著者
呉 佩遥
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.96, no.1, pp.123-146, 2022-06-30 (Released:2022-09-30)

近代日本における「宗教」と「科学」の交錯を考えるにあたって、「信」に関する一連の言説が重要だろう。明治期には、合理的な認識枠の影響のもとで仏教を真の「宗教」たらしめるべく、「迷信」の領域はそこから排除すべき異物として語られ、「信仰」もこうした態度から形成された。かかるプロセスにおいて、「信仰」に教義的な根拠を提供する「経典」の解釈問題が一つの争点となった。本稿の対象である境野黄洋は、一八九九年に開始し、「健全なる信仰」と「一切迷信の勦絶」を掲げた「新仏教運動」の旗手の一人であると同時に、仏教の歴史的研究を初期の段階から唱導し、実践した人物である。境野が一八九〇年代に「詩的仏教」──「経典」の記述を事実ではなく、「詩的」な表象として解釈する方法──を提示し、仏教を「迷信」から救出しようとした。本稿では、こうした境野の知的営為に着目し、それがいかにキリスト教の自由主義神学や仏教の歴史的研究など同時代の動向と交渉しつつ展開したかを検討する。

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