著者
菅原 祥
出版者
学校法人 開智学園 開智国際大学
雑誌
開智国際大学紀要 (ISSN:24334618)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.5-17, 2016-03-01 (Released:2017-11-20)

20世紀後半のポーランドを代表する作家スタニスワフ・レムは、自身の作品の中で一貫して人間の認知の問題、とりわけ理解不能な「他者」を前にしたコンタクトの可能性について考察してきた作家である。こうしたレムの問題関心は、現代の多くの社会学的問題、例えば認知症患者のケアの現場などにおける介護者-被介護者の相互理解の問題などを考える際に多くの示唆を与えてくれるものである。本稿はこうした観点から、スタニスワフ・レムの短編『テルミヌス』を取り上げ、理解不可能な存在を「受容する」ということの可能性について考える。『テルミヌス』において特徴的なのは、そこに登場するロボットがまるで老衰した、認知症を患った老人であるかのように描かれているということであり、主人公であるピルクスは、そうしたロボットの「ままならない」身体に対して何らかの応答を余儀なくされる。本稿は、こうしたレム作品における不自由な他者の身体を前にした人間の責任-応答可能性について考えることで、介護に内在する希望と困難を指摘する。

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最近読んだ学術論文の中で最も「考えさせられた」論考 「介護」「ケア」「認知症」など、高齢化を迎えた社会にとって「コミュニケーション(の不可能性)」を問う。 菅原 祥, スタニスワフ・レムにおけるロボットの身体 -短編『テルミヌス』を中心に- https://t.co/E0usWu7M2W

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