著者
高橋 理喜男
出版者
公益社団法人 日本造園学会
雑誌
ランドスケープ研究 (ISSN:13408984)
巻号頁・発行日
vol.60, no.5, pp.413-416, 1996-03-28 (Released:2011-07-19)
参考文献数
15
被引用文献数
3

明治初年に計画された札幌は, 格子状の街区パターンをもち, その中に広幅員の大通 (火防線) を設定した。それが現在の大通公園である。この大通計画の目的は二つあった。市街地を大きく官地と民地に分け, 両者の空間的分離を図ること。同時に, 民地から頻発する火災による官地への延焼防止の役割を担わせることにあった。この大通火防線の計画は, 都市火災の予防という観点から, 近代的都市計画としての評価を受けてきたけれども, 支配, 被支配の構造が色濃くあらわれている近世城下町的な都市計画の論理を踏襲していることは, 角館や大野の事例からも明らかである。

言及状況

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@yankuntenki https://t.co/wldi2bhgfI https://t.co/Al6idk7L43 一個目のリンク読んだ上で2個目を読んで欲しいけど、 普通に幕末や明治期の大火が街の規模や、街構想自体に影響を与えたし 更には大火を防ごうという動きができて札幌市の大広場含む大通りの構造を形作ったのよ。
@itokenstein 調べるとこんな論文が出てきました.北側が北後志通,南側が南後志通と呼ばれていたという話は初めて知りました https://t.co/yfbwHM0SCs
写真正面(丸山方面)を見て、左手が札幌の商業街、右手が官庁街。大通り公園は商業地区の火災から、官庁への延焼を防ぐための防火帯が始まりという。>「明治期における札幌の大通火防線計画 にみられる伝統的思想」 https://t.co/tdnBRVwqLm

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