著者
真田 尚剛
出版者
日本政治学会
雑誌
年報政治学 (ISSN:05494192)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.1_163-1_184, 2016 (Released:2019-06-10)

本稿は, 1976年10月に閣議決定された 「防衛計画の大綱」 (防衛大綱) に至る過程について, 1970年代前半における国内環境に着目し, 論じるものである。まず, 世論調査の結果と防衛政策関係者の認識の間に乖離があることを明らかにする。次に, 世界最大の航空機事故である雫石事故, 史上初めての自衛隊違憲判決である長沼裁判, 革新勢力の伸長による保革伯仲, 各地での反自衛隊事件を受けて, 防衛政策関係者が従来にないほどの強い危機感を覚えた点を分析する。最後に, 彼らが国内での個別具体的な事案の発生を受け, 防衛政策や自衛隊の正当化を図るために, 1972年10月の4次防で防衛構想と情勢判断を初めて明示し, 1976年10月にはさらに詳しい内容となる防衛大綱を策定するに至った点について解明する。結論として, 世論調査ではなく, 日本国内での防衛問題に関連する批判的な事案の発生により, 防衛政策関係者が防衛政策や自衛隊の正当化を図るべく, 国民への説明の必要性を認識し, 初めて防衛大綱を策定するに至ったことを立証する。

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@japanesepatrio6 @masatheman https://t.co/ks6S1Wk2Dd なかなか興味深い対談でした。 ただ奥山先生が70年代の反自世論の背景に「浅間山荘」を挙げているのは異論があります(あれはむしろ極左の終焉) 真田先生の分析では①雫石②長沼③革新の伸張で、少し時代の雰囲気を記憶している者としてはこちらの方がしっくりきますね。
1973年、東京・立川市は日本へ返還予定の在日米軍基地の引き継ぎに合わせて移駐してきた自衛官の住民登録を拒んだ 住民登録がなされない結果、自衛官本人による選挙権行使や印鑑証明取得などは阻害され、その子供は学令簿に登録されず、小中学校へ正式な入学も出来なかった https://t.co/DKU8pqdnwW
自衛官は国民体育大会への参加ができなかった。 沖縄県知事の屋良朝苗は自衛隊員の国民体育大会参加辞退も打診した。 https://t.co/DKU8pqdnwW
沖縄返還にともなう自衛隊配備時、 那覇市などは自衛官の住民登録やゴミ処理を拒否した。 一部の共産主義者以外は日本へ返還されることを喜んだのに。 日本の力を弱める為にアメリカ左翼が作った日本学術会議や琉球新報 https://t.co/DKU8pqdnwW

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