著者
鈴木 宏昭 横山 拓
出版者
特定非営利活動法人 組織学会
雑誌
組織科学 (ISSN:02869713)
巻号頁・発行日
vol.49, no.4, pp.4-15, 2016-06-20 (Released:2016-09-05)
参考文献数
42

本稿では,組織の中に蓄積された暗黙知の明示化,公共化に関わる困難を認知科学的に分析する.その困難は,意識化すら不可能な知識が存在すること,言語が断片的であるがゆえに状況の復元に十分なパワーを持っていないことに由来する.こうした困難を克服するためには,知識を,場の中でマルチモーダルシミュレーションによって生み出され,改変され続けるものとして捉えることが必要とされる.また状況や身体の情報を豊かに伝える象徴的言語の利用も知識の伝達には有効である.

言及状況

外部データベース (DOI)

Twitter (27 users, 32 posts, 69 favorites)

「コトバを超えた知を生み出す」 知識は,非個人的で普遍的に確立された客観的なものではなく,主体の関与を必然的に含み込んだ,その場の環境と相互作用しながら作り出されるもの https://t.co/xV7xVzzMLm
J-STAGE Articles - コトバを超えた知を生み出す :身体性認知科学から見たコミュニケーションと熟達 https://t.co/XlLZeNOvnn
J-STAGE Articles - コトバを超えた知を生み出す:身体性認知科学から見たコミュニケーションと熟達 https://t.co/RPRamv1z9b
一方、鈴木昭宏さんが注目するような比喩や擬態語といった「もう一つの言語」には、「あたため」の効果に通ずるものを感じる。 経験を安易に教訓化するのではなく、比喩や擬態のなかに留まることで、「あたため」→「ひらめき」のルートが開かれるのでは?
この論文が最近の思考の手がかりになってる。 ・コトバが阻害する経験 ・知覚シンボルシステム ・シミュレーションと暗黙知 ・もう一つの言語(オノマトペ、わざ言語)の可能性 など。 コトバを超えた知を生み出す:身体性認知科学から見たコミュニケーションと熟達 https://t.co/XuyZm9GzKL
対話型鑑賞についての中島さんのご指摘はとても示唆的。 鈴木宏昭先生は論理的・分析的な「コトバ」ではなく、オノマトペや比喩や体感を用いる「わざ言語」の可能性を指摘している。https://t.co/XuyZm9GzKL 言語化がダメなのではなく、自分の知覚や情動に「浸る」時間が必要なのではないか。 https://t.co/d3tBkulnrt
Scrapboxでたまに文字がはみ出るときがあるけど、何が理由なのだろうか。 コトバを超えた知を生み出す https://t.co/YHfXuB7FMj https://t.co/TqrM0PHJFm
J-STAGE Articles - コトバを超えた知を生み出す:身体性認知科学から見たコミュニケーションと熟達 https://t.co/tgDbnRbdoh
『コトバを超えた知を生み出す:身体性認知科学から見たコミュニケーションと熟達』 https://t.co/m5FHEcWUbJ 組織におけるコミュニケーションについて、もっと深く理解したい。 このままでは終われない。 あの経験があったからこそ…というところまで必ずたどり着く。 この論文、面白いです。

収集済み URL リスト