- 著者
-
越沢 明
- 出版者
- Japan Society of Civil Engineers
- 雑誌
- 日本土木史研究発表会論文集 (ISSN:09134107)
- 巻号頁・発行日
- vol.9, pp.181-192, 1989-06-20 (Released:2010-06-15)
- 参考文献数
- 14
戦前の昭和期 (1930年・40年代) は戦時色が強くなる時代の特徴から、都市計画はあたかも何の進歩もなく、暗い時代であったかの印象を持たれているが、これは事実に反する。むしろ日本初の本格的な都市計画事業である帝都復興事業の完成の後、その経験を生かし、また欧米都市計画の動向を踏まえて、日本の都市計画は新たな展開が図られている。函館は1934年の大火を契機として、全市街を広幅員の防火緑樹道路によって分断する構想が樹てられ、実現をみた。またこれは都市計画事業によってつくられた初の本格的なブールバールである。札幌はすでに既成市街地の街路が完成していたが、1936年、公園系統の考え方にもとづき、広幅員の放射環状道路を配置する雄大な街路網が計画された、また合わせて風致地区も計画されたが、これらの計画は戦後廃止されてしまった。帯広では1944年、街路網が決定された。これは斜路と広場を配置するなど従来の帯広の都市形態を発展させた都市デザインであったが、この計画も戦後、ほとんど継承されなかった。これらの市街地構成の原理と街路設計の思想は今日、なお学ぶ点が少なくない。