著者
林 伯原
出版者
日本武道学会
雑誌
武道学研究 (ISSN:02879700)
巻号頁・発行日
vol.46, no.2, pp.59-75, 2014-01-31 (Released:2015-01-31)
参考文献数
38

Prior to the times of Jiajing (A.D.1521-1566), Japanese swords were often imported into China as tributes, trading goods and complimentary gifts, but there was no record that Chinese troops or civilians had learned and widely used Japanese swordplay, except for the imperial guards. Since the year of Jiajing 31 (A.D.1552), the massive Japanese invasion of the southeast coast of China made Chinese people notice the advantage of Japanese swordplay. Meanwhile Chinese army and civilians who loved Chinese wushu needed better sword skills,therefore Japanese swordplay became rapidly known and absorbed by them and spread among the folk people. At that time some members of the Chinese army were equipped with Japanese long swords; the warriors used cane shields, and the archers and the cavalry were equipped with Japanese waist broadswords. Training involved the repetition of solo patterns or routines first, followed by matches with other people. Some civilians who learned Japanese swordplay exercised mainly the routines, others mainly practiced a single pose or stance. The kind of Japanese swordplay that spread among civilians could be divided into two types: in one, people were trained by original Japanese swordplay; in the other one, people practiced Japanese swordplay with Chinese swordsmanship together, integrating Chinese swordplay and Japanese swordplay into a new kind of swordplay. In both cases, the practice of Japanese swordplay introduced into China was characterized by the use of patterns or routines.But the routines used by the Chinese army and the folk people were greatly different. In the army, the routine was laid out from the perspective of group training, so it was brief and simple; while the folk routine was laid out from an individual point of view, so it was long and complicated.

言及状況

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ネットの情報によると… ・本多忠勝が同時代の外国の(平均的な)兵士と白兵戦(一対一の勝負)をした場合、 本多忠勝が勝利するものと想像します。 ・本多忠勝が14世紀頃の騎士(完全武装の重騎士)と戦った場合、 騎士が勝利しそうです。 以下に根拠等… 本多忠勝は… ・生涯57度の戦に臨みながら一度もかすり傷さえ負ったことがない(=勝負強い) ・14歳の初陣で敵の首 ...

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[edged weapon][歴史] 中国明代の日本刀輸入の歴史と剣術。

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これについては、こちらをどうぞ。 https://t.co/H3KxcsOc5u 詳しく解説されていると思います。 https://t.co/XYIH5CIQaR
「大量の(日本)刀を輸入」、15-16世紀の日明貿易で正式な記録に残ってるだけで10万本以上なので、軍隊で組織的に使ってたという蓋然性はたしかに高そう。南部の歩兵戦で使われてたのは知られていたそう。 #今日の論文 『明代中国における日本刀術の受容とその変容 』https://t.co/kGvzvj4YbI https://t.co/4ZemQlOz80 https://t.co/nKdkb0L3rK
元寇の影響で日本刀が対遊牧民用に改良され、明朝の辺境でもモンゴルの侵攻を食い止めるために日本刀が使われたという投稿を見た ここら辺、「明代中国における日本刀術の受容とその変容」によれば、嘉靖年間以前にも明軍において日本刀を使用した例がないわけではないが、 https://t.co/YjYEiyEmMC
@6UkJhwckWp82146 日宋、日明貿易ではかなりの数の日本刀が中国に輸出されましたが、中国現地ではあんまり古い日本刀は残ってなさそうですよね…… 林伯原氏「明代中国における日本刀術の受容とその変容」 https://t.co/YjYEiyEmMC
@inuchochin もちろん単刀法選のことではなく、『紀效新書』の「長刀習法」 のようですが…… https://t.co/YjYEiyEmMC
そういう粗悪な日本刀は武器としても使えないから鉄として再利用したということかな…… 明側にそういう史料があるなら確認してみたい 明が大量の日本刀を輸入したのは史料からも確認できるが、粗悪な数打ちのなかにはそういう扱いを受けたものもあったのかもなぁ https://t.co/YjYEiyEmMC
@take_nakanishi https://t.co/BNVawIXsPSこれの六ページ目にも、倭寇の双刀が印象深かったことについてのん急があると教えていただきましたわ
https://t.co/LkssSBVHyA >まず,『紀效新書』の「影流之目録」にある刀 法の図は全七点のうち徒手である一点を除くと, 両手で刀の柄を握るものは一点のみであり,残り の五点には片手で柄を握る図が三点,片手で柄を 握って片手で刀身を押さえる図が二点含まれる。
https://t.co/LkssSBVHyA >戚継光が『紀效新書』(十四巻本)巻四の「長刀製」の中で 「長刀は刀身の長さ五尺(約 159 cm),銅製の鍔 と柄巻を合わせて一尺(約 31.8 cm),柄の長さ(鍔 を含む)一尺五寸(約 47.7 cm),全長六尺五寸 (206.7 cm),重さ二斤八両(約 1.652 kg)」と記し ている。
明代中国における日本刀術の受容とその変容https://t.co/9SWawERgJ3
@YzrR5o https://t.co/Adq2t6IYCo 本じゃないけどこれはどうですか
また 林伯原「明代中国における日本刀術の受容とその変容」『武道学研究』第46巻第2号 (2014)、59-75ページ。https://t.co/SIC4Hug8lK によると、戚が戦場で鹵獲した影流之目録は日本のある流派の伝書の当該部分と完全に一致するとのこと。これは2012年に初めて確認されたようだ。
@grilledcrow 日中の歴史のことなんもわかってないので、あー宮本武蔵って時期的に(時代前後するにせよ)この頃の人なんだーってなりました。(刃牙はそういう話ではないのかー) J-STAGE Articles - 明代中国における日本刀術の受容とその変容 https://t.co/1kQsjW3FO2
学術的な範疇なら論文が出てきて無料で読めるのが良いインターネット https://t.co/rJbysGr7XL
明代中国における日本刀術の受容とその変容 https://t.co/NXuZ8GUFuO
@teitoku 大陸では倭寇による貿易などを通じ、日本刀と日本式剣術は明代から受容されていました。 https://t.co/6A1M151NY0
https://t.co/vWSsmuUR4K >戚継光は『紀效新書』(十四巻本,李承勛刊本)の「長刀解」で倭寇の日本刀術について「彼ら(倭寇)は光り輝く長刀を持ち,舞うが如く跳躍しながら突進してくる。我が兵はただ気を奪われるのみである。
この加来耕三氏の記事はかなり問題がありミスリーディング。武術史の基本を押さえていないと思います。まず何よりも日本刀と日本剣術が戦国時代に中国と朝鮮に多大な影響を与えたことを無視している https://t.co/4AuZHGFVwf https://t.co/8bR5BwRl4V
【資料】J-STAGEに、林伯原氏の論文「明代中国における日本刀術の受容とその変容」(武道学研究46(2) 2014)がpdfで公開されています。日本史とはちょっと離れますが面白い https://t.co/tAZySt6gfk
「明代中国における日本刀術の受容とその変容」とか面白そうだなあ。 https://t.co/vYfRAvxi40

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