著者
松浦 優
出版者
日本社会病理学会
雑誌
現代の社会病理 (ISSN:1342470X)
巻号頁・発行日
vol.36, pp.67-83, 2021 (Released:2022-11-01)
参考文献数
20

日常生活の自明性によってクレイムが予め締め出される事態について、ジュディス・バトラーの「予めの排除」概念とアセクシュアルの「抹消」に関する議論をもとに考察する。事例として、架空のキャラクターへの性的惹かれに関わる造語「フィクトセクシュアル」をめぐるウェブ上の投稿を分析する。当事者の一部からは、性的マジョリティを名指す概念として「対人性愛」という造語を用いることで、性的表現を愛好する立場から性愛規範や恋愛伴侶規範を批判するという投稿が見られた。他方、フィクトセクシュアル・カテゴリーの正当性を疑問視する投稿では、性的・恋愛的な対人関係に関わる生得的な「性的指向」ではないという理由が持ち出されていた。さらに、フィクトセクシュアルを「オタク」あるいは「恋愛」という枠組みに回収することによって、性に関する従来の解釈図式を維持する、という「マジョリティへの回収による抹消」が確認された。

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (72 users, 293 posts, 138 favorites)

「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
@Urist_McProle @Noelle________7 @FictionAffects Had you read it and not glanced over to look for a gotcha you might have learned something for once lol https://t.co/ggdvSqFbGe https://t.co/zJm1tAYC2m https://t.co/UeJJVyHQ31 https://t.co/Qxppmp9bRQ
@quyopo @Meowdv23 @travisscottswag @HavinGayes Fictosexuality is a genuine sexuality that has been observed and studied it is not just a simple crush or just liking a character https://t.co/ggdvSqFbGe https://t.co/zJm1tAYC2m https://t.co/UeJJVyHQ31 https://t.co/Qxppmp9bRQ
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
私が喋った話題のいくつかは、以下の拙論で書いていますので、関心があればご覧ください。 #フツーの恋愛 フィクトセクシュアルから考えるジェンダー/セクシュアリティの政治 https://t.co/fm24cPZgg6 日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」 https://t.co/3BN1tVi4nt
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
ここらへんのことは、この論文でも触れられてたことではある。 https://t.co/EYEbdsTVqZ
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
もう一つは松浦優さんの論文、「日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」」。 https://t.co/EYEbdsTVqZ
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
@SqyupYT @PureSurge_ @PostingLoliconL Fictosexality exists, bigot here are studies on fictosexuality https://t.co/ggdvSqFbGe https://t.co/UeJJVyHQ31 https://t.co/Qxppmp9bRQ https://t.co/zJm1tAYC2m
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66Loumtc
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
@HeFellAgain @B1ueYoshi @ask_aubry This coincides with Yuu Matsura (Queer theorist) https://t.co/3ifzBdT0R7 https://t.co/zJm1tAYC2m https://t.co/Qxppmp9bRQ As well as this other study conducted on fictosexuality https://t.co/ggdvSqFbGe
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
@glitter_nuggie @HobbesAlexander @ask_aubry Particularly in the case of 二次コン/Nijigen/Nijikon it began in the late 70s to early 80s and was officially coined by the 90s. Here's a list of studies on fictosexuality https://t.co/ggdvSqFbGe https://t.co/UeJJVyHQ31 https://t.co/zJm1tAYC2m https://t.co/Qxppmp9bRQ
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66Loumtc
“Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/naoLJr3iyN
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66Loumtc
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66Loumtc
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66Loumtc
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRJm1g
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
@Sykality あとは拙論で恐縮ですが、下記の論文で、日本語での「フィクトセクシュアル」をめぐる言説を多少調べていますので、もし何かの参考になれば幸いです。 https://t.co/sqNOkAMfMF
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
ARTICLE “Foreclosure/Erasure” of Claims-Making by the Everyday Life as Taken for Granted: Discourse Analysis about “Fictosexual” as Sexuality that does not Conform to “Sexual Orientation” https://t.co/amhdpRIObI
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66Loumtc
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」 https://t.co/3BN1tVi4nt この論文で「フィクトセクシュアルという言葉がツイッターでどう使われていたか」を多少調べてるけど、書いてるとおり「2017年9月のツイートが、確認されたかぎりでもっとも古いもの」だったんですよね
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
この造語(=フィクトセクシュアル)は①架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ、あるいは②「性愛」や「恋愛」として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること、を表す言葉として用いられている(69頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的指向」と「性的嗜好」を区別する戦略的本質主義と、承認されるべきものとしての対人性愛の規範化が、フィクトセクシュアルを「セクシュアリティ」として解釈することを押し留めている(75頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66Loumtc
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
自明視される解釈図式を揺さぶる存在は、理解不能なマイノリティとして排除されるだけでなく、多数派の一部とみなされることによって不可視化される場合もある。このような抹消を「マジョリティへの回収による抹消」と呼ぶ(78頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66Locdf4
架空のキャラクターの性的表現を対人性愛よりも価値の劣るものとみなす認識は、強制的性愛や恋愛伴侶規範に由来しているのではないか、という批判がなされている(74頁) https://t.co/4M66LotODE
性的・恋愛的な対人関係(が可能かどうか)にもとづいてセクシュアリティを分類するという発想が、フィクトセクシュアルというカテゴリーの正当性を疑問視することと結びついている(76頁) https://t.co/4M66LotODE
日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」 https://t.co/3BN1tVz7pt こちらの拙論も今月からウェブ公開されています。マンガやアニメなどの二次元の性的表現を愛好する営みについて関心のある方は、あわせて読むと面白いかもしれません。
「性的表現が何らかの意味で問題である/問題ではない」という枠組みでの議論そのものが、問題化の焦点を性的表現に向けることによって、対人性愛が問題化される可能性をあらかじめ抹消していたのではないか。(79頁) https://t.co/4M66Loumtc

収集済み URL リスト