著者
大城 直樹 荒山 正彦
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2009年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.250, 2009 (Released:2009-06-22)

本シンポジウムの目的は、「郷土」という表象が、いかにして近代の日本において受容ないしは導入され、国民の地理的想像力の中で確固とした実在物として自明化されていったのか、そもそも「郷土」なる概念ないしは着想はどこに由来するものなのか、さらに「郷土」表象をめぐる実践が、どのようなかたちで展開していったのか、これらの事項について検討することにある。 藩政村レベルの共同体とその生活空間を越えて、行政村レベルで共同体意識をもたせるために導入されたこの表象は、元来、19世紀に概念化されたものであり、日本に導入されて100年経った現在、その自明化および身体化を含めて批判的に再検討されるべきである。初等・中等教育における地理のプレゼンスの問題とも直結する肝要な表象=概念を、無反省に使い続けることは、比喩的に言えば、制度疲労による欠陥を見落としてしまうことにつながりかねない。自明化された「郷土」表象の相対化とその歴史的・政治的文脈の洗い出しを行うことが必要である。特定の空間的範域への情動と表象の質の再検討を旨とする本シンポジウムの意義は、特にその批判性にあるといえる。自明視されすぎてしまった「地理」的現実の近代的仕組みを、もう一度その初発の構築プロセスから問い直し、なぜ今なおそれが有効に機能しているのか、そのからくりを解き明かしてみたい。表には出ずとも、あるいは逆にそうであるからこそ、地理的表象とそれに連動する実践は、アンリ・ルフェーブルのいう「空間的実践」と同様、近代性そのもののなかに深く介在しているといえるからである。 周知のように、この「郷土」なる概念ないしは観念が、日露戦争後の農村部の疲弊に対して内務省が主導した地方改良運動と連動したものであるならば、内務省の行政資料に分け入って、その制度的導入・普及の様相を突き止める必要も出て来よう。無論,「郷土」なる表象に当該するものが、前近代になかったかどうかの検証も行う必要があるだろう。 1930年代の文部省主導による郷土教育運動については、なお一層の検討が必要である。小田内通敏のような在野かつ半官の研究者,文検などの教育をめぐる資格制度とそれを取り巻く出版社や大学教員の関係性などに関する研究も、広く郷土研究を再考しようとする場合には必要となる。と同時に,同時代の民芸運動、民俗学、民具研究といったルーラルなものを対象とする知の体系の成立および展開にも着目する必要がある。 郷土教育運動と民俗学・民藝運動・民具研究といった、等しく「郷土」ないしはルーラルなものに関わる知的運動体の活動を問う際にネクサスとなるのは「表象の物象化」の問題である。郷土教育運動は、いうまでもなく文部省主導で1930年代に行われたものであるが、郷土教育自体は無論それ以前からある。郷土教育の中でいかに「郷土なるもの」が表象され、学校教育の中で教え込まれていったかを、より多くの事例から検討していく必要があるだろう。日本人の郷土表象の根幹がここにあるからである。また、これと同時期に柳田國男によって創始された日本民俗学、柳宗悦らの民藝運動、澁澤敬三のアチックミュゼアムを中心に行われた民具研究、これらの知の運動体は多くの言説を生産していったが、まさにその言説の生産行為自体が「郷土なるもの」を実体化せしめ、それを研究者や読者にとって自明なものとして刷り込み、さらにそういうものとして再生産していくことになった。本来、概念ないしは着想に過ぎなかった「郷土」が表象であることを越えて実在物であるかのように物象化していくのは、まさにこのプロセスにおいてである。 だが、これまでのこの知の運動体に関する諸研究では、この「郷土なるもの」を実体として前提しすぎていた。柳田が言ったのとは異なる文脈ではあるが、「郷土を郷土たらしめるもの」、その諸契機に留意する必要があるし、それを突き止めることがおおきな課題となるだろう。 【参考文献】:荒山正彦・大城直樹編(1998):『空間から場所へ』,古今書院,「郷土」研究会編(2003):『郷土―表象と実践―』,嵯峨野書院、2003年,

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日本地理学会セッション:大城直樹, 荒山正彦「地理思想としての『郷土』」 https://t.co/y65FZQbPNC 地方改良・郷土教育といった近代の国家的運動の中で「郷土」という表象がいかに定式化され物象化していったのかを分析すること―

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