著者
八尾 修司 山口 敬太 川崎 雅史
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
土木学会論文集D1(景観・デザイン) (ISSN:21856524)
巻号頁・発行日
vol.71, no.1, pp.95-107, 2015 (Released:2015-10-20)
参考文献数
41
被引用文献数
2 2

本研究は,1928(昭和3)年に都市計画決定した総合大阪都市計画の公園道路を対象に,公園道路網計画の詳細と,その一部である桃ヶ池・田邊公園道路の実現過程を明らかにするものである.本研究の結果,大阪市の公園道路網計画が自然の風致を活かした系統的な公園連絡を意図したものであったこと,この公園道路網の一部である桃ヶ池公園道路において,沿道地主の主体的な意志と大阪府建築課との協働により,壁面線後退を活用した良好な景観の形成が目指されていたことを明らかにした.また,同公園道路の設計及び整備の具体的内容とその変遷を示し,公園道路の形成の過程を明らかにした.

言及状況

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@osakakyumin 先の記事に 長池の広場には地域の方が植えた桜も少しずつ育っています。 とあったので https://t.co/wuBGkdqicT 更にどうやら行政が桃ヶ池公園を桜の名所にしようとしていたのは戦前からの構想と計画的な植樹の様です
阿倍野区長池町に残る街路樹。この道は桃ヶ池公園と長池公園をむすぶ道になりますが、戦前には大阪市による公園道路の計画がありました。この付近を起点に住吉大社方面まで続く計画でした。 戦前期大阪における公園道路網計画と桃ヶ池・田邊公園道路の形成 ※PDFが開きます https://t.co/344oo7iff5 https://t.co/YCj4TIfWaq
@dmnefkt https://t.co/1uJClDwrGM 戦前の大阪の公園道路計画の一環として整備された公園で、桜の名所としてつくられたものらしいです。 あくまで考察なのですが、地主が公園整備により土地価格の向上を狙っていたと書かれているところからより土地価格が向上するために残しておいたのではないかと思います。
土地区画整理が行われたところで、ただ、区画整理前からこの住宅地はある模様。 https://t.co/JjoRhYDdJk

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