著者
西村 純
出版者
一般社団法人 日本物理学会
雑誌
日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
巻号頁・発行日
vol.67, no.12, pp.816-821, 2012-12-05 (Released:2019-10-18)
参考文献数
12

1920年代にボーアの研究所で過ごした仁科芳雄は1928年に帰国したが,我が国における現代科学普及の重要性を考え,長岡半太郎に依頼してディラックとハイゼンベルグを日本に招請している.仁科自身も1931年には京都大学で講義を行っていた.湯川・朝永はこれらに刺激を受けて量子力学の研究に進んだと云われている.仁科は1931年に理研に彼の研究室が発足すると,宇宙線の研究に取り組み,理論的研究,マグネット霧箱による中間子の研究,深部地下での観測,緯度効果,連続観測等広範にわたる研究を展開した.仁科研究室は戦争末期に壊滅的な被害を受けたが,我が国の宇宙線研究は戦後,多くの方々からの支援の下に発展し,新しい展開を見せて今日に至っている.

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日本物理学会誌は宝の山。日本の宇宙線研究黎明期。https://t.co/xF3papBnsr 1942年の宇宙線異常増加。Forbushにより太陽活動によるものと報告されたのは戦後のこと。日本でも増加が観測されていた。理研報告で「前列に座る恐い長岡や仁科」がノイズの影響を検討せよと指示。恐れをなしてそのままに。

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