著者
福田 豊子
出版者
日本家庭科教育学会
雑誌
日本家庭科教育学会大会・例会・セミナー研究発表要旨集 第59回大会・2016例会
巻号頁・発行日
pp.103, 2016 (Released:2017-01-13)

「家庭科」を英語で「ホーム・エコノミクス(Home Economics)」と表す。「生活経済学」と訳すことも可能なこの教科の名称について、改めて考えたい。本論の目的は「経済学」としての「家庭科」の理念に立ち返り、その存在意義を再確認することである。 方法として、「生活経済学」の研究成果に依拠しながら、今日の日本の「経済学」のパラダイム転換を試みる。教科の新たな方向性を探ることも視野にいれたい。   「ホーム・エコノミクス」という教科名については、これまで「生活科学(Life Science)」や「人間環境学(Human Environment)」あるいは「家族と消費者の科学(Family and Consumer Science)」等の概念が、新しい名称として候補に挙がってきた。 そもそも「経済」という言葉は「経世済民(世をおさめ民を救う)」からきたものだ。お金の流れだけでなく、人々の生活がスムーズに流れるような社会の仕組みを表現している。その本来の意味からすれば、今日の日本で主流の「経済学」は、金融に偏重した狭義の「経済」に傾倒したものであるといえよう。本来の「経済」にはアンペイド・ワークも含まれている。また、貨幣が介在しない交換契約や贈与契約も立派な経済活動といえるが、これらはGDPには計上されにくい。 家庭科の教科書でさえ「生産領域としてのワークと消費領域としてのライフ」を明記しており、家庭が生産の場でもあることに気づきにくくなっている。家庭内の家事・育児労働はGDPの3分の1ともいわれる。このアンペイド・ワークが産業や社会全体を支えている。家庭における生産活動がシャドウ・ワークとして隠れたままでは、人間の生きる営みの半分しか見ていないことになる。 貨幣の役割には「価値尺度」「交換手段」「貯蓄」などあるが、現代の日本は、価値を測る尺度が貨幣しかない社会といえるだろう。それ以外にどんな尺度があるか、例えばOECDはBLI(Better Life Index)をよりよい生活の尺度として利用している。 また、エントロピーという「無秩序の度合い」を表す概念も価値を測る尺度として使用可能である。生きる営みはエントロピーを低める活動の維持である。生き物にとっては、エントロピーを低める活動に価値がある。エントロピーを低める事物に価値があり、高める事物に価値がないと判断できる。貨幣を補足するものとしてエントロピー概念を利用するなら、戦争は武器を製造・輸出する国や企業が儲かるが、戦地の建物や人々の生活を破壊するのでエントロピーを高める行為である。原発は、経費が安くて価値があるように思えるが、廃棄物がエントロピーを高めるのでそうではないかもしれない。貨幣の金額だけで価値判断をしないで、エントロピーを高めるか低めるか、ということを補足的に価値尺度として使用することで、より厳密にその事物の価値を測ることができるのではないか。 経済のグローバリゼーションは、貧富の格差を拡大している。経済大国は消費者として大きな責任をもつ。狭義の経済学で考えると、戦争や核エネルギーは得な選択と思えるが、広義の経済学で考えると、地球全体のエントロピーを高めるので損な選択となる。この広義の経済学を浸透させるには、ホーム・エコノミクスがふさわしい。 持続可能な社会をつくるための教育ESD(Education for Sustainable Development)は、家庭科の使命とも繋がっている。地球の訴える危機感を子どもたちに伝えていかねばならない。 家庭科の歴史には、時代の政治が大きく反映している。「道徳」に寄生してでも生き残っていくような戦略が必要である。その一つが新たな経済学の提案かもしれない。ホーム・エコノミクスからライフ・エコノミクスへ、人間主体の経済学へと進化を遂げることも可能である。

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"家庭科の教科書でさえ「生産領域としてのワークと消費領域としてのライフ」を明記しており、家庭が生産の場でもあることに気づきにくくなっている。" https://t.co/GD5MW6bOg9

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