著者
谷井 彪 細田 勝
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.37-67, 1995-11-01 (Released:2009-02-16)
参考文献数
102

東日本の縄文時代中期終末から後期にかけては,関東での急激な集落規模の縮小,柄鏡型住居(敷石住居を含む),東北での複式炉をもつ住居の出現,住居数の増加など,縄文時代でも最も栄えたとされる中期的社会から後期的社会へと大きく変貌を遂げる。土器群も隆帯が文様描出の基本であった中期的な土器から,磨消縄文が卓越する後期的土器へと変っていく。しかし,関東と東北では大木式,加曽利E式などのように共通的文様要素がありながら,その構成で異なった土器が分布する。これは住居跡形態でみられたような差と同じような差ともいえる。後期への土器の変化もそれぞれ独自な展開をしているため,両地域土器群の平行関係は関東,東北の研究者間にずれがあり,共通した認識が得られていない。この原因は,編年的研究の方法及び型式理解の混乱に起因している。我々の編年的研究の目的はまず型式学的細分があるのではなく,住居跡出土土器を基本単位として,それぞれ重ね合わせ,さらに型式学的検討を加えて有意な時間差を見出そうとするものである。本稿では関東,東北で異系統とされる土器を鍵として,両地域の土器群の平行関係を検討した。その結果,従来関東の中期末の確固とした位置にあるとされた加曽利EIV式が段階として存在せず,加曽利EIII式後半と称名寺式段階へと振り分けて考えた方が,合理的に解釈できることを明らかにした。また,東北で加曽利EIII式後半に平行する土器群として関東の吉井城山類の影響を受けた,いわゆるびわ首沢(高松他1980)類の出現段階が挙げられ,多くの研究者が大木10式とする横展開のアルファベット文の段階は,後期称名寺式出現期に平行するとした。また,本稿で取り上げた類が決して固定的でないことを明らかにするため,吉井城山類,岩坪類について,各種の変形を受けて生成された土器群を紹介し,相互の関係,時間的展開を通して土器群の実態を検討した。関東と東北の関係でみれば,全く異なるようにみえる土器でも,相互に共通した要素がうかがえ,交流の激しさ,それぞれの地域の独自性を知ることができる。また,関東地域での地域性についても同様なことがあり,このような地域間の差異こそ縄文人の独自性と創造性,人々の交流の結果であり,そこにこそ縄文人の生き生きとした姿を垣間みることができる。

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