- 著者
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斎藤 功
- 出版者
- The Association of Japanese Geographers
- 雑誌
- 地理学評論 (ISSN:13479555)
- 巻号頁・発行日
- vol.79, no.2, pp.53-81, 2006-02-01 (Released:2008-12-25)
- 参考文献数
- 21
- 被引用文献数
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ロサンゼルスの近郊酪農は都市の拡大とともに,南東部のアルテジア地域に集中し,1940年頃には搾乳型専業酪農drylot dairyが確立した.酪農家はこのアルテジア地域からチノバレーへ,さらにチノバレーからサンホワキンバレーへという3段階の立地移動を繰り返した.この延長線上に北部諸州やハイプレーンズへの立地移動がある.本稿は3段階にわたる酪農家の立地移動の実態と要因を解明し,その民族的背景を探ったものである.1960年代のアルテジア地域からチノバレーへの立地移動で,搾乳型専業酪農の規模は2倍の700頭に拡大した.1980年代,特に1990年代にチノバレーからサンホワキンバレーに移転した酪農場は搾乳規模が2,000~3,000頭になる大規模な工業型酪農に変身した.その際,兄弟や息子が独立する複数移動や連鎖移動が存在した.サンホワキンバレーでは移動時期と酪農規模に明確な差があるので,チノバレーの30年間が規模拡大のゆりかごになった.また,大規模酪農家の転入によりオランダ系酪農家がポルトガル系酪農家と肩を並べるまでになった.さらに,チノバレーなどから北部諸州やハイプレーンズに移転した大規模酪農家は,そこでも悪臭などの大気汚染や硝酸塩濃度の上昇という環境汚染を引き起こしつつあり,集団畜産肥育経営(CAFO)をめぐる規制が強化されつつある.