- 著者
-
大村 敬一
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.70, no.2, pp.247-270, 2005-09-30 (Released:2017-09-25)
今日、カナダ極北圏では、イヌイトの伝統的な生態学的知識に大きな関心が集まっている。近代科学とは異なったパラダイムに基づいてはいるが、極北の環境について近代科学に勝るとも劣らない精確な情報を蓄積しているその知識に、環境管理に貢献する可能性が期待されているからである。本稿の目的は、この伝統的な生態学的知識の基本原理を探るために、狩猟・漁労・採集というイヌイトの生業活動で展開される実践知に焦点を絞り、その実践知において記憶と身体が果たしている役割について分析することである。本稿ではまず、第II章でイヌイトの生業活動においては実践知が中核的な役割を担っていることを確認するとともに、それを解明するためには、時間の流れの中で機能する記憶のメカニズムに注目する必要があることを示す。さらに第III章では、「差異の反復」という考え方をイヌイト社会の社会・文化的コンテキストに位置づけ、この考え方がイヌイト社会に広く浸透していることを論証する。これらの準備作業をふまえて、第IV章と第V章では、イヌイトの伝統的な生態学的知識において記憶が機能するメカニズムを探るために、生業活動の実践と狩猟の物語という伝統的な生態学的知識の2つの側面を分析し、生業活動の中核をなしている実践知において記憶が機能するメカニズムの仮説的なモデルを提示する。そして最後に、本稿で提示したモデルに基づいて、イヌイトの生業活動においては、身体と一体化した記憶が過去を資源化する場となっているのではないかという仮説を提示する。