著者
繁田 信一
出版者
「宗教と社会」学会
雑誌
宗教と社会 (ISSN:13424726)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.77-98, 1995-06-10 (Released:2017-07-18)

本稿の目的は、医療および呪術の平安貴族社会における治療手段としてのあり方、および、平安貴族の治療の場面における医療と呪術との関係を把握することにある。この目的のため、平安貴族の漢文日記(古記録)を主要史料として用いるが、考察にあたっては近年の医療人類学的研究の成果をも利用し、次に示す諸点について明らかにする。(1)平安貴族社会において、医療および呪術は一定の専門知識にもとづく技術として認識されていたのであり、また、(2)平安貴族は医療と呪術とをそれぞれ別個の技術体系に属するものとして認識していた。したがって、(3)平安貴族社会における治療手段は、医療と呪術とによる二元的なものだったのであるが、(4)医療と呪術とは相互に排除し合う関係にあったわけではなく、そのいずれもが各々の資格において有効な治療手段として認識されていた。また、(5)呪術は医療の有効性および安全性を保障・保証するものと見做されてもいたのであり(6)総合的に見るならば、平安貴族社会における医療と呪術との関係は相互補完的なものであった。

言及状況

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平安時代では、大陸(今の中国)の情報をもとに医術を発展させ、治療に活かしていたといわれています。そして、その医術をおこなう人たちのことを医師(くすし)と呼んでいました。 医師は、当時の国の機関であった宮内省の諸官司のひとつ「典薬寮」に属していた人たちのことを指します。 「投薬」「針」「灸」「蛭食(ひるくう)※」といった治療によって病気平癒を目指していました。 ※蛭食(ひるくう):腫物など血が溜 ...
繁田信一さんの論文はいかがでしょうか? https://www.jstage.jst.go.jp/article/religionandsociety/1/0/1_KJ00006476848/_article/-char/ja/

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平安時代の貴族は、医学と祈祷は区別してました。呪いや祟りが原因の病気なら祈祷で治療します。 禅僧を通じて唐から最先端の薬を取り寄せ、医療の有効性は陰陽師の占いで確認し、神仏の保障を得てから服用する、などの区別があったそうです。 https://t.co/jzDRLginsx https://t.co/OBlWIOAffw
平安時代の医療、こんな感じだったらしい https://t.co/uBgdHoVps6
おもろげなものを見つけたので後で読む https://t.co/Jj8ItQOqNP
@utsusemi_06 藤原道長が飲んでた薬に混ざってましたよね、確かw もう全てがうろ覚えw で面白い論文を見つけちゃいました。 https://t.co/5sV62XvD1k
J-STAGE Articles - 平安貴族社会における医療と呪術 : 医療人類学的研究の成果を手掛りとして https://t.co/k8nVNkzW0c
https://t.co/D6W4J3aYmN
ちなみに平安時代の人は意外と呪術(祈祷)と医学を別物として考えていた。 ソースは「殴り合う貴族たち」でおなじみの繁田信一。 https://t.co/y4YWgRqh81
あとで読む https://t.co/Dk399kwJMo
https://t.co/evANL6qx1S やっぱり出産に陰陽師呼ぶらしいからそれが理由かな?
@mooncosmos_au 病気を祟りとした時代に陰陽師など呪術的職能者が治療者として活躍したそうです。 一応、こんな資料がありました的な
「平安貴族社会における医療と呪術」 ”平安時代中期の貴族社会では 医 師と呼ばれる医療技術者が治療者として大いに活躍” ”医療と呪術とは 相互に排除し合う関係にあったわけではなく各々が有効な治療手段として認識されていた。 ” 医師・験者・陰陽師 全22頁。あとで読む用 https://t.co/EVwDojD1PO
資料にならないかなと思って、ネットで拾った平安時代の医療の論文読んでるんだけど、まだ三分の一くらいまでしか終わってないw もう1時w ただ、意外と神頼みオンリーなイメージよりも現実的なんだなというのは感じました。 https://t.co/AHxyMKSUau

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