著者
貝塚 茂樹
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.56-64, 2015-09-12 (Released:2017-08-10)

日本教育史においては、教育勅語が近代教育における道徳教育の理念の中核であり、「源流」であることが自明のこととされてきた。しかし、教育勅語の評価は、近代教育を通じて決して「安定」していたわけではなく、国民道徳論や「日本的教育論」などの影響の中で、確固たる有効性を持ち得ていたわけではなかった。この点の歴史的分析を欠いた戦後の教育史研究は、教育勅語の歴史的定位を明確にすることに成功しておらず、同時にそれが道徳教育研究を妨げる要因ともなってきた。道徳教育をめぐる議論を学問的な研究対象とするためには、教育勅語を歴史研究の中に実証的に位置付ける努力が求められる。それは、道徳の「教科化」の本質的な意義と可能性を理解するためにも不可欠である。

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@finalvent 私は通俗道徳+国家神道が明治国家のイデオロギーだと考えています。 https://t.co/Wu9QQcEKJa
教育勅語は道徳教育の「源流」 たり得たのか研究動向 の整理と課題(貝塚茂樹) https://t.co/TiyJNGfehy 結論から言いますと彼等日本人とは言えません。なぜなら教育勅語の近代史上の生成過程と教育効果、位置づけなど妄想だからです。昔で言う天皇機関車の人々です。勅語という単語だけ知ってる。 https://t.co/BZQuYDZkfL
教育勅語の受容は大きな変遷を経ていた、というまとめ。要精読。 https://t.co/51R0ux2bW1

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