著者
河村 英和
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.34, pp.137-157, 2022-08

高度経済成長期の1960~70年代は、ホテル建設ラッシュで数々のホテルが日本各地で誕生したが、その屋号の命名には、ある種の傾向や規則性があり、ホテルの所在地の町名に「観光」「グランド」「ニュー」などの特定の単語を組み合わせることが多かった。町名や国名をホテル名に含める場合、それに相応するホテルの格式も命名の動機も、ヨーロッパのホテルと日本のホテルでは全く異なっている。そもそもヨーロッパの典型的なホテル屋号の派生期から、日本では一世紀近く遅れて同名の屋号が普及したので、同タイプの命名法のホテルでも、建設時のコンセプトやデザインにも日欧で大きな違いがある。本稿(パート1)では、18~19世紀ヨーロッパのホテルの屋号の命名法の歴史を踏まえ、国名の入った屋号や、「ロイヤル」と「国際」を含む屋号の傾向と派生期を日欧で比較する。なお、「ニュー」「グランド」「観光」「ビュー」「パーク」「プラザ」「パレス」等を含むホテルの名については次稿(パート2)以降で扱う。
著者
小川 功
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.27, pp.1-29, 2019-01

鉄道網が拡大する明治20年代から明治30年代までの私鉄勃興時代に、特定の企業や信仰を背景とせず、旅館業者同士の緩やかな結合による共済組織で「定宿帳」(同盟旅館の名簿類)を発刊した「一新講社」と「大日本旅館改良組」の形成過程を分析した。さらに同種の「日本同盟大旅館会本部」が刊行した時刻表『旅行独案内』と「全国漫遊の独案内とも云つべき有益雑誌」の『大旅館雑誌 旅客之楽園』の内容をごく少数の残存号を発掘して紹介した。明治31年10月発行した創刊号は一ヵ月前同一団体で創刊した時刻表の姉妹編ないし別冊特集といった性格を有する。鉄道に関する特異なまでの詳述傾向は『大旅館雑誌』発行所主事・赤井直道「漫遊者大中居士の実地視察感悟に因て起稿」した個人的嗜好によるものと判断した。最後に『大旅館雑誌』に掲載された「大旅館」がどのような旅館であったのかを数量的に検証し、京都・奈良・金沢の古都等での掲載旅館群のその後の栄枯盛衰の軌跡を探索した。
著者
曽田 修司
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.25, pp.27-40, 2018-01

2016年以来、コンサート等のチケット転売問題が、社会的な注目を集めている。このうち、個人の事情に起因する転売のニーズヘの対応は、公式転売サイトの設立によってほぼ解決が可能である。残る課題は、主催者側が依然として抽選制によるチケット販売方式にこだわっているためにファンがチケットを人手しづらい状況を作り出していること、その結果としてネット上のオークションサイトで異常な高値でチケットが転売されていること、さらに、組織的な営利目的の転売業者の大規模な参入により転売の利益が音楽業界以外に流出しているという構造的な問題の解決である。本論考では、これらの複合的な課題を総称してチケット高額転売問題と呼ぶ。音楽業界の収益構造における収入源の主力が、CD・レコードの販売や音楽配信などからライブ・コンサートに移行しつつある現在、チケット高額転売問題は、音楽業界が業界をいかに成り立たせ、新たな才能の発掘や音楽環境の整備など、将来に向けてどのように持続可能性を高めていくかという問題と直結している。これまでのところ、チケット転売を抑えるための方策として「本人確認」を厳格化することがしばしば行われているが、このやり方では、チケット購入者の側の「ルールの遵守」義務が前面に押し出され、もっぱら購入者のモラルが問題とされるのみで本来の課題の所在が明確になっていない傾向が見られる。 本来は、社会における公正とは何かという観点から、供給者(コンサートの主催者)の側で需給のバランスをどう取って極端な需給ギャップが生じないようにするかという視点からの適切な制度設計が望まれる。また、善良な音楽ファンを経済的負担と心理的負担のダブルバインドに陥らせないような効果的方策の導人を業界全体として早急に検討することが必要である。
著者
鳫 咲子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF MANAGEMENT (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
no.31, pp.19-32, 2021-02

我が国では、人口政策としての少子化政策が先行し、その中で家族政策としての子育て支援政策が注目されるようになった。安倍政権下の少子化政策は、従来の「子育て支援」及び「働き方改革」に加えて、「結婚・妊娠・出産支援」を新たな内容として「希望出生率 1.8」の実現を掲げている。待機児童問題は保育所においては減少傾向にあるが、放課後児童クラブでは今後の課題となっている。子どもの貧困対策のうち就学援助には所得制限があり、支援を必要とする家庭は支援を受けていることを知られたくないという気持ちがあったり、申請が必要な個別的な子どもの貧困対策には、制度の周知が難しかったりという課題がある。給食費の無償化には、子どもの貧困対策を個別的な対策から普遍的な子育て支援策に転換し、直接子どもに給食を現物給付するという意義がある。子供の貧困対策大綱は、学校を地域に開かれたプラットフォームと位置付けて、スクールソーシャルワーカーやスクールカウンセラーが機能する体制の構築を目指している。貧困家庭の子供たち等を早期の段階で生活支援や福祉制度につなげていくためには、配置するスクールソーシャルワーカーの増員を急ぎ、勤務もフルタイムにすることが求められる。
著者
福田 優二
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
vol.7, pp.149-157, 2009-03

現代日本の消費文化は"クール・ジャパン"と評され,海外からも称讃されるようになった.この小論は,評価の高まりつつある現代日本の消費文化を,どのように位置づけることが可能なのか,文明史的な視点から考察を試みるものである.サミュエル・ハンチントンは「文明の衝突」の中で,現存する世界の主要文明は,七ないし八であるとし,「日本文明」はその一つであると言明した.多くの研究者が日本文明を固有の文明であると認識し,西暦100年〜400年頃の時期に中国文明から派生し成立したと見ているからである.日本文明は主要文明の中で唯一,一国家一文明という特徴を持ち,文化の継続性という点できわめてユニークな存在である.この特異性を考えると,日本文明の創世期と最初の大きな文化的達成の時期に,その本質は自ずと現れていると見るべきであろう.その意味で,最初に国家としての自己確認を行い,日本社会の指針を示した聖徳太子の「和」のコンセプトや,「源氏物語」や藤原道長のライフスタイルを頂点とする平安貴族の快楽主義的な自己実現の生き方は示唆的である.平安京というインフラと荘園を背景とする経済力によって,平安貴族コミュニティは「文化消費の共同体」として稀有な達成を示した.この時代,「和」の精神,「桜」の美というシンボルによって,日本文明の本質が示されたのである.一方,鎌倉時代以降,二次大戦終結までは,「武」の精神,「刀」の時代となった.明治維新も「富国強兵」に表現されたように,その本質は旧武士の「武」のモラルに基づく「士族国家」への転位であった.大戦後の日本では「武-刀」の全面否定への大転換が起こり,「和-桜」の復活となった.「和」の精神を基盤とした,平安貴族モデルへの回帰こそが戦後世代のライフスタイルと価値観となった."クール・ジャパン"という現代日本の消費文化への賛美は日本文明の伝統を踏まえた優美と洗練へのリスペクトなのである.
著者
神山 伸弘
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A11-A42, 2010-09

ヘーゲルは、1822/23年冬学期の「世界史哲学」講義において〈インドの天文学〉に関して詳細な言及をしている。しかしながら、ガンス版ないしカール・ヘーゲル版の『歴史哲学』では、それが明確に跡づけられず、かえって〈インドの天文学〉のいかがわしさのみが伝わる格好になっている。しかし、〈インドの天文学〉を詳細に伝える「世界史の哲学」講義のイルティング版にしても、集積テキストの編纂という方法論が禍して、ヘーゲルが〈インドの天文学〉をそれなりに評価していた文脈を読み取ることが難しいものとなっている。 本稿では、イルティング版とグリースハイム・ノートとを対比するなかでイルティング版の問題点を指摘しながら、さらに〈インドの天文学〉を理解するために必要な知見を確認する。そして、そのことを通じて、ヘーゲルが「世界史哲学」を講義するさい、経験的知識を〈情報知〉として可能なかぎり収集している姿を浮き彫りにしていく。
著者
小川 功
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学マネジメント学部紀要 (ISSN:13481118)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.115-131, 2008-03

筆者は近年は主に大正期に取付・破綻した銀行・企業群とその実権者のリスク選好の分析を進めつつあるが,今回はこれまであまり紹介されてこなかった佐賀貯蓄銀行が対象である.本稿は明治29年「佐賀財閥」の共同経営の庶民貯蓄機関として設立され,「葉隠武士」で名高い旧佐賀藩主・鍋島家元重臣の旧士族人脈で構成された佐賀貯蓄銀行のビジネス・モデルの変容を取り上げる.当初の「所謂士魂商才と云った様な型」の堅実なビジネス・モデルが,大正初期から次第に破綻に繋がるようなハイリスク・モデルに変容する契機を,主に田中猪作というハイリスク選好者としての「虚業家」との抜き難い因縁によって仮説的に説明しようという試論である.田中は政治家を志し,代議士に立候補する一方で,数多くの新設企業の創業に関わる職業的発起人であり,同行とは別に中央生命保険(別稿を予定)を自己の機関金融機関として収奪しようと乗取りを敢行した「山師」的人物と評されている.旧士族としての教養もあり,「佐賀財閥」の名流に連なる銀行幹部連が揃ってアウトサイダーに取り込まれ,虚偽の預金証書多数を乱発し同行を破綻に陥れる犯罪行為に何故に走ったのかが筆者の主たる関心事である.同時期の地方銀行の不祥事件として大相場師・石井定七に巨額の架空預金証書を提供した高知商業銀行が著名であるが,石井は過去に何度も同行を救済した大株主で重役は石井の無理な要求にも従わざるを得ない因縁にあった.しかし田中は佐賀貯蓄大株主でもなく,とりたてて深い義理も感じられない.「予審決定理由書」など参照し得た資料の限界から十分に実証するには至らないが,銀行幹部が大戦景気・大正バブルの中で「虚業家」の言葉巧みな甘言に煽られ,投機的利益を獲得すべく,新設企業群(結果として泡沫企業)への創業金融という一種の投資銀行的なハイリスク・モデルに自ら転換し,株式担保金融の占率を異常に高めていったのではないかとの現段階での仮説を紹介する.
著者
村田 宏
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.42, pp.19-37, 2009-03

本稿は、一九二〇年代のパリで「画家」となったアメリカ人ジェラルド・マーフィー(一八八八―一九六四)に焦点を合わせ、その芸術的特質について「移動」と「パリのアメリカニスム」の観点から再検討するものである。\n 絵画の門外漢マーフィーが、一九二〇年代のパリの美的動向、具体的には摩天楼とジャズへの憧憬に彩られた「アメリカニスム」に大きな意義と役割を担う画家へと変貌してゆく経緯とその史的背景について、筆者が決定的意義をもつと考える問題に即しながら検討を加える。端的には、1「マーフィーとナターリア・ゴンチャローヴァ」2「マーフィーとパブロ・ピカソ」3「マーフィーとフェルナン・レジェ」という三つのトピックをとおして、考察が進められることになる。\n 筆者は、さしあたって議論の端緒を、画家が回想で語る「モンパルナスの仮装舞踏会」や「バレエの初演」に求めることとした。これら二つのイベントがいかなる内容のものであったか、さしあたって不明であるが、今日に伝わる断片的な事実や資料のいくつかをつきあわせるならば、新来のアメリカ人マーフィーが身を置いた時代と場所の特性を測定することが可能となるからである。「仮装舞踏会」「バレエ」は、いずれもパリに到来した多くの外国人芸術家がいくつもの場面で「主役」を演じるようになった一九二〇年代特有の現象であり、より限定的には、絵画の門外漢マーフィーが画家として世にあらわれるに際し、どのような啓示をいかなる人々から受けていたか間接的に示唆する挿話となっているといえよう。\n 暫定的に得られた結論を記せばつぎのようになる。すなわち、絵画の初心者マーフィーが、パリ在住のロシアの芸術家ナターリア・ゴンチャローヴァを最初の芸術上の師とするという経路を辿りながら、パリの前衛芸術家のサークルへとその交友の輪を広げていったということであり、その交渉はパブロ・ピカソ、フェルナン・レジェに及ぶということである。本号の考察は、第一章「マーフィーとナターリア・ゴンチャローヴァ」と、第二章「マーフィーとパブロ・ピカソ」第一節までとし、以下は次号に掲載を予定している。