著者
貫井 万里
出版者
Japan Association for Middle East Studies (JAMES)
雑誌
日本中東学会年報 (ISSN:09137858)
巻号頁・発行日
vol.28, no.1, pp.1-34, 2012-07-15 (Released:2018-03-30)

1951年にイラン政府は、20世紀初頭以来、イギリス系アングロ・イラニアン石油会社(AIOC)の支配下にあった石油産業の国有化を宣言した。石油国有化を目指して一般民衆をも巻き込んでイラン全土で展開した、このナショナリズム運動は、石油国有化運動と呼ばれている。運動を率いたモサッデク博士をリーダーとする国民戦線は、石油産業の国有化を通して、外国の影響力を排除し、国家の独立と民主主義制度の確立の実現を主張し、多くの一般民衆を惹きつけ、運動に動員することに成功した。中でも、バーザーリーと呼ばれる、イランの伝統的商業区域、バーザールで働く商人や職人たちが、この運動に積極的に係わったことが多くの先行研究で指摘されてきた。先行研究を分類すると、バーザーリーの石油国有化運動参加の動機として、宗教指導者との密接な関係やバーザーリーの敬虔さを理由に宗教的要因を重視する説(宗教要因説)と、功利主義的な立場からバーザーリー自身による経済的利益の追求に注目する説(経済要因説)の二つに分けることができる。しかし、従来の説は、バーザール内の多様性を十分に考慮しておらず、また、バーザーリーの政治活動に関する具体的なデータに基づいて分析されていないという問題点を指摘することができる。従って、本稿は、バーザールの中でも、経済的にも政治的にも重要性の高いテヘラン・バーザールで働く人々(バーザーリー)に焦点をあて、上記の二説を実証的に検討することを目的とする。具体的には、ペルシア語紙『エッテラーアートEṭṭelā‘āt』新聞及び『バーフタレ・エムルーズBākhtar-e Emrūz』新聞から、モサッデク政権期(1951年4月~1953年8月)中にバーザーリーの参加した抗議活動を収集し、抗議活動の主催者及び共催者、クレイム(抗議イベントの中で唱えられた主張)に類型化した。収集された二つのデータセット、(1)バーザールの閉鎖(24件)、(2)バーザーリーの参加した抗議活動(321件)は、それぞれ第2節と第3節で考察し、クレイムと抗議活動が生じた際のイランの政治・社会状況を手掛かりに、バーザーリーによる抗議活動参加の動機を探究した。データ分析の結果、テヘラン・バーザールの多数派を構成する「商人・アスナーフ・職人連盟 Jāme‘e-ye Bāzargānān va Aṣnāf va Pīshevarān、アスナーフ連盟と略」は、テヘラン・バーザール閉鎖の権限を持ち、自律的な政治アクターであったことが判明した。同組織は、目的実現のための一手段として、宗教的権威を使用することもあったが、石油国有化運動の二大リーダー、世俗的政治家のモサッデク首相と宗教指導者のカーシャーニー師の対立が深まると、国民戦線の世俗政党と協力してモサッデク政権を最後まで支援し続けた。また、バーザーリーの参加した抗議活動の背景には、第二次世界大戦後の貿易自由化策及びパフラヴィー朝の経済政策によって富裕化した貿易商や企業家からなる「アスナーフ連合Etteḥādīya-ye Bāzargānān」と、伝統産業に携わる中小商人・職人からなるアスナーフ連盟の対立関係が浮かびあった。モサッデク政権は、国内産業の保護育成政策によって、中下層のバーザーリーに経済的恩恵のみならず、国政参加の機会をもたらした。政治・経済権益を巡るアスナーフ連盟とアスナーフ連合の主導権争いは、既得権の復活を目指すアスナーフ連合の王党派商人をモサッデク政権打倒工作に深く関与させる結果となった。本研究を通して、これまでの研究では、充分に明らかにされてこなかった石油国有化運動におけるバーザーリーの政治参加の実態を実証的に解明することが可能となろう。

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@Sankei_news @NIPPONnoTSUYOMI なら発電所を日本水準で作らせて、最後日本が国有化してしまえばいい。 イランの石油国有化に倣ってね。 https://t.co/jcEofIsCqP

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