り系譜をたどった。その上で、ロンブローゾの犯罪人類学の理論的骨格となっている変質論が、人種論に由来するものであることを明らかにした。後者の変質論は、ダーウィニズムの影響が色濃く、退化や先祖がえりといった概念を特徴とするが、アーサー・コナン・ドイルのホームズ・シリーズを、この変質論のパラダイムから読み解いた。そして、ホームズ物語は、犯罪という現象の原因にある政治や社会問題を、犯罪者の変質した身体の問題へと収斂させるというプロットを内在させていったことを指摘した上で、そのベクトルを変質論から援用していたという結論に至った。
著者
UENO Toshiya
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.21-31, 2016-03-11

This paper explores Oshii Mamoru's films and animations. First, his view of the cinematic citation (appropriation) is analyzed in some comparison with Jean-Luc Godard. Second, his preoccupation with the plot of the weird duality between reality and dream is examined with plural contexts of cultural avant-garde in the 20th century. Third, the question of why Oshii Mmoru has been so much interested in the warfare in his works. Through the series of problematics, this essay would locate his perspective in some philosophical and ontological debates, in which Deleuze & Guattari and others must be addressed. Then, his insightful but provocative statements on the war and history are interpreted in the philosophical streamwhich I would like to call Machine-Oriented Ontology.
著者
安田 早苗
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.107-124, 2023-03-17

筆者は、「和光大学表現学部紀要22 号」(2022年)に「「具体」が子どもの美術を参照した理由についての一考察」を執筆し、子どもの美術と前衛美術との関わりについて論じ、子どもの美術と、童詩雑誌『きりん』の関わりが深いことを述べた。『きりん』との関わりでは特に、子どもの美術作品が多く掲載された橋本学級では、詩の時間が多く、自らの感覚を言語化する活動に馴染んでいたことがわかった。平成29(2017)年告示小・中学校学習指導要領(1)では、全教科で言語活動の充実がもとめられている(2)。しかし、図工・美術科はそもそも表現力をはぐくむ活動であり、その意義が感じにくく、取り入れる方法もよくわからない。平成20(2008)年学習指導要領改定の図画工作解説では、図画工作における言語活動について「形や色、そこから生じるイメージを、言葉のように扱いながら、思考したり、表現したり、コミュニケーションしたりする活動」(3)と書かれていている。これは、いわゆる一般的な言葉を使わないということなのだろうか?言語活動は表現活動にとって重要なのか、重要とすればなぜなのか、またその有効な手立てとは何なのかについて、2022年6月22日に、中・高美術の教員免許取得者に対して、和光大学教授松枝到氏に講演をしていただいた。その講演記録をもとに論じていくこととする。丸数字は、2 章以降に引用するため、筆者が便宜的につけたものである。
著者
安田 早苗
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.93-113, 2022-03-17

本稿では、1954 年8 月ころ関西で吉原治良を中心に結成された「具体美術協会」(以下「具体」)が、自らの創作活動のために子どもの制作した作品を参照したのはなぜなのか、その理由を考察するとともに、美術教育とその教師、子ども、それにかかわる現代美術の作家たちが、相互にどのような影響関係にあったかを考えてみたい。また「具体」が重視したポイントについて、「具体」創始者の吉原治良、『きりん』編集者の浮田要三、元中学校教諭で「具体」初期からのメンバーである嶋本昭三、小学校教諭の橋本猛へのインタビュー資料などから結論を導きたい。はじめに、2021 年2 月11 日、筆者の主催したオンラインイベントBloom Studio ZOOM Partyvol.5 で行った山本淳夫氏(横尾忠則現代美術館)の講演「「具体」と子どもの絵」の概要を提示し、その検証をしていく形で論を進めることにする。「子ども」の表記について筆者の文章では「子ども」と統一するが、引用文はそのままの表記とする。なお本文中で使用する「象徴」の語は、美術教育での用語使用に準じている。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.19, pp.27-44, 2019-03-11

本稿では、先稿に引き続き、中央ユーラシアのテュルク系諸民族に伝わる英雄叙事詩とシャマニズムとのつながりについて論じる。英雄叙事詩に登場する主人公の勇士が、聖鳥に乗って上昇飛翔したり、ジン(精霊)や肩甲骨を使って卜占を行ったりする様は、シャマンの職能行為と酷似する。イスラーム化が進行した地域においても、シャマニズムはイスラームと習合しながら、大きな役割を果たし続けてきた。英雄叙事詩は、「最初のシャマン」とされる人物コルクトが創出したとされる弦楽器コブズの伴奏をしばしば伴うが、コブズをもちいたシャマンの巫術は20世紀末までも行われていた。英雄叙事詩には、シャマンの「祝詞」の一節と酷似するフレーズが歌われることさえある。また、叙事詩の語り手やシャマンになるうえで、夢が大きな意味をもつといった共通点もある。叙事詩の語り手が、叙事詩をもちいながら治療を行うという実例も報告されている。このように、叙事詩語りとシャマンが重なる点は多い。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.21, pp.35-54, 2021-03-11

中央ユーラシアには、川や湖などに棲み、人間に悪事を働く超自然的存在がいる。「水の世界」は人間の世界とは異なる「異界」、もしくは「境界」を意味し、スー・アナスやジャルマウズ、アルバルストゥといった水辺の存在には、女性性や母性の特徴が強くみられる。母性に関連して、ジャルマウズやアルバストゥは、出産など人間の生にまつわる要素が強く、彼女らが本来は生命にまつわる母神的存在であったという仮説が浮かぶ。人間を苦しめ、命を奪う存在でありながら、反対に人間に善や利をもたらす存在でもあることは、彼女たちが生と死という対立的な両義性をもつことを示す。ジャルマウズとアルバストゥは形状や役割からみると、ロシアのバーバ・ヤガーと同類であり、また、シュルガンとロシアのシュリクンも水に関わるという点やその名称の類似性から深いつながりがあることが推定される。ユーラシア中央部には、言語や「民族」の枠組みを超えた文化的共生があったのである。
著者
半田 滋男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.120-130, 2013-03-11

1970年代から90年代にかけての公立美術館建設ブームは、視覚芸術受容者層の数的増加を促し、展覧会ブームをもたらした。現在国内に存在する美術館の80パーセント以上は70年代以降に建設され、新規に開館している。主に自治体による美術館新説ラッシュが愛好家層を増やし、視覚芸術の裾野を広げる役割を負ってきた。2000年代に至り、美術館はじめ公的文化施設をめぐる環境は激変した。行財政改革の下で公的施設の独立行政法人化、また地方では地方自治法第244条の2改正による指定管理者制度が導入され、文化に投下される公的予算が漸減している。予算を封じられた地方美術館の多くは四半世紀を経ずして早くも陳腐化、衰退への道をたどりつつある。一方その裏面では新たに「越後妻有アートトリエンナーレ」(2000-)、また瀬戸内海、横浜や愛知でのトリエンナーレに代表されるアート・イベントが隆盛を極める。日本の現代美術の主要な舞台は、こと公的(パブリック)な性格をもつものとしては、これらイベント型の野外展に移行したかのようである。現代の視覚芸術という溶質にとって場という溶媒が入れ替わったとすればそれは看過できない。これは一時的な現象なのか、その隆盛の原因はいまだ言及され難い。本論はその現象の意味について、美術館活動の推移に着目し比較しながら考察するものである。
著者
松村 一男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.23, pp.71-91, 2023-03-17

Two themes are treated in this paper: The first is that we could perhaps obtain better insights by analyzing visual symbols more intensively in the myths and religions of areas and ages where and when there were no or scarce written records; The other consists of actual analyses of the myths and religions of goddesses of such areas and ages. I argue that there is a possibility that a type of Sun Goddess/Kingship-protecting Goddess existed in the Eastern Mediterranean area of the Neolithic and Bronze ages and in Japan during the Bronze/Iron age (i.e. From the Yayoi era to the Tumulus era).本稿では二つの課題を検討してみた。一つは文字資料が「ない」あるいは「少ない」地域や時代の神話と宗教を、図像を活用することでより知ることができるのではないかという考え方であり、第二に、そのための対象としてそうした地域や時代の女神について選択し、比較し、そしてある種のタイプとして確定する作業である。主な対象としたのは1.新石器時代から青銅器時代の東地中海世界と2.青銅器/鉄器時代(弥生時代から古墳時代)の日本である。そしてそれら地域では太陽女神/王権女神が共通して存在したのではないかと論じた。
著者
松村 一男
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.19, pp.75-91, 2019-03-11

"Part One: In the Indian epics, the Mahābhārata and the Rāmāyana, the heroes (the Pāndavas and Rāma) represent two aspects of heroic elements (fighting and wandering) simultaneously, whereas these two aspects are represented separately in Greek epics by Achilleus and Odysseus. Nevertheless, the two Indian epics and two Greek epics show remarkable similarities, which can only be explained by a common origin. Further evidence of a common origin in the epic heritage can be provided by an episode in the Mahābhārata called the story of Nala (Nalopākyānam) that shows structural similarities to the Odyssey. Common origin of the Iliad and the Mahābhārata being generally accepted, similarities with Indian epics could be also detected in the case of the Odyssey, especially with the Nalopākyānam. Thus we can assume a common origin for the two Indian epics (and an episode in one of them) and two Greek epics. These epics (and an episode) developed further thereafter but still show traces of a common origin.Part Two: The concept of cyclical ages seems to be shared among the Indo-Europeans. The first is the Golden Age, then gradually the condition becomes worse, and finally the worst comes. In this last stage, the world perishes first by fire and then by water. Following this, the world is renewed and another cycle from the Golden Age resumes. This concept is definitely observable in Ancient India, Scandinavia, and Ancient Iran. Some traces of this also remain among the Greeks and the Romans. Perhaps the message of the myth is that although disasters caused by fire and water are unavoidable, still they are also the beginning of a new period of the Golden Age.The following two papers are Japanese translations of two papers in English concerning Indo-European comparative mythology. I do not claim that the ideas in them are original. They are rather my personal summaries of what I have learned and understood recently about the results of Indo-European comparative mythology established by such scholars as G. Dumézil, S. Wikander, C. Watkins, B. Lincoln, and many others.Part One, titled "Comparative Epic Literature" was presented at the 12th Annual International Conference on Comparative Mythology "Myths of the Earth and Humankind: Ecology and the End of the World" held at Tohoku University in Sendai on June 1-4, 2018, and Part Two, titled "How the End and the Renewal were envisioned among the Indo-Europeans" was presented at the Tohoku Forum for Creativity Thematic Programs, Geologic Stabilization and Adaptations in Northeast Asia, Workshop 1 Natural Disaster and Religion/Mythology, held on June 5, 2018.I would like to thank all the participants for their pertinent criticisms and encouraging suggestions.第一部:インドの叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』の英雄たち(パーンダヴァ五兄弟、ラーマ王)は英雄の二つの側面(戦士と放浪者)を同時に体現している。これに対して、ギリシアの叙事詩においては二つの側面はアキレウスとオデュッセウスという二人の英雄がそれぞれ担っている。しかしながら、インドとギリシアの叙事詩群には極めて細部に至るモチーフの一致が認められ、これは共通の叙事詩からの発展・分化の結果であると考えざるを得ない。さらにまた、『マハーバーラタ』中の一エピソードである「ナラ王物語」にも『オデュッセイア』との顕著な構造的対応が指摘されている。これまでも『マハーバーラタ』と『イーリアス』の共通起源については一般的に承認されてきているが、インド叙事詩との共通要素が『オデュッセイア』においても認められるとなれば、インドの『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』、「ナラ王物語」とギリシアの『イーリアス』、『オデュッセイア』はすべてインド=ヨーロッパ語族が拡散する以前の時代に遡る原叙事詩型に由来すると考えるべきとなろう。第二部:時代の循環サイクルの概念はインド=ヨーロッパ語族に共有されていたらしい。第一の時代は黄金時代であり、その後は次第に悪い状態となり、最後が最も悪くなる。この最後の時代に世界はまず火災によって、ついで大水によって滅びる。しかしその後、世界は再生し、新たな時代の循環サイクルが黄金時代から始まる。こうした概念はインドとイランと北欧ゲルマンにおいて確実に認められる。またその痕跡はギリシアとローマにも認められる。おそらくこの神話のメッセージは、火災や大水による大災害は不可避であるけれども、それはまた新しい繁栄の時代の始まりでもあるというものだったのだろう。"
著者
髙島 真理子
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.21, pp.67-83, 2021-03-11

トウェインの日本への関心は、日本で記者活動を続ける友人・エドワード・H・ハウスとの文通が1870 年代後半途絶えたことにより進展することはなかった。トウェインがヨーロッパから帰国後の1879 年にもハウスからの手紙はなかった。しかしハウスはこの間トウェインに代わって、ハートフォードの牧師トウィッチェルとの通信を続けている。ハウスは、1879 年夏に世界一周旅行で日本を訪問したグラント将軍の案内役も務め、その記事も書いている。トウェインの日本への関心が新たな展開を示すのは、1880 年夏に日本から若い日本人の養女を伴って帰米したハウスとの再会からである。そのことは、1880 年のクリスマスに描いたハートフォードの隣人・スーザン・ワーナへの絵(手紙)に読み取ることができる。原画「エジプト逃避途上の休息」のパロディー画であるこの絵は、A Tramp Abroad の口絵"TITIAN'S MOSES" の取り組みを通して得た彼の絵画技術の応用としての表現と捉えることも可能である。口絵のテーマである旧約聖書の「モーセと葦」は、トウェインが作家になる以前からの関心事でもあり、1866 年のニューヨークの雑誌にこの逸話をめぐる8 歳の姪のアニーとのやりとりを発表している。その10 年後の1876 年夏に執筆が開始された『ハックルベリー・フィンの冒険』の第1章では、聖書を読み聞かせるダグラス未亡人の言葉を、ハックはアニーの方言の葦("the bulrushers")と聞き取る。さらに第11 章の冒頭に付けられた女装のハックの挿絵は、A TrampAbroad(1880)の口絵の「モーセ」を想起させる。1880 年前後のトウェインの日本への関心は、クリスマスに描いたスーザンへの絵手紙に関連したことの中にその多くを読み取ることができるのである。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.16, pp.41-60, 2015

日本の民話・伝承について考えるとき、これまで多くの研究者が指摘してきたように、中央ユーラシアの遊牧民の民間伝承を避けて通ることはできない。本稿では、ユーラシアのテュルク系民族に語り継がれてきた『アルパムス・バトゥル』、『ナンバトゥル』・『エメラルド色のアンカ鳥』、『勇士エディゲ』、『ジャルマウズ・ケンピル』、『大ブルガルのクブラトの遺訓』などを取り上げ、日本に、これら中央ユーラシアの伝承・民話とよく似た伝承・説話が存在することを具体的に提示した。これらの話は、中央ユーラシアと日本の民話・伝承の比較研究に大きな示唆を与える適例であるといえよう。古来、遊牧騎馬民が駆け巡った、アルタイ地方を中心とする中央ユーラシアの草原地帯に、日本の民間伝承の起源を解く鍵があるかもしれない。本稿は、それを解くための「たたき台」となるはずである。
著者
深沢 眞二
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.20, pp.112-101, 2020-03-11

芭蕉が、元禄二年(一六八九)四月二十二日から翌日にかけて、須賀川の等躬、および同行者の曽良と三吟で巻いた「風流の」歌仙の名残折十八句を注釈する。これは、本誌前号の(上)の、初折十八句の注釈に続くものである。
著者
坂井 弘紀
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.41-60, 2016-03-11

日本の民話・伝承について考えるとき、これまで多くの研究者が指摘してきたように、中央ユーラシアの遊牧民の民間伝承を避けて通ることはできない。本稿では、ユーラシアのテュルク系民族に語り継がれてきた『アルパムス・バトゥル』、『ナンバトゥル』・『エメラルド色のアンカ鳥』、『勇士エディゲ』、『ジャルマウズ・ケンピル』、『大ブルガルのクブラトの遺訓』などを取り上げ、日本に、これら中央ユーラシアの伝承・民話とよく似た伝承・説話が存在することを具体的に提示した。これらの話は、中央ユーラシアと日本の民話・伝承の比較研究に大きな示唆を与える適例であるといえよう。古来、遊牧騎馬民が駆け巡った、アルタイ地方を中心とする中央ユーラシアの草原地帯に、日本の民間伝承の起源を解く鍵があるかもしれない。本稿は、それを解くための「たたき台」となるはずである。
著者
小関 和弘
出版者
和光大学表現学部
雑誌
表現学部紀要 = The bulletin of the Faculty of Representational Studies (ISSN:13463470)
巻号頁・発行日
no.18, pp.202-185, 2018-03-11

一八七二(明治五)年、新橋横浜間に日本初の鉄道が開通した。それからさほど時を隔てずに、江戸時代の『遊覧記』『街道記』等の伝統を承けた形で、『鉄道名所案内』『鉄道旅行案内』といった諸書(本稿では〈案内記〉と称す)が次々に刊行され、以後、さまざまに形を変えながら観光案内書の山脈を形成してきた。本稿ではそれら〈案内記〉のうち、鉄道開通直後の一八七〇年代から鉄道国有化直前の一九〇〇年頃までの書冊に記された文学関連の名所(歌枕類)・史蹟などに関する記述について検討した。観光ガイド的な〈案内記〉の記述中で伝統的文学表現─その中に最後の光芒のように漢詩への回帰も出現するのだが─と土地との関わりがどのように記述され、該地の観光地としての魅力宣揚にどのように「活用」されたか、またその「活用」法が主要幹線の整備や旅行者の量的・質的変化といった時代の推移とともにどのように変遷したかを時系列的に辿った。本稿では〈旅行案内〉、〈名所案内〉といった旅行案内書類(以下〈案内書〉)と文学──〈案内書〉に引用される詩歌を中心に検討するに過ぎないが──との関係、言い換えれば、旅行業・観光産業によって文学形象・文学的伝統が、どのように利用及び消費、消尽されてきたかの一端を確かめるために、鉄道開通直後から一九〇〇年頃までに刊行されたものを対象とする。とは言え、検討のために〈案内書〉としてここで取り上げた諸作を厳密な外延で規定することは難しく、対象の選択にはかなり不明確なところがあることを断っておきたい。また、日本全国各地の歌枕、名所・旧蹟と詩歌との関係等を偏りなく取り上げることは不可能で、筆者の関心が傾く東北地方の記述がやや多めになっていることをも断っておく。