著者
松本 真輔
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.53, no.6, pp.11-20, 2004-06-10 (Released:2017-08-01)

中世における聖徳太子信仰が、観音信仰と重なるものであったことは、かねてより指摘のあることである。そこには、「救世」の言葉にふさわしく、慈愛に満ちた太子のイメージを読みとることができる。しかし、中世における太子信仰は、観音信仰のみで語り尽くせるものではない。多種多様な形で展開していた中世太子信仰の世界においては、時として、戦争を仕掛ける凶暴な太子の姿も描かれていた。本稿では、中世太子伝における太子の兵法伝受説の展開を端緒として、武人としての太子像の形成について検討し、更に、こうした太子像の広がりを示す一例として、滋賀県甲賀郡にある油日神社の縁起を取り上げる。

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中世聖徳太子伝と油日神社の縁起 : 聖徳太子の兵法伝受譚と武人としての太子像 https://t.co/1MvFtLEjLl
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聖徳太子が幼い時に学んだのは「張良一巻」書であり、これは身につけると超人的な武威や力を発揮し八尺の壁を駆け登り空を飛ぶこともでき、太公望が身につけていたのだとする太子伝もあるそうな。 中世聖徳太子伝と油日神社の縁起 : 聖徳太子の兵法伝受譚と武人としての太子像 https://t.co/SqWjpZEBpC

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