著者
大西 秀之
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.10, no.16, pp.157-177, 2003-10-20 (Released:2009-02-16)
参考文献数
63

“トビニタイ文化”とは,形質的・遺伝的に系統を異にするオホーツク文化集団と擦文文化集団が,北海道東部地域において接触・融合し形成された文化コンプレックスである。そこでの異系統集団の接触・融合は,単に考古資料のレベルのみならず,まさに個人の遺伝レベルにおいても生起していたことが明らかにされている。しかし,これまで,どれくらいの規模の擦文文化集団が“トビニタイ文化”の集落に入り込み,そこでどのような社会的関係を取り結んでいたのか,という問いに対する十全な回答は提起されてこなかった。そのような課題を踏まえ,本稿では,“トビニタイ文化”における異系統集団の多層的な社会関係へのアプローチを試みる。こうした目的の下,本稿では,土器群の組成について検討をおこなった上で,“トビニタイ文化”の住居址の属性分析を加える。まず,土器群の組成からは,時期的・地域的に差異を示しつつも,搬入品や模倣品を含めた“擦文式土器”の割合が増加する反面,土器群に占めるトビニタイ土器の割合が低下し,一次接触地帯では土器群の主体がトビニタイ土器から“擦文式土器”に移行してしまう,という傾向が捉えられる。しかし反面,住居址の属性分析からは,その多くがオホーツク文化の系譜に位置づけられるものであり,また擦文文化的な属性はトビニタイ土器製作集団の側が主体的に受容したものである,という結論が導びかれる。以上の結果を是認する限り,“トビニタイ文化”の主要な担い手は,あくまでもオホーツク文化の末裔たるトビニタイ土器製作集団であると想定せざるをえない。さらに,住居址から想定される居住形態に依拠するならば,“トビニタイ文化”の集落における擦文文化集団は,常態として,彼等が単独で世帯を形成することなく,トビニタイ土器製作集団を主体とする世帯のなかに同居していたとの推論が成り立つ。最後に,そうした擦文文化出自の人物の同居は,ひとつの可能性として「婚入」によって生起したという仮説を提起する。

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[アイヌ][トビニタイ文化]

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ミッシングリングとやらは見つかっているのかもしれませんね。あるいは様々な知見を得て繋がりが見えてきつつありますね。 https://t.co/bvY3jXQr9n https://t.co/S0Gge2ulkR https://t.co/moP8X4SgvE
”加えて,オホーツク文化集団に認められる北海道アイヌ的な形質的 ・遣伝的特徴が,いつの時期からどの くらいの頻度で出現するのか,積算できるほどの資料やデー タが得られているわけではない” https://t.co/uYOZmKKbph (※現在はこの時から出土が増えているのか、解析が進んでいるのか後で調べる)
@F34fC9F4NEMW5e2 @tokyoumare02 >”トビニタイ文化”の住居址は,従来からオホーツク文化と擦文文化の接触・融合を示唆するものとして注目されてきた https://t.co/ihyt93FTyu
@tekkenoyaji 道南から鵡川までは北東北との交流圏、あとは十勝と北海道東部地域に分けて考えられると思います。 大西秀之「境界の村の居住者」 https://t.co/p7hNXRAnLE

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