著者
永吉 雅夫
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.18-28, 2002-01-10

幕末維新期、崇徳院をめぐる言説は、その政治的状況の中でにわかに問題化する。江戸と明治を区切る行事としての睦仁親王の即位と「明治」改元は、讃岐からの崇徳院神霊の京都遷還事業と密接にリンクしている。その政治的意味の内実を、秋成「白峯」と篤胤「玉欅総論追加」との差異をつうじて、あとづける。
著者
大洋 和俊
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.44, no.9, pp.1-9, 1995-09-10

「小白河八講」の章段は、牛車の駐車と退場が、座の内外の人々の集中的な視線を呼びおこすだけでなく、それを基点として様々な感情の昂ぶりと言説を形成することに於て注目される章段である。史実の上からは花山天皇退位直前という苛烈な政治情況にありながら、「牛車」の位置は語られることのない歌語りと、和歌への相対化のまなざしによって、「現実」を越境する枕草子の<表現>の行方を提示している。
著者
川端 俊英
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.43, no.9, pp.66-67, 1994-09-10
著者
津田 博幸
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.46, no.10, pp.62-66, 1997-10-10
著者
大谷 久美子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.64, no.2, pp.1-10, 2015-02
著者
二村 文人
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.60, no.9, pp.21-28, 2011-09-10 (Released:2017-05-19)

旧派の連句が、実際には蕉風をどのように継承しているかということを作品に即して検討する。そのために、蕉風伊勢派の俳諧を現代に伝え、付けと転じが連句の特質であると説いた根津芦丈を中心に、親交のあった三人が巻いた歌仙「小鳥来る」の巻を取り上げる。各務支考が体系化した「七名八体説」の八体論がどのように意識されているのかを明らかにしながら、現代連句の課題にも言及する。
著者
山﨑 かおり
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.62, no.2, pp.1-11, 2013-02-10 (Released:2018-02-16)

古事記には、神武天皇の大后となった伊須気余理比売の誕生を語る丹塗矢伝承がある。この伝承は、稲の生育を促進させる雷神の大物主神が丹塗矢になり、水田の溝に流れてきて、溝の棒杭の神格化である三島の湟咋の娘の許を訪れるというものであり、稲の豊穣儀礼を背景としている。日向出身の神武天皇が、倭の大物主神の娘で摂津の三嶋の水田を背景とした伊須気余理比売を娶ることは、天皇が倭を中心とした稲の農耕祭祀を掌握したことを示している。
著者
永井 聖剛
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.46, no.12, pp.42-53, 1997

明治四〇年三月に『文章世界』は「写生と写生文」という特集を組んだ。「写生と写生文とは、今の文壇を動かしつゝある一問題である」と特集の序文は敬意と親近感を表明しているが、その内実は「写生文」と「今の文壇」との間に横たわる断絶を強調するものであった。また同時に、その時期は、高浜虚子が「写生」に限界を感じ、それを「小説」において克服しようとしていたときでもあった。本稿は、同時代の虚子の試行を考慮に入れながら、自然主義の牙城ともいわれた『文章世界』が「写生と写生文」について物語ることの意味を探ろうとするものである。
著者
竹内 瑞穂
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.9, pp.53-64, 2007-09-10 (Released:2017-08-01)

大正期文壇人たちは、「変態」概念を同時期に流行していた天才論と接続させるかたちで消費してゆく。そうした解釈により、「変態」概念は「芸術家」の特権性を絶対化し、彼らの社会・文化的ヘゲモニーを強化する<装飾具>へと再構築されていった。文壇人を取り巻く「民衆」の台頭という時代潮流と併せて考えれば、彼らの「変態」概念消費とは、そこで揺らぐ「芸術家」の象徴的地位を巡る闘争の一端を担っていたと考えられよう。
著者
広瀬 正浩
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.57, no.11, pp.56-65, 2008-11-10 (Released:2017-08-01)

一九八〇年代に柄谷行人が掲げた「交通」という概念を音楽的実践の契機と捉えた坂本龍一は、アルバム『NEO GEO』(一九八七年)のコンセプトとして、地球上の様々な音楽や文化的生産物が互いに等価であるような多元的な世界像を構想した。だがそれは、資本主義に依拠した世界市場を支え、商品の供給源として旧植民地アジアを再属領化することであった。「交通」は、戦争を容認し、植民地主義的な思考を導くという暴力的な側面を持っていたのである。
著者
木村 功
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.11, pp.27-35, 2005-11-10 (Released:2017-08-01)

人面牛身で予言をする「件(くだん)」は、明治から昭和初期にかけて西日本の口碑の中に認められる妖怪である。本論では民間伝承と文学テクストを用いて、その誕生から伝播・消滅に至る経緯を考察した。件は農業における厄除けと豊作祈願に起源があり、牛頭天王信仰と関わりながら、産業構造の変化に伴って民衆の意識が仮託される存在へと変化して行った。ついには人間と牛の関係が社会の中で希薄になった事で、殆ど消滅したのである。
著者
高橋 明彦
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.11, pp.69-80, 2005

楳図かずおが「恐怖」をどのように描いてきたかを検証した。「恐怖マンガ」という言葉を作ったのは楳図であるが(一九六一年)、まず、それ以前の作品の特徴を民俗性、怪奇性、幻想性の三点において検証した。ついで、これらを統合して恐怖マンガという語彙が獲得され、「怪奇」と区別しうる「恐怖」という概念が成立する。ついで、一般に言われる、楳図の描く恐怖モチーフが「怪奇」から「恐怖」へ変遷したとする説を再検討した。「怪奇」と「恐怖」とは変遷可能な同位対立的関係にはなく、「恐怖」とは「怪奇」を包摂する根本概念なのである。また、その包摂関係を成立させているのが、楳図における認識論的な遠近法主義である。加えて、神を描く存在論的な在り方についても論じた。
著者
佐藤 泉
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.71-80, 2005-01-10 (Released:2017-08-01)

松本清張が一九五八年に発表した「黒地の絵」は、暴力をそれに先立つ第一の暴力への反応として描いている。この物語は、北九州の米軍キャンプの近くでおこった黒人兵士の女性に対する性暴力を、それに先行するアメリカ社会内部の人種差別という第一の暴力への反応として描き出す。つまり暴力は絶望の表現として描かれる。しかし、女性に向けられる暴力は反差別とは無関係である。動機と表現との間の関係は拡散している。次の暴力として、被害女性の夫による復讐が描かれるが、復讐を遂げたときすでに犯人の黒人兵士は戦死体となっており、復讐は無意味化され、夫も絶望する。暴力の連鎖を、絶望の連鎖としてとらえるこの作品は、反差別、反暴力を企図しているが、しかし差別的な表象体系にとらわれた表現によってその企図は挫折している。その挫折じたいが暴力の自己内向の一表現となっている点で興味深い。
著者
佐藤 和喜
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.5, pp.62-74, 1987-05-10 (Released:2017-08-01)

万葉から古今への変容において重要なのは、繰り返し表現が論理的な表現に改められていくことであり、これによって律調も五七調から七五調に転換していくと見ることができる。歌経標式はこの和歌史の変容に自覚的であったようであり、万葉的な五七調の歌に基づいて比喩論を展開するとともに、音韻論において、繰り返しを主な方法とする五七調の歌を否定的に捉え、論理的な表現をしている七五調の歌を称揚している。これは歌経標式が歌を記載されたものとして分析・鑑賞しているからであると言うことができる。